映画評「アリスの恋」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1974年アメリカ映画 監督マーティン・スコセッシ
ネタバレあり
マーティン・スコセッシが「タクシー・ドライバー」の前に発表したロード・ムービー風女性映画で、端役のジョディー・フォスターはこの作品で気に入れられ同作に採用された模様。スコセッシの大学時代の習作「ドアをたたくのは誰」に主演したハーヴィー・カイテルがヒロインを騙す男で出てくるなど、人脈関係を見る上でも面白い。再鑑賞作品。
歌手だったのに平凡な主婦に納まってしまったエレン・バースティン(アリス)が、トラック運転手の夫を交通事故死で失い、生意気盛りの息子と二人で新しい生活を目指して車に乗る。辿り着いた町でやっとありついた歌手としての仕事もチンピラのカイテルに脅されて棒に振り、次の町では忙しい料理店のしがないウェイトレスになる。ここで牧場主クリス・クリストファースンと親しくなるのだが、息子の教育方針を巡って決裂。が、彼は後日店を訪れ「二人の為なら牧場を捨ててもよい」と言い、明るい日が彼女に漸く訪れる。
スコセッシとしてはニューヨークを扱っていないので異色作と言って良いのかもしれないが、皮肉なことにこれが一番気に入っている。米国で一番人気の「レイジング・ブル」も日本で一番人気の「タクシー・ドライバー」も物足りないというより好きになれない。その点ユーモラスな本作はゆったりと見られて快い。特に、料理店の店員同士の関係が楽しかった。最初は嫌い合っていたダイアン・ラッドが余りにも汚いことを言ったのを契機に二人のわだかまりが解ける場面は抜群。
1974年アメリカ映画 監督マーティン・スコセッシ
ネタバレあり
マーティン・スコセッシが「タクシー・ドライバー」の前に発表したロード・ムービー風女性映画で、端役のジョディー・フォスターはこの作品で気に入れられ同作に採用された模様。スコセッシの大学時代の習作「ドアをたたくのは誰」に主演したハーヴィー・カイテルがヒロインを騙す男で出てくるなど、人脈関係を見る上でも面白い。再鑑賞作品。
歌手だったのに平凡な主婦に納まってしまったエレン・バースティン(アリス)が、トラック運転手の夫を交通事故死で失い、生意気盛りの息子と二人で新しい生活を目指して車に乗る。辿り着いた町でやっとありついた歌手としての仕事もチンピラのカイテルに脅されて棒に振り、次の町では忙しい料理店のしがないウェイトレスになる。ここで牧場主クリス・クリストファースンと親しくなるのだが、息子の教育方針を巡って決裂。が、彼は後日店を訪れ「二人の為なら牧場を捨ててもよい」と言い、明るい日が彼女に漸く訪れる。
スコセッシとしてはニューヨークを扱っていないので異色作と言って良いのかもしれないが、皮肉なことにこれが一番気に入っている。米国で一番人気の「レイジング・ブル」も日本で一番人気の「タクシー・ドライバー」も物足りないというより好きになれない。その点ユーモラスな本作はゆったりと見られて快い。特に、料理店の店員同士の関係が楽しかった。最初は嫌い合っていたダイアン・ラッドが余りにも汚いことを言ったのを契機に二人のわだかまりが解ける場面は抜群。
この記事へのコメント
やった!めっけ♪
こないだコメントやりとりしてからすごく観たかった作品です。
わたしも後半のウェイトレス3人の交流が大好き!
特にダイアン・ラッドとエレンの日光浴シーン、トイレではげますシーンなんか好きですね。
あと、ドジなウェイトレスがお皿まちがえちゃってパズルみたいに皿をとりかえていくシーン・・・サイレント映画みたいでよいです。
本記事は、ブログを始める前にメモ的に書いた映画評の載録のようで、甚だ簡単でしたね。^^;
今ならもう少しきちんと書くでしょうが、後の祭り。
>サイレント映画みたいで
スコセッシもかなりのシネフィルらしいから、実際にサイレント映画を意識したのかもしれませんね。
ロード・ムービーの傑作です。
>料理店の店員同士の関係が楽しかった
そこなんですよ。お互いに嫌っていた相手が仲良くなるんですよね。常連客との繋がりも面白かったです。ああいう田舎のレストラン、いいなあー!
