映画評「タワーリング・インフェルノ」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1974年アメリカ映画 監督ジョン・ギラーミン
ネタバレあり
久しぶりに再鑑賞してみても、圧倒的に素晴らしかった。
手に汗を握り続け、退屈する暇など全くない。つまらない人間ドラマも説教臭さもない。人間の愚かさ(物質主義、過信、功利主義など)に軽く触れているだけで、あくまでいかに燃え盛る135階の超高層ビルから抜け出すかという一点に焦点を絞っている。こういう純粋な映画らしい映画がImdbでベスト250にかすってもいないというのはどういうことなのか。単に面白い映画では駄目という気取りがあるのだろう。
30年前の映画だから当然CGもないのだが、燃え盛る高層ビルのリアルな感触は今でも素晴らしい。それどころかCGでは寧ろ出せないリアルさがある。
次から次へと繰り出されるピンチの数々とそれを乗り越える知恵。超重量級サスペンス。パニック映画のパーフェクト・ゲームである。
1974年アメリカ映画 監督ジョン・ギラーミン
ネタバレあり
久しぶりに再鑑賞してみても、圧倒的に素晴らしかった。
手に汗を握り続け、退屈する暇など全くない。つまらない人間ドラマも説教臭さもない。人間の愚かさ(物質主義、過信、功利主義など)に軽く触れているだけで、あくまでいかに燃え盛る135階の超高層ビルから抜け出すかという一点に焦点を絞っている。こういう純粋な映画らしい映画がImdbでベスト250にかすってもいないというのはどういうことなのか。単に面白い映画では駄目という気取りがあるのだろう。
30年前の映画だから当然CGもないのだが、燃え盛る高層ビルのリアルな感触は今でも素晴らしい。それどころかCGでは寧ろ出せないリアルさがある。
次から次へと繰り出されるピンチの数々とそれを乗り越える知恵。超重量級サスペンス。パニック映画のパーフェクト・ゲームである。
この記事へのコメント
この映画の頃はよく原作本も合わせて読んでいました。純粋に熱中していた時代ですね。
アステアがジェニファー・ジョーンズを探してるシーンが哀しい。
<http://blog.goo.ne.jp/8seasons/e/7029509eed313d4b24b2fc1a16cbb16f>
うろ覚えの中でも怖かったことをよく記憶してますが、大人になってから見てもやっぱり怖かったし、すごく面白かったです。
こういうのを名作って言うんだろうなぁと改めて感じました。
ニューシネマになって顧みられなくなったフレッド・アステアやジェニファー・ジョーンズが出演しているだけでも嬉しい映画でした。
Imdbの投票結果にはがっくりです。アメリカは内容至上主義だからこういう作品は評価されませんね。
断トツに素晴らしいですよ。こういう作品を内容で観たり、理屈で観ても仕方がないのに、特に若い人ほど、背伸びしてしまう。
chibisaruさんは本当に素直で良いですね。
難しい映画は難しいなりに分析するという評価の仕方があるわけで、テーマが高尚だから即高評価では映画批評とも言えませんよ。
オカピーさんの純粋なパニック映画評を読み、気恥ずかしくなるばかりです。
わがアラン・ドロンのハリウッド作品への、相も変わらず変則思い入れレビュー、TBさせていただきます。
実際、手に汗も握らず、若干、退屈、つまらない人間ドラマも本当につまらない。
人間の愚かさというより作り手の愚かさ
かつ、面白くもない映画に対して気取った評価でございます。
しかも30年前の映画なのに、特撮丸出しのCG映像・・・
たぶん、論外の作品なのだと客観視してはおりますが、わたしにとっては素敵な作品なんですよね。ご理解くださいませ(笑)。
ただ、用心棒さんも、あまりのわたしの思い入れに感情移入していただいたのか、映像の記憶は鮮明だとのありがたいお言葉。
ファンの欲目ですけれど、確かに飛翔するコンコルドのあの美しい勇姿や、離着陸のシークークエンスは、レンタルした本物のコンコルドを使用したかいもあって、うまく撮られているように思います。
CGもチンケな分、逆に安心して面白く見ることができた、などなど。
同時期の「ポセイドン・アドベンチャー」や「大空港」、この「タワーリング・インフェルノ」と比することすら気恥ずかしいですが・・・
ただ、パニック映画という70年代のジャンルにおいては、わたくしの記事もあながち滑稽ではないと自負しているところです。純粋な映画評ではないですけれど、お暇なときに、ご高覧いただければうれしいです。
では、また。
確か、「スクリーン誌」上の双葉先生の評価、☆☆★★★??くらいだったように記憶してます(笑)。☆もういっこすくなかったかな?
