映画評「お葬式」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1984年日本映画 監督・伊丹十三
ネタバレあり

1984年に日本に突然天才監督が登場した。伊丹十三である。元々俳優として十分名の知られた存在であり、それ以上に戦前の天才監督・伊丹万作の息子ということで、デビュー作とは言え注目度は高かったが、期待以上の腕前を披露したのがこの作品である。20年ぶりの再鑑賞。

男優・山崎努が女優である妻・宮本信子の父親の急死で、急遽葬式の仕切ることになるが、式の手順やら僧侶との対応など分からぬことばかりで目を白黒、やがて親類縁者どもが次々と押し寄せ、さらには愛人までも姿を見せてんやわんやの大騒ぎの果て、何とか義父の骨を収めて一同を見送る。

色々と注目すべきところのある作品で、まず【葬儀のやり方のすべて】といったマニュアル的要素が挙げられる。この映画から既に伊丹監督作品=マニュアル映画という公式は作られていたことになる。その後この路線を継承する脚本家(一色伸幸など)が現れ、日本映画にハリウッド的娯楽映画が続々と現れるようになる。その意味でもこの作品は後世に残る作品と言って良い。

それから人間観察の面白さと確かさがある。お経の間人々が足をもじもじさせたり、子供たちが喧嘩したりするのはよく見かける風景だが、何と言っても傑作なのは、死人の兄に扮する大滝秀治の言動で「死体は北枕」と言っていつまでも方角を確認している場面など抱腹絶倒だ。

「マルサの女」以降の作品に比べてオフ・ビート感が強く、バランスを崩しているのではないかと思える部分もあるが、初演出としては全く上出来と感嘆せざるをえない。監督夫人だった宮本信子も抜群。

この記事へのコメント

viva jiji
2006年07月06日 14:04
この傑作はずーっとずーっともう一度(観れば4回目)観たいと思い続けてレンタル屋さんから帰る頃、「あら、また忘れたわ!」作品なのです。伊丹十三はもし私の知り合いだったら金輪際つきあいたくないキャラ(彼のエッセイは総て読了、前夫人の時から彼のファン!)ですがプロフェッサーのおっしゃる通り稀に見る「天才」であり「根性なし!」です。「タンポポ」を愛でる方は多いのですが私は絶対この「お葬式」!“高瀬春菜とのシーンは、いらない”とかゴチャゴチャ言われてますが本作の全シーン、ことごとく「にっぽん人の」「お葬式の」「映画」そのものです!
オカピー
2006年07月06日 21:14
viva jijiさん、こんばんは。
私も「タンポポ」派なのですが、公開された時は「お葬式」のキネマ旬報1位に対し「タンポポ」はベスト10圏外でやや残念だった記憶があります。かのImdbでもアカデミー賞を取った作品が高く評価されるのを見ても、やはり皆さん権威には弱い。それだけ作品を見抜く自信がないから、寄らば大樹の陰になってしまう。故に「たかがベスト10、されどベスト10」と思うところであります。
そこへ行くとviva jijiさんは映画を観るスタンスがはっきりしていてかつ正確で、素晴らしいです。どしどしコメントを寄せてくださいね。
最近コメント欠乏症なんです。
蟷螂の斧
2020年04月10日 20:22
こんばんは。僕はこの作品が好きです。

>「死体は北枕」と言っていつまでも方角を確認している

身内が亡くなる。葬儀に関して喪主もわからない事が多くて詳しい人に教えてもらう。よくある光景です。

>シベリアの永久凍土が解けた場合に未知の細菌やウィルスが活性化する

そうなんですか!やっぱり温暖化は良くないというのが改めてわかりました。

>農協がネックになることが多い

これもまた色々教えて下さい。勉強になります!

