映画評「テイキング・ライブス」
☆☆(4点/10点満点中)
2004年アメリカ映画 監督D・J・カルーソー
ネタバレあり
サスペンスというよりはサイコ・スリラーで、監督はD・J・カルーソー。この監督は初めてなのでお手並み拝見と行こう。
20年前のカナダ、マーティンという若者が家を出て数日後母の許に彼の死亡報告が届く。
現在、工事現場で白骨化した遺体が発見され、絞殺された上に両腕を切断されるという猟奇性にモントリオール警察はFBI特別捜査官アンジェリーナ・ジョリーを招聘。彼女は犯人像のプロファイルの専門家で、真犯人に肉薄していくが、その折新たな猟奇殺人が発生し、画商イーサン・ホークが目撃者として名乗り出る。
開巻直後のエピソードで、マーティンなる若者が似たような体躯の人間に成り代わって20年間過ごしていることはすぐに理解され、これが題名の由来であるが、画商が出てきてからは全くいけません。
まず警察が間抜けなことこの上ない。実際には脚本(ジョン・ボーケンカンプ)が間抜けなのであるが。例えば、警察が警護しているはずのイーサンの前に彼の商売相手で容疑者キーファー・サザーランドがいとも簡単に現れ「警察が外で見張っている」などと言わせている。彼がどうやって入り込んだか描写もしないのではサスペンスの名がすたる。サスペンスよりショックのほうに重きを置いたのだろうが、映画の作り方にこれほど整合性が欠けると苦笑するしかない。
その後案の定事件が起きるのだが、ここで観客をだます時に映画がやってはいけないインチキが大々的に行われるのである。勿論それは種明かしの段階で分かるのだが、この類のトリックは三人称の視点では撮ってはいけないというのが映画の常識。例えば、「サイコ」にはこうしたインチキなトリックは一切ないのである。
最低限の約束事を破るのだから興醒めもいいところだが、さらに用意された最後の場面が噴飯ものである。20年も他人に成りすまし生きてきた賢いはずの真犯人があんな馬鹿げた罠にかかるのだから。
原作はマイケル・パイの小説だが、原作もこれくらい馬鹿げているのか・・・是非読みたいものである。
2004年アメリカ映画 監督D・J・カルーソー
ネタバレあり
サスペンスというよりはサイコ・スリラーで、監督はD・J・カルーソー。この監督は初めてなのでお手並み拝見と行こう。
20年前のカナダ、マーティンという若者が家を出て数日後母の許に彼の死亡報告が届く。
現在、工事現場で白骨化した遺体が発見され、絞殺された上に両腕を切断されるという猟奇性にモントリオール警察はFBI特別捜査官アンジェリーナ・ジョリーを招聘。彼女は犯人像のプロファイルの専門家で、真犯人に肉薄していくが、その折新たな猟奇殺人が発生し、画商イーサン・ホークが目撃者として名乗り出る。
開巻直後のエピソードで、マーティンなる若者が似たような体躯の人間に成り代わって20年間過ごしていることはすぐに理解され、これが題名の由来であるが、画商が出てきてからは全くいけません。
まず警察が間抜けなことこの上ない。実際には脚本(ジョン・ボーケンカンプ)が間抜けなのであるが。例えば、警察が警護しているはずのイーサンの前に彼の商売相手で容疑者キーファー・サザーランドがいとも簡単に現れ「警察が外で見張っている」などと言わせている。彼がどうやって入り込んだか描写もしないのではサスペンスの名がすたる。サスペンスよりショックのほうに重きを置いたのだろうが、映画の作り方にこれほど整合性が欠けると苦笑するしかない。
その後案の定事件が起きるのだが、ここで観客をだます時に映画がやってはいけないインチキが大々的に行われるのである。勿論それは種明かしの段階で分かるのだが、この類のトリックは三人称の視点では撮ってはいけないというのが映画の常識。例えば、「サイコ」にはこうしたインチキなトリックは一切ないのである。
最低限の約束事を破るのだから興醒めもいいところだが、さらに用意された最後の場面が噴飯ものである。20年も他人に成りすまし生きてきた賢いはずの真犯人があんな馬鹿げた罠にかかるのだから。
原作はマイケル・パイの小説だが、原作もこれくらい馬鹿げているのか・・・是非読みたいものである。
この記事へのコメント
確かにそうですね。(^o^)/
>感覚的なそれ(プロファイラー)
仰る通り!
しかし、後半がいけませんや。
途中の展開も隙間だらけですが、何と言ってもあの幕切れの間抜けぶりには言葉を失いました(笑)。
他人に入れ替わって 生きる真犯人 異常なんですが
日本では無理でしょうね 案外日本でもこんなやついるかも・・・
色々なアイデアを出したのは良いけど、収拾がつかなくなってしまったような映画でした。
>他人に入れ替わって
日本も他人との関係が薄くなってきたので、やってやれないこともないような気がしますが、アメリカは社会保障番号しか拠り所がないので日本よりはずっとやりやすいでしょうね。
子供のころ親に嫌われて疎まれてみたいに育ち
自分の人格を他人に成りすます
アメリカでは社会保障番号あれば 他人に入れ替われる
簡単すぎですよね
>似たような映画が何作かあったかと
思いますが、タイトルが出てきません。
社会保障番号に関してはコンピューター絡みの作品で色々と細工されて困るケースが幾つもありましたね。
邦画「砂の器」の音楽家は、戦火で焼かれた戸籍を再生する際にデタラメを申告して、実在しない人間になり済ましました。