>純粋なパニック映画評
あははは。
映画(に限りませんが)は極力二兎を追うべからずと思っているので、人生ドラマを観ているのかサスペンスを観ているのか解らないようなパニック映画は好きではないんです(というより純度が低いわけだから認めてはいけないわけです)。スパイ映画に性格描写を必要以上に求めるのも同じような愚であるのに、そうした面を描くのが良い映画の要件であるように勘違いしている方(評論家にすら多い)がいるのには本当に困ったものです。
ジャンル映画においても必要欠くべからざるのは行動心理学です。これがきちんとすれば後はOKじゃないでしょうか。
続きますですよ。
1979年製ですから、純然たるSFXだと思いますよ。
82年の「トロン」が本格的にCGを使った最初の作品ですから、それ以前にも部分的に使った作品は多少あったでしょうが、まだアニメ的な扱いだったはず。
言葉の綾として使っているのなら、御免なさい。<(_ _)>
>双葉先生
いや、そんなに悪くないです。
70年以降の殆どの作品の採点を記憶していますが、「エアポート80」は☆☆☆。
スケールの大きいA級作品に☆☆★★★は滅多に出されなかったですよ。
但し、A級作品の☆三つは余り面白くなかったという判断ですので、B級作品の☆☆★★★のほうがお楽しみ度では高い可能性があったようです。
その前に「コンコルド」というちんけなサスペンス映画が公開されていますが、こちらが☆☆★★★でした。
確かに視覚面で★一つの差は十分ありましたし、ストーリー面さえしっかりすれば観られた作品だったでしょう。記憶は甚だ曖昧ですけどね。
>極力二兎を追うべからず
>スパイ映画に性格描写を必要以上に・・・
>行動心理
う~む、確かにねえ。だから、ヒッチコックやハワード・ホークスは素晴らしいんでしょうね。そして、スピルバーグも。
>パニック映画・・・純度が低い
何だかわかるような気がします。「グラン・ホテル」形式は、『グラン・ホテル』までが限界だったのかもしれません。
その形式を応用すると二兎を追うことになるんだなあ。更に、『ポセイドン・アドベンチャー』などは、優れた作品だとは思いますが、映画的ではなく、舞台の演出ですものね。
そう考えると『タワーリング・インフェルノ』の10点が理解できてきますよ。
>CG・・・SFX
確かに確かに。コンピュターでの処理技術ではあったようですが、背景処理とミニチュアの合成だったそうで、いわゆるグラフィック処理ではなかったようです。
>双葉先生
「エアポート80」は☆☆☆。
へええ、そうでしたか。どうも記憶があいまいで、でも☆みっつならまあまあですね。安心しました。
では、また。
言いたいことを言って済みません。^^;
>行動心理
話が変わりますが、行動心理と並んで生活感情が大事ですね。
映像は生活感情を伴わなければもはや映画ではないと思うわけです。
例えばゲームの映像は生活感情がなくても良いわけです。ゲームの映画化に面白いものがないのはその辺りが原因ではないかと最近は考えるようになりました。
>CG
コンピューターでの処理は70年代後半くらいから導入されているようですね。
今の編集や合成は殆どコンピューターによる合成でしょう。【CGと実写】【実写と実写】の合成もやること自体は同じですよね。
コンピューターに乗った映像を編集するから編集者は失敗を恐れなくても良い。それ以前にビデオ撮影が増えていますから最初からデジタル編集なんですよね。
>双葉先生
すごく独自の採点方式ですね。
大傑作と凡作の差がたった☆(20点)一つという発想は他にないですね。
僕も普段はその採点方式を取っていますが、ブログでは解り易く10点にして差を広げています。
タワーリングインフェルノは 何年か前にテレビの放映でみました。
ひどいことに 予算を減らすために 正規のビル用の電気配線を ビル用に不向きな電気配線・・・つまり 安い電気配線を使用するお粗末さ。
大電流に耐え切れず 焼き切れてしまったことがこの惨事に・・・
ポール・ニューマン演じた設計士が
「予算を減らしたいなら ビルの高さを減らせばよかったんだ。このビルはただのハリボテだ」
>人間の愚かさ(物質主義、過信、功利主義など)に軽く触れているだけで、あくまでいかに燃え盛る135階の超高層ビルから抜け出すかという一点に焦点を絞っている。
しかも ビルの建設会社のオーナーの娘婿が元凶なのに 火事になったとたん 我先にと ゴンドラに乗って逃げようとした・・
この行動だけでも 無責任なのは明白でしょうに。
火が鎮火したあと
「また火災があったら オレを呼べ」 (消防隊長)
「このビルは このまま残しておこう。人間のおごりが招いた 象徴として」
(設計士)
と言ったのが印象的でした。
人間の おごり、虚栄のむなしさ タイタニックと同じです。
面白さに徹底しているから、却って素直に人間の愚かしさ、虚栄、傲慢が浮かび上がってくるんですね。
才能が不足している人はそれを逆にしてしまう。良い脚本でした。重箱の隅をつつくような突っ込みもどこかで読みましたが、映画のウソを解っていない甚だしい勘違いだと思います。
映画的緊張感に満ちたパニック映画の一つの頂点を示した作品が、この「タワーリング・インフェルノ」だと思います。
この映画「タワーリング・インフェルノ」は、「ポセイドン・アドベンチャー」を製作し、大ヒットさせた大物プロデューサーのアーウィン・アレンが、メジャーであるワーナー・ブラザースと20世紀フォックスの史上初の共同製作、分担配給を実現させると共に、当時のハリウッドの大スターであった、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンの本格的な夢の競演を実現させた事でも有名になった作品ですね。