>吹き替えの出来が悪いと作品そのものが酷評されてしまう

一時期流行った俳優として有名な人(声優の経験は、ほとんど無い。)を使う。良くなかったのでは?
オカピー
2020年04月11日 10:09
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>身内が亡くなる。葬儀に関して喪主もわからない事が多くて
>詳しい人に教えてもらう。よくある光景です。

2011年に母が急死した時、父親が前年から入院中だったもので、我々兄弟は右往左往しました。

>やっぱり温暖化は良くないというのが改めてわかりました。

温暖化の原因を二酸化炭素排出に一元化することはできないものの、二酸化炭素の層に温室効果があるのは、温暖化が問題になる前から確定していることなので、削減すれば他に理由があるとしても当然プラスに働く。
 トランプのように経済優先でアンチ二酸化炭素排出削減を持論とする人は、温室効果を全く無視しています。問題です。

>一時期流行った俳優として有名な人(声優の経験は、ほとんど無い。)
>を使う。良くなかったのでは?

個人的には、不自然な話し方が目立つプロの声優より、スタジオジブリが起用するある意味下手な素人の方に本物らしさを感じるので、これについては必ずしも反対ではないのです。ジャンルによっては素人歓迎。
 問題は、一部に声優(の生活?)を守れというグループのようなものがあり、声優以外の人が当てたアフレコ・アテレコの巧拙を全く無視する傾向があり、こうした人々が本来の出来栄えを考慮することなしに断定的にあたかも作品そのものが不出来であるかのように批判することです。
 このグループの中には或いは当の声優の人もいるかもしれませんが、大概は無関係のファンでしょう。洋画を見る場合、TVはともかく、映画館では本物の声を聞くよう願います。昨今は吹き替えしか上映されないことがあり、これは余りにひどい。
 日本にも物凄く上手いビートルズのコピーバンドがいますが、いかに上手くても彼らを聴いたところでビートルズそのものを聴いたことにはならない、と言えば、ビートルズ・ファンの蟷螂の斧さんにはご納得戴けると思います。
蟷螂の斧
2020年04月12日 07:11
おはようございます。この映画で笑えたのは、高速道路をカーチェイスしながらサンドイッチを渡す場面です。ハラハラもします。

>日本にも物凄く上手いビートルズのコピーバンド

大変わかりやすい説明をありがとうございました。

>昨今は吹き替えしか上映されないことがあり

ガッカリしますよね。最初に見る時は、やっぱり吹き替え無しです。

>トランプのように経済優先でアンチ二酸化炭素排出削減を持論とする人

根っから商売人なのでしょう。
オカピー
2020年04月12日 21:42
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>この映画で笑えたのは、高速道路をカーチェイスしながら
>サンドイッチを渡す場面です。ハラハラもします。

そんな場面ありましたっけ。
寧ろ次作「タンポポ」を思い出させますね。

>>日本にも物凄く上手いビートルズのコピーバンド
>大変わかりやすい説明をありがとうございました。

蟷螂の斧さんは声優がお好きなので、少々コメントをためらいましたが。

>ガッカリしますよね。最初に見る時は、やっぱり吹き替え無しです。

そうですね。英語が完全には解らない人は、最初に原語版、続いて吹き替え、そしてもう一度原語版を観ることができれば、理想的。
 僕もある程度英語が解るとは言え、俗語はなかなか解りませんので、字幕に頼ります。原語での洒落は原語版でないと楽しめませんが、更に吹き替えで見らられば理想的だなあという作品はままあります。
蟷螂の斧
2020年04月13日 13:52
こんにちは。
この映画で有名な場面と言えば、山崎努が愛人高瀬春奈と・・・。そしてそれを知っている(?)宮本信子が丸太のブランコ。

>蟷螂の斧さんは声優がお好き

小学生の頃に洋画はテレビ(日本語版)から入りましたから、どうしても声優に関してあれこれ語りたくなってしまいますね(笑)。ショーン・コネリーと言えば若山弦蔵さん。クリント・イーストウッドと言えば山田康雄さん。

>最初に原語版、続いて吹き替え、そしてもう一度原語版

ジャッキー・チェンの映画はこのパターンでした。もっとも広東語は全くわかりませんが・・・(汗)。あっ、そう言えば「愛と青春の旅立ち」あたりから原語(英語)から入りましたね。そしてテレビで日本語版を聞くとガッカリしました。

>原語での洒落は原語版でないと楽しめません

そこなんですよ!そしてそれをうまく字幕にできる人って天才的です!
翻訳家で言えば誰でしょう?戸田女史?

