映画評「七人の侍」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1954年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり

日本映画最高峰と言われる黒澤明の代表作。

始めて観た高校2年の時こそ満足しなかったが、それ以外はいつ観ても「素晴らしい」との感慨を漏らすことになる。

欠点はある。黒澤のくどさ、あるいはお節介焼きというべきか、鑑賞者に考えさせるべきところを台詞にしてしまっている。例えば、三船敏郎扮する百姓出身の偽侍・菊千代が本物の侍が百姓の悪口を言うのに堪え切れず百姓とはかくたるものだと叫んでしまう場面がある。侍のリーダーである勘兵衛(志村喬)は涙を流しながら「お前、百姓だな」と洩らす。黙っていたほうが余程深い味が出る場面とは言えないだろうか。
 幕切れで生き残った勘兵衛が「勝ったのは百姓だ」という台詞も「なくもがな」である。感慨は観客に任せれば良かったのだ。

といったように小さな瑕疵は色々とあるのだが、七人七様の侍の人物像の描き方には惚れ惚れさせられる。七人が集まるシークェンスが長いと言っているようでは、黒澤が本作を作った所期の狙いが全く分かっていないことになる。厳密に言えば多少は詰められるかもしれないが、最低必要限の長さであると言って差し支えないだろう。

日本映画を代表するアクション映画としての位置付けをされることもあるが、これはリアリズムに裏打ちされたドラマの秀作である。語弊はあるが、アクションが言わば味付けなのである。味付けに過ぎないアクションが映画史に残るほど素晴らしい出来栄えなので誤解を招いていると言っても過言ではない。もはや言うことなし。

この記事へのコメント

ジューベ
2005年12月27日 21:28
こんばんは。こちらからもTBさせていただきました。
黒澤映画の中でも,特にこの作品はエネルギーがあって,多少のアラは押しきってしまう力があると思います。
また,黒澤作品はストレートなわかりやすさも特長で,おっしゃる通り余計なことを言い過ぎるかもしれませんが,だからこそ世界中にファンが多いのではないかと思います。
オカピー
2005年12月28日 14:22
ジューベさん、コメント有難うございます。
全く仰る通りです。私がかつて本館で「黒澤明は大衆的である」と言ったのは正にそういうことでした。
一方で、「生きる」や「天国と地獄」などでは、終盤のくどさが無視できないレベルに達しています。特に「生きる」は惜しい。世間的には抜群に高い評価を受けていますが、私はその部分により減点は避けられないと思っているのです。
ぶーすか
2006年08月05日 20:37
<アクション映画ではなくドラマだ
アクションあり、ロマンスあり、コメディーあり、人情ドラマありのこれでもか!と盛り沢山な名作だと思います。
<黒澤明のくどさ
これは晩年の作品になればなるほど、残念ながら感じてしまう部分です。でもこの作品はそれに比べればまばまだ私には全然許せる範囲です。そんなのにこだわって観るのがもったいないくらいダイナミックでわくわくさせられる作品だと思います…ってコメントに反論したくなりましたが、オカピーさんも満点だしているから、いうまでもないですねー^^;)。
モカ次郎(日本映画 監督篇~黒澤明~)
2006年08月06日 00:37
オカピーさん、こんばんは。コメントでは初めまして、ですm(_ _)m。
TBどうもありがとうございました。

他の黒澤作品もTBさせていただこうとしたのですが、サーバーの不調か?うまくいきませんでした。

的確で素晴らしい映画評ですね。参考にさせていただきます(マネは到底できませんが 汗;)。

七人の侍はコンパクトに内容を紹介するのが難しくて(いや億劫で^^;)未だ書けないでいます。
今のところ、製作過程の紹介のみUPしています。
一旦全作品紹介を終えたら、内容の紹介を追加する予定にしています。

黒澤映画だけを語るにしても、これは一生のテーマ(ライフワーク)になりそうです。
観るたびにあらたな発見もあるでしょうし・・・。
「黒澤明」を看板にさせてもらってる以上、もっと掘り下げた内容の記事も必要ですしね。