>漫画や映画でスポーツのファンになってくれる
はた山 ハッチ(やくみつる)氏や高橋春男氏の野球漫画が流行った1980年代。懐かしいです。
>僕は昔からこの映画が大好きです。
おおっ、そうですか。蟷螂の斧さんの新しい面をしったような気がします。
>はた山 ハッチ(やくみつる)氏や高橋春男氏の野球漫画が流行った
>1980年代。
いしいひさいちの「がんばれ!タブチくん!」も同じ頃ですかね。映画になったせいで、僕が一番よく知っているのはこれです。
アリスと打ち解けたフロ(ダイアン・ラッド)が常連客の前で過激なジョークを言う。アリスが涙を流す。フロが心配したらアリスが「あなたって何でいつもそんなに面白い事を思いつくの?」と言って笑いながら涙を流す。常連客達は茫然とするけど、デヴィッド(クリス・クリストファーソン)は微笑ましそうに見てる。あの場面も好きです。
双葉十三郎先生の採点は75点。最後に「子連れおカミの道中でアリんス。」と。
>「がんばれ!タブチくん!」
アニメ映画。西田敏行&二木てるみコンビの声が合ってました。ルーキーの木田投手が「何だ。プロなんてこんなもんか。」と言う場面がありました。
>双葉十三郎先生の採点は75点。
>最後に「子連れおカミの道中でアリんス。」と。
双葉式採点ならそんなところでしょう。こういうタイプの作品としては限りなく最高点に近い☆☆☆★★★でしょう。
僕のダジャレは先生由来。お気に入りは、「キラー・エリート」での“ペキン監督パーとなる”です。
>ルーキーの木田投手が「何だ。プロなんてこんなもんか。」
>と言う場面がありました。
よく憶えておいでです。感心します。
>ハーヴィー・カイテルがヒロインを騙す男で出てくる
彼にこの役は合ってますね(笑)。現在、アクターズ・スタジオの学長をアル・パチーノ、エレン・バースティンと共に務めているとか。
>生意気盛りの息子
本当にギャーギャーうるさい息子(アルフレッド・ラター)。でも物語の終盤ではちょっと大人っぽくなる。好演です。英語版ウィキによると、その後1984年にスタンフォード大学で工学の理学士号を、1988年にスタンフォードで経営と工学の修士号を取得し、テクノロジー戦略、組織管理、およびアウトソーシングソフトウェア開発サービスを提供する会社を設立。
>限りなく最高点に近い☆☆☆★★★でしょう。
素晴らしい評価です(拍手!)
>“ペキン監督パーとなる”です。
たった今、双葉先生の著作で確認しました(笑)。評価は60点。編集も拙さも指摘しています。
>端役のジョディー・フォスター
映画を見終えてから彼女が出てた事に気づきました(苦笑)。少年っぽかったです。
>ハーヴィー・カイテル
>現在、アクターズ・スタジオの学長をアル・パチーノ、
>エレン・バースティンと共に務めているとか。
おおっ、そうですか。
いかにもアクターズ・スタジオらしい顔ぶれだっ!
>評価は60点。編集も拙さも指摘しています。
ペキンパーで☆☆☆では失敗作の意味なり。多分修行の足りない評者であれば20点とか付ける。
同じ頃B級映画の「ザ・カー」という車が勝手に襲って来る作品にも☆☆☆を進呈していますが、こういう映画に対する☆☆☆は同じ星でも相当絶賛している意味となるのが双葉式。こういうスタンスが出来る人は他になかなかいらっしゃらないですよ。読者の立場としては、その差を理解できれば双葉塾一年生を終業です(笑)。
>こういうスタンスが出来る人
なるほど。僕はまだまだその差を理解するまで時間がかかりそうです。
>忙しい料理店
忙しい時間帯にフロが外に出てアリスの悩みを聞いてやる。残されたウェイトレスが泣きながら必死に働いている。そのウェイトレス(ヴェラ)を演じたヴァレリー・カーティン(1945年3月31日~ )。女優兼脚本家。アル・パチーノ主演映画「ジャスティス」ではご主人と共同脚本でアカデミー賞(脚本賞)にノミネートされたそうで中々の才人なんですねー!
