映画評「春夏秋冬そして春」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2003年韓国=ドイツ映画 監督キム・ギドク
ネタバレあり
キム・ギドクは恥ずかしながら初めての鑑賞となるが、脱帽した。心の底から感服した韓国映画はこれが初めてである。
山に囲まれた湖に浮かぶ寺があり、そこに初老の僧侶(オ・ヨンス)と幼い僧侶(キム・ジョンホ)がいる。幼年僧は魚と蛙と蛇に石を結びつける悪戯をするが、老僧は小坊主を石を付けて叱って曰く、「この中の一匹でも死んだならお前は一生業を背負うことになる」と。春の出来事である。
夏、十代後半になった小坊主(ソ・ジェギョン)は寺に養生に訪れた少女と結ばれ、去っていった彼女を追って寺を後にする。老僧曰く、「欲望は執着を生み、執着は殺意をもたらす」と。
秋、かつての小坊主(キム・ヨンミン)が裏切った妻を殺してこの山寺へ十数年ぶりに戻るが、老僧は刑事二人を招いて彼を連行させる。その前に般若心経を掘らせ、青年の煩悩を解くのである。白猫の尻尾を筆代わりに使うのが愉快、いやいやお気の毒。
冬、刑期を終え初老になった男(ギドク監督自身)は彼の魂の為自死した老僧の骨を拾い、かつてのように石を腰に結わえ、仏像を山の頂上に運び、終に心の平和を得る。
そして再び春。男は老僧となり、残された子供を弟子にして温かく厳しく見つめるのである。
四季を人生に例えることはよくあるが、この作品ほど上手く実際の景色に溶け込ませた例を僕は他に知らない。映画のカメラは寺の周囲から全く出ず、作品に淀みのなさと安定感を与えているのみならず、そこに収められた湖と山と寺の風景が四季に応じて厳しく美しいことこの上ない。筆舌に尽くしがたいとはこのことである。
最初の挿話は有難い仏典の説話のように厳しい物語であるが、全体の構成も仏教の輪廻思想に基づいている。世の中はこうして繰り返すのである。
といった次第で、底流には仏教思想が流れているが、作者は決して観客に仏教の教えを説こうとしているわけではないだろう。例えば、若い僧侶が少女と結ばれる露骨なセックス場面がある。この作品の中で数少ない卑俗な場面であるが、全体の構成を考えれば実に原始的で神々しさすら感じさせると言いたくなるほどあっぱれな描写ではないか。
映画自体から神性を感じる経験は久しぶりで、監督に感謝したい。
2003年韓国=ドイツ映画 監督キム・ギドク
ネタバレあり
キム・ギドクは恥ずかしながら初めての鑑賞となるが、脱帽した。心の底から感服した韓国映画はこれが初めてである。
山に囲まれた湖に浮かぶ寺があり、そこに初老の僧侶(オ・ヨンス)と幼い僧侶(キム・ジョンホ)がいる。幼年僧は魚と蛙と蛇に石を結びつける悪戯をするが、老僧は小坊主を石を付けて叱って曰く、「この中の一匹でも死んだならお前は一生業を背負うことになる」と。春の出来事である。
夏、十代後半になった小坊主(ソ・ジェギョン)は寺に養生に訪れた少女と結ばれ、去っていった彼女を追って寺を後にする。老僧曰く、「欲望は執着を生み、執着は殺意をもたらす」と。
秋、かつての小坊主(キム・ヨンミン)が裏切った妻を殺してこの山寺へ十数年ぶりに戻るが、老僧は刑事二人を招いて彼を連行させる。その前に般若心経を掘らせ、青年の煩悩を解くのである。白猫の尻尾を筆代わりに使うのが愉快、いやいやお気の毒。
冬、刑期を終え初老になった男(ギドク監督自身)は彼の魂の為自死した老僧の骨を拾い、かつてのように石を腰に結わえ、仏像を山の頂上に運び、終に心の平和を得る。
そして再び春。男は老僧となり、残された子供を弟子にして温かく厳しく見つめるのである。
四季を人生に例えることはよくあるが、この作品ほど上手く実際の景色に溶け込ませた例を僕は他に知らない。映画のカメラは寺の周囲から全く出ず、作品に淀みのなさと安定感を与えているのみならず、そこに収められた湖と山と寺の風景が四季に応じて厳しく美しいことこの上ない。筆舌に尽くしがたいとはこのことである。
最初の挿話は有難い仏典の説話のように厳しい物語であるが、全体の構成も仏教の輪廻思想に基づいている。世の中はこうして繰り返すのである。
といった次第で、底流には仏教思想が流れているが、作者は決して観客に仏教の教えを説こうとしているわけではないだろう。例えば、若い僧侶が少女と結ばれる露骨なセックス場面がある。この作品の中で数少ない卑俗な場面であるが、全体の構成を考えれば実に原始的で神々しさすら感じさせると言いたくなるほどあっぱれな描写ではないか。
映画自体から神性を感じる経験は久しぶりで、監督に感謝したい。