「狭く浅く」からせめて「狭く、少し深く」へと進歩していきたいです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
オカピー
2006年08月06日 02:37
ぶーすかさん、こんばんは。
どんな素晴らしい作品にも多少の欠点はあるもので、100点満点なら90点までしか付けないことにしていますが、仰るとおり「七人の侍」で指摘した欠点は欠点とも言えないレベルのものです。
ただその部分が大きくなると、黒澤の最大の欠点であるくどさに繋がるということも指摘しておかなければならないでしょう。
世界の名画です。
オカピー
2006年08月06日 03:03
モカ次郎さん、初めまして!
黒澤明専門のブログですか。私もヒッチコックを独立させようかな。
Livedoorとは相性が悪いのですが、Livedoorからこちらはできるはずですので、またトライしてみてください。TB戴けないと、こちらからはできないんです。
私の映画評は、その映画の持つ本質を探りたい一部の人にはそれなりに好評ですね。ありがたく思っています。
いつもはもう少しストーリーらしきものも書くのですが、「七人の侍」クラスになると短評の中で書くのもバランスが悪いような気もしましたし、改めて語るまでもないだろうと思いまして省略しました。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。
モカ次郎
2006年08月06日 21:42
オカピーさん、こんばんは。
コメントありがとうございました。
TBですが、やはりうまくできません。
あるツールを使ってるのですが、昨日から私のブログの情報が取得できなくて、送信以前の問題でTBができないんです(涙)。
TBのやり方はそのツールを使った方法しか知らないもので...(汗;)
原因を調べて、なんとか対処してみます。

> 私もヒッチコックを独立させようかな。
映画感想・レビューは乱立してるので、特化した内容のほうがその分野で上位になりやすい、と思いまして...そのような理由で、私はあえて黒澤映画ブログとおすすめ映画ブログに分けてみました。
オカピーさんならヒッチコックのNO.1ブログが作れると思います。ただ内容が良くても、アクセスが集まるブログにするのは難しいですね。