>次作「タンポポ」

この映画もそのうち見たいです。
オカピー
2020年04月13日 19:08
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>小学生の頃に洋画はテレビ(日本語版)から入りましたから、

それも僕も同じですね。当時の洋画吹き替えの声優の名前はよく知っています。
 だから、アラン・ドロンが野沢那智よりぐっと低い声なのに驚き、やはり野沢那智の吹き替えたこともあるアル・パチーノががらがら声なのにはがっかりしたり。
「ウエストサイド物語」の大竹しのぶは違うのではないかと思いましたが、後年ナタリー・ウッドご本人を聞いたら意外と感じを出していたのに感心したことがあります。

>そしてそれをうまく字幕にできる人って天才的です!
時々うまく当てはまっている奇跡的な訳がありますね。
 一時戸田女史がメジャー映画を占領していましたが、最近は若手が色々と出てきました。現在の人気は、松浦美奈女史。彼女は上手いですよ。
蟷螂の斧
2020年04月14日 19:13
こんばんは。

>アラン・ドロンが野沢那智よりぐっと低い声なのに驚き、やはり野沢那智の吹き替えたこともあるアル・パチーノががらがら声

驚きますよねー!マニアックですが、「ロッキー」のトレーナーであるミッキー(バージェス・メレディス)の声が千葉耕市さん。これは同じような声で、一部のマニアが感心していました。

>「ウエストサイド物語」の大竹しのぶは違うのではないか
>意外と感じを出していた

そう言う例もあります。「卒業」のダスティン・ホフマンが高岡健二も然り。

>松浦美奈女史。彼女は上手いですよ。

なるほど。チェックしておきます。

>監督夫人だった宮本信子

奥さん(女優)を自分の作品で主役にしたがる監督っていますよね。旦那役は監督以外の男優。
オカピー
2020年04月14日 22:21
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>「ロッキー」のトレーナーであるミッキー(バージェス・メレディス)
>の声が千葉耕市さん。

第一作を初めて観たのは吹き替え版だったので、何となく声を思い出しますね。

>奥さん(女優)を自分の作品で主役にしたがる監督っていますよね

篠田正浩と岩下志麻、新藤兼人と乙羽信子が有名ですかね。最近では、石井裕也と満島ひかりがありましたが、もう離婚しました。
 海外では内縁夫婦が多く、ウッディー・アレンとミア・ファローなどが思い浮かびます。ジュールス・ダッシンとメリナ・メルクーリは多いですね。
mirage
2023年08月06日 23:50
今は亡き、伊丹十三監督。彼の映画監督作品を現在、再び観直している最中です。
その彼の作品の中で、最も素晴らしいと思うのは、やはり「お葬式」だと思います。

この映画「お葬式」は、日本という無宗教社会でのお葬式という儀式を通して、儀式の意味を問いかけ、人々の心の空虚さを、涙と笑いのうちに描いた伊丹十三監督の傑作だと思います。

この映画「お葬式」は、当時、個性派の俳優であり、優れたエッセイ等を数多く書き、多彩な才能に恵まれた伊丹十三の第一回監督作品ですね。

この映画を撮る前年に、彼の夫人の女優・宮本信子の父親が亡くなった際の葬儀を主宰して、彼は「これはまるで映画だ」と感じたと後に語っていましたが、この葬儀の間中、彼は冷たいカメラの目で、この映画の構想を練っていたのかも知れません。
しかし、彼ほどではなくても、葬儀に参列する人それぞれの心の中ほどわからないものはないような気がします。

「冠婚葬祭」のうち、「葬」という人間最後のお葬式だけをテーマに据えた映画は、外国映画を含めて恐らく今までなく、前代未聞ではないかと思います。
この「お葬式」は、誰もが参列者として一度は経験した事のある、そして、人間は必ず死ぬ事によってその対象となる、「お葬式」という日本独特の儀式の意味を問いかけている映画だと思います。

