映画評「鶴八鶴次郎」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1938年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり
アメリカ映画「ボレロ」を川口松太郎が翻案小説化したと言われるが、実のところどこが翻案なのかよく分からない。
新内の名コンビ、語りの鶴次郎(長谷川一夫)と三味線の鶴八(山田五十鈴)は、愛し合っているのに芸に関して完全主義者だった為に口論が絶えず、遂に鶴八は支援者と結婚し、鶴次郎はどさ回りに零落する。周囲の努力で二人は再結成し成功したように思われるが、またもや鶴次郎が鶴八の芸に文句を言い、完全に破局する、というお話。
前半で再三口論をしていたのに最後も口論なのかと思わせるのだが、ここにこそ作品の狙いがある。彼は彼女が結婚して掴んだ幸福を先の知れた芸道の為に捨てることになるのを危惧して芝居を打ったのである。つまり、「何だ、また同じことの繰り返しなのか、知恵がない」と観客に思わせておいて土壇場でひっくり返す、実に見事な作劇と言わねばならない。
長谷川一夫と山田五十鈴の呼吸が見事であるが、別の映画で類似のアイデアがあるとは言え、ラストの大芝居のアイデアこそ最大の収穫だと思う。
1938年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり
アメリカ映画「ボレロ」を川口松太郎が翻案小説化したと言われるが、実のところどこが翻案なのかよく分からない。
新内の名コンビ、語りの鶴次郎(長谷川一夫)と三味線の鶴八(山田五十鈴)は、愛し合っているのに芸に関して完全主義者だった為に口論が絶えず、遂に鶴八は支援者と結婚し、鶴次郎はどさ回りに零落する。周囲の努力で二人は再結成し成功したように思われるが、またもや鶴次郎が鶴八の芸に文句を言い、完全に破局する、というお話。
前半で再三口論をしていたのに最後も口論なのかと思わせるのだが、ここにこそ作品の狙いがある。彼は彼女が結婚して掴んだ幸福を先の知れた芸道の為に捨てることになるのを危惧して芝居を打ったのである。つまり、「何だ、また同じことの繰り返しなのか、知恵がない」と観客に思わせておいて土壇場でひっくり返す、実に見事な作劇と言わねばならない。
長谷川一夫と山田五十鈴の呼吸が見事であるが、別の映画で類似のアイデアがあるとは言え、ラストの大芝居のアイデアこそ最大の収穫だと思う。
この記事へのコメント
成瀬監督は『鶴八鶴次郎』を映画化するとき,参考までに『ボレロ』を観たそうですが,別段得るものはなかったと語ったそうです。
この作品は無駄なくコンパクトにまとまっていて,ラストの締め方もよい佳作だと思いますが,私が好きなのは,和装の山田五十鈴が何ともいえず綺麗だったり,様式美が感じられるところでしょうか。
確かに「ボレロ」は参考にならないと思いますね。あの映画の主人公は次々と女性を変えていくタイプでした。どこか翻案なのでしょう?
今の映画と比較すると無駄がないですが、30年代当時はおしなべてこういう作り方でしたね。昨今の映画はリアリティー追及で(無駄が多く)、余りにも散文的でつまらないです。そうではなければCGですからね。