長々とすみません。それでは、また...失礼致します。
丑四五郎
2006年08月22日 19:23
はじめまして、丑四五郎とモーします。
モカ次郎さんやぶーすかさんのところへお邪魔したらこちらを見つけてやってまいりました。『七人の侍』の深読み分析を動画で楽しんでいただくHPとブログを作りましたので、よかったら一度お越しください。
またTBさせていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
ちなみに「お前百姓の生まれだな」の台詞がないと、菊千代は外に飛び出すことは出来ない、というのが私の分析です。最後の台詞も深読みして、これは文字でHPに書いてみましたので、ご参照下されば幸いです。
オカピー
2006年08月23日 02:25
丑四五郎さん、初めまして。
上の文章は、実は流れがあってこれだけ読むとまあおかしな具合になっていますが、私の気持ちの一部ではあります。私の考える正当なレビューとも少し違います。
台詞に関しては恐らく仰るとおりなのでしょうが、私はどうも映画を文学的に解釈するのは<映画レビュー>の正道ではないと思い、映画的な作りを重点的に視るので、黒澤明は全体的にくどいという印象から始まることが多いのです。勿論敬愛していますよ。
また、<レビュー>とその他の映画評論や映画研究文は別と考えます。だから、表面的なことしか書いとらんではないかと思われるでしょうが、レビューはとりあえずそれで良いのだと思うわけであります。
丑四五郎
2006年08月23日 17:12
ブログにもコメントいただきありがとうございます。お返事は私のブログでコメントしましたのでご覧になってみてください。
ただ、舌足らずではっきりしない日本映画より、くどい位の黒澤流の方が実生活でもお手本になり好きだ、と私は感じます。
また、監督は現場でシナリオの解釈を言葉でスタッフ・キャストに説明できないと撮影が進まないという現実がございます。ですから、『黒澤ゼミ』では演出家は役者に求める感情を監督の文学的アドバイスで引き出し、盛り上げるわざが必要、という演出論を基本に解説していこうと思います。『羅生門』のときなどは、チーフ助監督が理解できない、と降りてしまいました。
賛否両論大歓迎と黒澤監督もおっしゃってましたし、映画をはさんで人の交流が生まれれば、それが作品にとって一番の幸せ。
これからもよろしくお願いいたします。
オカピー
2006年08月24日 01:03
丑四五郎さん、こんばんは。
8点で名作というところを満点を付けたわけですから満足しているわけですが、まああら捜しみたいなものです。他の作品も8点以上が多く、黒澤監督は平均点では世界でも最高クラスですね。
意見は違っても耳を傾けることが大事。その上での議論は大変有意義なものと思っています。こちらこそ宜しくお願い致します。
2006年08月24日 01:58
オカピーさん はじめまして。知識も分析力も全然ありませんので
笑えるようなバカみたいな質問をしてしまうかもしれませんが
平にご容赦くださいませ。(^_^);
『七人の侍』はNHKで【SAMURAI 7】(サムライセブン)として
アニメで放映されているので初めて見ました。ここでは菊千代は
機械の侍として描かれていますが、百姓をかたる場面は同じようですね。
私は恥ずかしながら、『七人の侍』はまだみておりません。。
んん。。やはり、見るべき気持ちが強くなってきました。(笑)
失礼しました。
オカピー
2006年08月24日 18:23
ベスちゃんさん、初めまして。
私は「SAMURAI7」はタイトルを聞いたことあるだけで観たことはありません。そんな場面まで踏襲されているとは、正にリメイクですね。
とりあえずは、素直にのびのびと観てそのまま語れば良いと思いますよ。ご覧になったら感想をお聞かせください。
2006年08月30日 21:27
オカピーさん お邪魔致します。
やっと見てみました。 それにしてもあんなに長い作品
だとは思っていませんでした。
当時では多分すごい迫力だったのではないでしょうか。
三船敏郎が若すぎて出てきたところが判りませんでした。ToT
すごく元気な演技というか、コミカルというか、走り回る
飛び回る、三船敏郎とは思えません。(笑)
衣装も髪型もお百姓さんそのもの、ぼろぼろでばさばさ・・
私には、だれることなく見れて長くは感じませんでした。
せっかく集まった侍たちに感情移入したのに、あんなに
あっけなく、ばさばさ倒れていくなんて。。今とは全く
違った演技でストレートで唐突な感じも受けました。
特にもならない人助けで命をかけて、生き残った者の
いいようのない気持ちはなんともいえません。。。
オカピー
2006年08月31日 01:07
ベスちゃんさん、こんばんは。
黒澤明監督は、人間がいかに卑小なものであるかを描き続けた作家故に、あれだけ緻密に人間像を描き、そしてあのアクションを作り上げたのだと思っています。
CGやワイヤーアクションの映像を見ても凄いとは余り思わないですが、全ての実写で実際に人間が躍動するアクションは寧ろ今だから迫力を感じます。
そしてあの幕切れ。結局誰が勝っても戦いは空しいものだという余韻が残っていましたね。
私の本館で2年前の今頃大論争がありましてね、原稿用紙100枚分くらいの大論文を書いてしまいました!
菊千代ファン
2006年10月27日 14:33
「貴様百姓の生まれだな」
この台詞がないと、なぜ菊千代が怒ったのか
普通の人はわからないですよ。
それに、どなたが書いておられましたがこの台詞が図星だったため
菊千代はいたたまれなくなって外に飛び出すわけです。
ないと、飛び出すきっかけがなくなります。

(あるいは、繰り返し見た人には菊千代が百姓の生まれである事は既知ですから、余計な台詞と感じられるのかも)
この映画で気になる台詞は私には一箇所だけです。
「みんな固くなっとる。少しほぐさんといかんなあ。」
後半は説明しすぎ、なくてもよかったと思います。
これも、何度も繰り返して見たせいかもしれませんが。
オカピー
2006年10月28日 00:28
菊千代ファンさんは、こんばんは。