仕事が終わったヴェラが旦那のバイクの後部座席に乗って帰る場面も好きです。
>「ゴッドファーザー PART III」を見ました。
>双葉十三郎先生の採点は75点です。
「ゴッドファーザー」は三本とも映画館で観ました。で、当ブログではどれも上げていない。そろそろ書くべきでしょうか?
双葉師匠は、最初の「ゴッドファーザー」を余り気に入らず、その理由を“面白い原作を先に読んでしまったから”としていますが、これ師匠の口実でしょう。原作を先に読んでも読まなくても、さほど気に入らなかったのだと思います。
「ゴッドファーザー」は大衆が受ける要素を多く持っていますので、受けた理由が解ります。厳しい目で見ればメロドラマですが、僕も好き嫌いで言えば好きな作品ですね。
>ウェイトレス(ヴェラ)を演じたヴァレリー・カーティン
>女優兼脚本家。アル・パチーノ主演映画「ジャスティス」では
>ご主人と共同脚本でアカデミー賞(脚本賞)にノミネートされた
この名前を憶えた記憶がない(変な日本語でしょうか?)ですなあ。そうですか、色々と才人がいるものですねえ。
>当ブログではどれも上げていない。
右上のブログ内検索に「ゴッドファーザー」と入れても出てこないので意外な感じがしました。
>最初の「ゴッドファーザー」を余り気に入らず
70点ですね。理由も読みました。そして「これだけ当れば何をかいわんや。」また第2作の方が心情的に好きとか。「文学がちょっぴり匂うマフィアかな」。
>この名前を憶えた記憶がない
英語版ウィキの日本語訳で調べました。
>クリス・クリストファーソン
『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』でも好演。でも21歳には見えませんでした・・・(苦笑)。当時37歳です。
>右上のブログ内検索に「ゴッドファーザー」と入れても出てこないので
>意外な感じがしました。
取り上げていないのは事実です。
しかし、検索にも問題があります。検索エンジンは本文を検索することが多いらしく、タイトルでは出て来ない場合も少なくありません。それではと、監督名や主演俳優名で調べてみても出ないことがあり、自分でも古い記事を探すのに難儀することがあるのです。ないよりは良いですけど、問題が多いです。
>『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』でも好演。
>でも21歳には見えませんでした・・・(苦笑)。当時37歳です。
「左きゝの拳銃」でビリー・ザ・キッドを演じたポール・ニューマンは33歳。クリストファーソンよりは多少良い(笑)。
>「左きゝの拳銃」
一度見たいです。邦題で「ゝ」を使ってるのが面白いです。
>チンピラのカイテルに脅されて
古今東西ああいう男はいますね。一見お付き合いしてみると楽しそうだけど、実は・・・。それで女性(あるいは連れ子)が酷い目に遭う。
>「悲しみよこんにちは」を見ました。
昔一度だけ観たことがあります。短い原作のほうが良い印象を持っています。
>カーとニーヴンはあの9年後に「カジノロワイヤル」で共演してますね。
やっと再開した図書館にVHS版がありました。久しぶりに観てみようかな。
>>「左きゝの拳銃」
>一度見たいです。邦題で「ゝ」を使ってるのが面白いです。
特に洋画の邦題では、珍しいですよね。
>一見お付き合いしてみると楽しそうだけど、実は・・・。
40年前にサザン・オールスターズも「そんなヒロシに騙されて」という、グループ・サウンズっぽい歌を歌っていましたね。
封建時代の武家では、男性は自身の事情で離縁できましたが、女性はできなかった。泣いた女性が多かったでしょうね。しかし、大学時代の一般教養で、女性からの三行半が出て来たと話題になったのを憶えていますよ。
アメリカン・ニユーシネマの先駆けとなった「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー監督)で描かれた若者たちの当てもなく彷徨し、放浪の旅へ出かけるモチーフは、それ以後のニューシネマの作品に連綿として息づいていたと思います。
そして、この映画史の流れは、1970年代後半に隆盛となった"女性映画"へと繋がっていき、女性の生き方や生活感情をリアルに描いていきましたね。