人生最後の最も厳粛であるべき死を司る「お葬式」が、誰が観ても面白く、思わず笑いがこみ上げてくるばかりか、お色気や淫猥さまで感じさせられるのは何故なのか? とこの映画を観終わって、ふと不気味な気持ちに襲われました。

世界各国それぞれに宗教は異るし、その集約された儀式である葬送を映画のテーマにする事自体、見方によっては不謹慎な問題なのです。
そのような映画が、当時の日本国内で面白く観られて評判が高かったのは、我が国での仏教というものが形骸化してしまっている事への、監督・伊丹十三の痛烈な風刺があったからだと思います。

もし、外国でこの映画が受け入れられるとすれば、その国での宗教が、我が国と同様に単なる儀礼に堕している事への批判になるのかも知れません。
しかし、考えてみると、我が国の仏教による「お葬式」ほど、本当の宗教心からかけ離れた儀式は、世界的にみても稀なような気がします。

この映画が喜劇的であり、面白いという事は、日本という無宗教社会での人々の心の空虚さを反映しているのだと思うし、にもかかわらず、この映画が変に説教臭くなく、色事のハプニングはあっても、スケジュール通りに進められる3日間の日常性を描いているところに、かえって無宗教な心の自由というものを感じさせてくれます。

しかし、重苦しい戒律で拘束された西欧社会では、このような、ある意味、不埒な自由は到底考えられないと思います。

日本映画と洋画との本質的な差異は、宗教的な社会が背景としてあるのかどうかであり、それが人間の個性に深く関係しているのではないかと日頃から思っています。

日本映画は無宗教なのに、"没個性的"、これに対して洋画は宗教的にして、"個性的"という気がしてなりません。

才人でもある伊丹十三監督は、きっとこのような宗教と自由の問題を心の奥底に秘めているのかも知れません。
そして、それを深刻に描かないところが素晴らしいと思います。

伊丹十三監督は、この映画の製作意図として、「この作品では、葬式というふるさとの儀式の中に突然投げ込まれた社会人たちの滑稽にして悲惨な混乱ぶりを、涙と笑いのうちに描きたい。私の目的はただ一つ。映画らしい映画を作りたい。ただそれだけです」と語っていて、ある意味、伊丹十三という非職業監督の映画的な成功は、彼の人間を見る目の奥深さからきているのだと思います。

また、「キャスティングは演出の仕事の半分」という彼の信条は、実父の伊丹万作監督の「百の演技指導も、一つの打ってつけの配役にはかなわない」という有名な言葉通り、この映画の一人一人の人物像が、我々のごく身近にいる人間のように生き生きと輝いているのは、まさに配役の妙以外の何物でもありません。

彼は「出演者の一人一人が主役だ」と語っているだけに、山崎努、大滝秀治、江戸屋猫八、財津一郎、高瀬春奈、友里千賀子とそれぞれに個性的でいい味を出しているし、特に、宮本信子、菅井きん、笠智衆、藤原釜足の演技が光っていて、強く印象に残りましたね。
オカピー
2023年08月07日 22:20
mirageさん、こんにちは。

>「葬」という人間最後のお葬式だけをテーマに据えた映画は、外国映画を含めて恐らく今までなく、前代未聞ではないか

葬式が重要なテーマとなっている映画はなくもないですが、それに終始する映画はちょっと思い浮かばないですね。

>日本映画は無宗教なのに、"没個性的"、これに対して洋画は宗教的にして、"個性的"という気がしてなりません。

そう思います。
西洋の社会とは違う、世間という社会、即ち村社会は、個人主義が入る余地が殆どないんですよね。日本流の冠婚葬祭は、見事に村社会の意識を内包しているように思います。村社会は宗教ではない宗教なのかもしれません。

>彼は「出演者の一人一人が主役だ」と語っている

考えてみると、伊丹監督作品のうち、純粋な群像劇は本作だけかもしれませんね。

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