原作は似たような題材のリチャード・マーチン・スターン著の「ザ・タワー」とフランク・M・ロビンソンとトーマス・N・スコーティア共著の「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」の2作が、それぞれワーナーとフォックスの両社で取り上げられていたのを、同じく「ポセイドン・アドベンチャー」で脚色を担当したスターリング・シリファントが1本のシナリオにまとめて映画化されたという経緯があります。
映画化作品は、どちらかというと「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」の方にウエイトが置かれているように思いますが、この原作の二人は、もともと有名なSF作家なのですが、この小説では舞台を未来から現実に目を戻して、実際に起こる可能性が十分にある、"災害の恐怖"を直視しているのは、非常に深い意味があるような気がします。
この映画が製作された1970年代は、日本で"パニック映画"と言われ、現地アメリカで"ディザスタームービー"と言われた、このジャンルの映画が次々に製作されるようになりましたが、1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」がその大きな決定打となり、続くこの映画でその頂点に達した感がありました。
これら一連のパニック映画は、1960年代の経済繁栄と精神的な頽廃への人間的な反省を呼び覚ます警鐘としての意味を持っていたように思います。
そして、この映画は、災害に立ち向かう冒険物のスペクタクル映画として、「ポセイドン・アドベンチャー」と酷似していて、消防隊長オハラハンを演じるスティーヴ・マックィーンは、「ポセイドン・アドベンチャー」の勇敢な神父ジーン・ハックマンを彷彿とさせる、アメリカ的なヒーロー像として描かれていると思います。
「ポセイドン・アドベンチャー」は、転覆した巨大な豪華客船での"水"との戦いでしたが、この映画は、超高層ビルでの"火"との戦いです。
そして、この映画の最大の主役は、最初から最後まで"火"そのものです。
消防隊長のオハラハンも、ポール・ニューマン演じる、この超高層ビルの設計家ロバーツも、その妻フェイ・ダナウェイも、そして、この超高層ビルの建設を請け負った建設業者のウィリアム・ホールデン、その他のフレッド・アステア、ジェニファー・ジョーンズ、ロバート・ヴォーンなどの豪華な配役も、この燃えさかる"火"に圧倒される脇役にすぎないのです。
考えてみれば、この原作の「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」においても、"火"は生まれたばかりのか弱い赤ん坊から、少年、そして青壮年へと育っていき、やがて燃え尽きるという擬人的な手法で書かれています。
サンフランシスコの空をついて聳え立つ、138階建ての地上520m(東京タワーの約1.5倍)のグラス・ビル。
良心的に設計されたこの建物も、建設業者が資材を値切ってリベートを取った配電関係の手抜き工事が原因となって、81階の配電盤から出た火花が、対策の手遅れのため、勢いを増して天をも焦がす大火災へと拡大していく過程を、ジョン・ギラーミン監督は、映画的緊張感に満ちた大スペクタクルの連続でたたみかけていきます。
その緊迫感は、有毒ガス、保安完成検査、貯水タンク等々の、現実的にはおかしな問題点を、我々観る者に気付かせないうまさで進行していきます。
また、撮影技法的には、俯瞰とロングのショットが実に効果的に使用されているなと思います。
そして、この映画の中で最も印象に残ったのは、映画のラストで、消防隊長オハラハンと設計家ロバーツが交わすセリフのやりとり。
オハラハン「確実に消化出来るのは7階までなのに、君ら建築屋は高さを競い合う」
ロバーツ「人が生きて働ける建物を作る気でいたのに----。費用を削るなら何故、高さを削らないのだ」
ロバーツ「この残骸を修復しないで、ここにこのまま残しておくべきかも知れない。人類の思い上がりの象徴として----」
オハラハン「今にこのような火災で一ぺんに一万人も死ぬ事になるだろう。だが、俺は火と戦い続ける。だが今に誰かが聞きにくる。ビルの建て方をな」
つまり、建物について最も詳しいのは、"火"を消す側であり、それを建てる側ではないという、アイロニーに満ちた辛辣な言葉で締めくくられているのです。
そして、映画の冒頭のタイトルには、「この作品を、全世界の消防士に捧げる」と謳っているのです。
尚、この映画は1974年度の第47回アカデミー賞の最優秀撮影賞、最優秀編集賞、最優秀歌曲賞を「We May Never Love Like This Again」が受賞し、同年のゴールデン・グローブ賞の最優秀助演男優賞(フレッド・アステア)を受賞し、1975年の英国アカデミー賞の最優秀助演男優賞・最優秀作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)を受賞していますね。
>この映画の最大の主役は、最初から最後まで"火"そのものです。
そう思います。
だからと言うか、その結果と言うか、群像人生劇にならずに済み、非常に面白くなりましたね。
「ポセイドン・アドベンチャー」は本作ほど徹底できなかった憾みはあるものの、俳優の巧さで単調な群像劇になるのが避けられました。