こうした映画史的な流れの中で、映画「アリスの恋」は、ニューヨークのアクターズ・スタジオという演劇学校で、役者が観客の前で出来る限り自然に肉体と心を動かし、真の意味での生きた芝居をする、”スタニスラフスキイ・システム"を大胆に取り入れました。
この作品は、人間の内面から役になりきる、自然でリアルな"メソッド演技"の代表的な女優のエレン・バースティン扮する中年女性のアリスが、夫を交通事故で失い、幼い息子を連れて、生きるために職を求め、アメリカ国内を放浪して歩くという、一種のロードムービーとも言える、アメリカン・ニューシネマを代表する女性映画の秀作だと思います。
アリスが、新しい人生を発見していくまでの姿を、日常性豊かに、ユーモアも交えながら、リアリズムで綴っていきます。
監督は、マーティン・スコセッシ。
喘息病みのため、子供の時から映画館に入りびたりだったという、生来の映画オタクである事は、この映画の始まるメイン・タイトルの異常な凝りようや、ファースト・シーンの、アリスの少女時代の古めかしい描き方を見てもわかります。
また、逆光の使い方やジョン・F・ケネディ大統領の引用にも、アメリカン・ニューシネマの、当時としては斬新な感覚が生きていると思います。
彼は、この映画でリアリティのある女性を描くために、製作者、編集者、美術のスタッフは、全て女性で固め、女性と組む事で、女性の感覚からみておかしいと思う場合には、撮影現場で遠慮なく変更の提案をさせ、そのためにアドリブの部分が多くなったとの事です。
女性を描くためには、同時に男性が描かれなければなりませんが、トラック運転手で事故死した粗暴な夫、旅の途中でアリスに求愛する男達を通して、暴力的な本性丸出しの男の姿が、女性の不信の対象としてリアルに見つめられています。
そして、最後に知り合った男が、牧場を持つカウボーイ(クリス・クリストファーソン)で、息子に対する暴力の中から男の本当の愛情を見出し、スッタモンダの末、ラストではこの二人が結ばれる事になります。
この映画の中で心に残る印象的なセリフ、「----男なしではどうしたらいいのよ」と語るアリスの弱気な言葉は、「あたしの人生なのね、あたしの! 誰かの人生で、あたしが助けてやろうっていうんじゃないんだわ」という健気な言葉と矛盾するものではないところに、生活と闘うこの女性の人間的な深さが出ていたのではないかと思います。
また、この映画の、もう一人の主役は、12歳の息子を演じたアルフレッド・ルッターで、存在感のある素晴らしい演技を披露していますね。
むしろ、この映画は母子家庭の微妙な親子の感情がメインテーマであり、思春期に入ろうとするこの子供が、母親の男関係を見つめる心の揺れと、一人前の男へと脱皮していく過程に重点が置かれているという見方も出来ます。
この中年の子連れ未亡人は、抑圧された不幸な結婚から解放されて、少女時代からの夢であった歌手への途を求めて、ニューメキシコからフェニックス(ここでの昼下がりの街を職探しのためにバーを巡るところのうら悲しくて切ない場面のエレン・バースティンの演技は鳥肌が立つくらいに凄い演技を示しています)、そしてツーソンの街へと広大な大陸を横断しての旅を続けて行きますが、その夢も空しく、レストランのウエイトレスしか仕事がないという現実の厳しさ--------。
ラストの牧場主と結ばれる結末は、安易だという評価が、公開当時あったそうですが、しかし、個人的には、映画というものはやはり、ハッピーエンドの方が後味が良いと思っています。
この映画の原題は、「ALICE DOESN'T LIVE HERE ANYMORE」といって、アメリカの古くからあるスタンダード曲から採られていますが、この題名の意図するところからして、この安住の地だと思われた牧場主との生活も、アリスが一生落ち着くところかどうかわからない----とマーティン・スコセッシ監督は暗示しているのかも知れませんが。
しかし、アリスのような愛すべき女性は、どうか幸福であって欲しいと心の底から祈りたくなってきます。
漂泊の子連れ未亡人を描いたこの「アリスの恋」は、絶望を突き抜けた明るさと活力に満ちたところに、ひと筋の光明を見出す、優れた女性映画の秀作だと思います。
>逆光の使い方
これより一つか二つ前の「明日に処刑を・・・」でも逆光を使って、映画における異化効果(昔の映画論ではダメとされたカメラを意識させる手法)を出してしました。ニューシネマらしい。