>普通の人はわからないですよ。
普通の人の頭脳はそんなレベルですか。それはちと寂しいですね。そのレベルの人に、この作品の真価が解るとは思えないのですが・・・。
私は初めて観た時菊千代が偽侍であることはすぐわかりましたよ。あんなデタラメな剣術はありえない。黒沢監督も意図的にそうさせていましたね。

>ないと、飛び出すきっかけがなくなります。
確かにより良いきっかけにはなっていますね。betterではあると思いますが、絶対的にその台詞が必要だったとも今の段階では思えないです。いつかは変わるかもしれません。

いずれにしても些細な欠点です。
菊千代ファン
2006年10月29日 15:11
>菊千代が偽侍であることはすぐわかりましたよ
そうですね。
菊千代は勘兵衛に
最初から「おぬし、侍か?」と問われてますし
家系図を盗んできた時点で彼が「偽侍」である事は、はっきりします。
でも彼が「百姓の生まれ」であるかまではわかりません。
勘兵衛に、仕事を引き受けさせる決意をさせた
人足と同類かもしれません。
オカピーさんが、初見から彼が「百姓の生まれ」であることまで
見抜かれていたとしたら、大したものです。
(皮肉ぽくなってすいません)
オカピー
2006年10月29日 19:22
菊千代ファンさん

>でも彼が「百姓の生まれ」であるかまではわかりません。

一つ。大事なのは、彼が偽侍であること。百姓であろうと人足であろうとそこに大差はありません。
ただ、<映画の公式>から言えば、彼は「百姓」でなければらない。

もう一つは歴史的な解釈。
ここで言われている<百姓>は身分であって、職業ではありません。戦国時代、貴族、武士、百姓(そして商工者)が身分(出身階級)です。あの地区に大量の商工者がいるとは思えませんから、人足の身分は99%百姓でしょう。

それ以前に、それは仮に欠点だとしても評価に影響を与えるほどのものではないと既に述べているのですから、余り議論する価値のある問題とも思われません。

黒沢のくどさがほどほどに留まっているうちは、大衆的な作り方であり、私もそれが世界的な名声を得た理由だと思っているので、決して否定はしません。しかし、それが色々な作品で、特に後期になると顕著になることは、疑いの余地のない事実であろうと思います。
トム(Tom5k)
2009年12月02日 23:46
オカピーさん、こんばんは。
何だか、とんでもない記事をアップしてしまいました。
最近、黒澤作品をたくさん見ていたので、ドロンと三船敏郎のことを書きたくなってしまったのでした。
それにしても、この二人の関係は、とても不思議な取り合わせです。
>味付けに過ぎないアクションが映画史に残るほど素晴らしい出来栄え・・・
なりほどねえ、確かに黒澤らしいヒューマニズムが溢れていますので、おっしゃるとおりでしょうね。
オカピーさんの書評を読んで、今思ったのですが、黒澤作品のアクションが素晴らしいのは、武士道におけるヒューマニズム(武士道という思想には賛否両論ありますが)が、貫徹していること、そして、その武士のアクションが極めてリアルであるから・・・つまりアクションそれ自体がヒューマニズムと一体化しているのではないかと・・・。
オカピーさんは、どう思われます?
アラン・ドロンではないけれど、かっこいいんですよね。
では、また。
オカピー
2009年12月03日 01:21
トムさん、こんばんは。

>ドロンと三船敏郎
読ませていただきました。
非常に面白いですね。トムさんみたいな特化したブログも良いなあ。

>味付けに過ぎない・・・
というのは多少大袈裟にしても、闘いが眼目ではありませんよね。
あれを眼目だと思うから、途中が長いと感じる勘違いを引き起こしてしまう。

>アクションが極めてリアルであるから
そうなんでしょうね。
先日「徳川家康」と「反逆児」という東映時代劇を二本観ましたが、やはりアクションが様式的なんです。
黒澤明のリアルさは行きすぎたリアリズムではなく、あくまで“映画的なリアルさ”であるわけですが、これが僕らには一番現実的に、説得力があるように、つまり生活感情・・・黒澤作品においてはヒューマニズムと言い換えてもいいでしょうが・・・を伴っていると感じられる所以という気がしますね。

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