映画評「犬猫」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2004年日本映画 監督・井口奈己
ネタバレあり
僕にとっては全くの新人と言って良い女性監督・井口奈己の作品で、自作の8mm映画を35mmにリメイクしたものという。
持ち主の留学で1年その留守宅を預かる榎本加奈子が、犬猿ならぬ犬猫の仲である幼馴染・藤田陽子と同居する羽目になる。性格は合わぬが好きになる男性タイプがいつも同じで、陽子は加奈子と競ってゲットした記者・西島秀俊の家を飛び出してきたという経緯がある。
そして、加奈子はコンビニのバイト仲間・忍成修吾君と仲良くなりたいなあと思っている矢先に、陽子と一緒にいるところを見てしまう。これは全くの偶然なのだが、かくしてそりの合わない二人は何時まで一緒に暮らすのでありましょうか。
ヌーヴェルヴァーグ、それもトリュフォー的な洒落っ気があるのではないかという気がする。
二人は違うようで実はかなり似た者らしく、監督は何箇所か相似場面を用意している。例えば、同一の家を訪ねる時のカット割りが同じで、犬に引きずられて土手から落ちるところまで同じなのだが、その時家では陽子君が相性の悪い飼い猫を探している。つまり、加奈子君は猫で、陽子君は犬ということらしいのだ。それが解ればこの映画はOKてな感じである。
それほど不真面目ではない今風の女の子二名の生態のコントラストと相似を対位法的に描いて面白い感覚を示している。加奈子君が走っている場面の撮影が映画的にはハイライトだろうが、相似場面でもある陽子君が土手を走る場面はもう少し長ければ、戦前の時代劇「血煙高田馬場」の堀部安兵衛の疾走場面を髣髴とするところだ。まさかとは思うが。
2004年日本映画 監督・井口奈己
ネタバレあり
僕にとっては全くの新人と言って良い女性監督・井口奈己の作品で、自作の8mm映画を35mmにリメイクしたものという。
持ち主の留学で1年その留守宅を預かる榎本加奈子が、犬猿ならぬ犬猫の仲である幼馴染・藤田陽子と同居する羽目になる。性格は合わぬが好きになる男性タイプがいつも同じで、陽子は加奈子と競ってゲットした記者・西島秀俊の家を飛び出してきたという経緯がある。
そして、加奈子はコンビニのバイト仲間・忍成修吾君と仲良くなりたいなあと思っている矢先に、陽子と一緒にいるところを見てしまう。これは全くの偶然なのだが、かくしてそりの合わない二人は何時まで一緒に暮らすのでありましょうか。
ヌーヴェルヴァーグ、それもトリュフォー的な洒落っ気があるのではないかという気がする。
二人は違うようで実はかなり似た者らしく、監督は何箇所か相似場面を用意している。例えば、同一の家を訪ねる時のカット割りが同じで、犬に引きずられて土手から落ちるところまで同じなのだが、その時家では陽子君が相性の悪い飼い猫を探している。つまり、加奈子君は猫で、陽子君は犬ということらしいのだ。それが解ればこの映画はOKてな感じである。
それほど不真面目ではない今風の女の子二名の生態のコントラストと相似を対位法的に描いて面白い感覚を示している。加奈子君が走っている場面の撮影が映画的にはハイライトだろうが、相似場面でもある陽子君が土手を走る場面はもう少し長ければ、戦前の時代劇「血煙高田馬場」の堀部安兵衛の疾走場面を髣髴とするところだ。まさかとは思うが。
この記事へのコメント
あはは、、、ごめんなさいです。そういう、映画の手法のようなもの、ぜんぜんわからないので、お恥ずかしい限りです。
でもこれ、言われてみれば、あの2人が犬と猫。でも、言われるまで、わからなかった、、、
あたしは、猫なんですケド、、、
またよろしくお願いしますね。
どちらが猫でどちらが犬か作者が意図的に分らせたがっていることが分ると、楽しい映画です。
後の細かいことは私のような暇人に任せていればOKですよん。
私の場合は、普通の人の日常を描いた作品を観る場合どうしても映画の中に入るよりは外から観ることになりがちです。要は、構成、作り方、カメラワークばかり気にすることになりますが、この作品はトリュフォーの「家庭」みたいな洒落っ気を感じました。一部のレビューで述べられているように、単に<そこにある現実を捉えた>セミ・ドキュメンタリー的な作品とは思えません。井口さんは、最後の対位法的なカットバックにより、二人のどちらが犬でどちらが猫であるか懸命に観客に教えたがっているような気がしました。でも、それを指摘した人は今のところ私しかいませんねえ。