映画評「太陽がいっぱい」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1960年フランス映画 監督ルネ・クレマン
ネタバレあり
フランスの数多い優れた映画作家の中でも最も優れた一人と言って良いルネ・クレマンが、ヌーヴェルヴァーグには負けじと作った会心作であり、アラン・ドロンの出世作として余りに名高い。
原作は、ヒッチコックの秀作「見知らぬ乗客」でも知られるパトリシア・ハイスミス(「才人トム・リプリー」)。
舞台はイタリア。アメリカ人のトム・リプリー(ドロン)が契約に則って富豪の子息である友人フィリップ(モーリス・ロネ)を連れ戻しに訪れるが、結局契約は破棄され、恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)といちゃつくフィリップには蔑まされる。怒り心頭に発したトムはフィリップをヨットで殺害、海中に遺棄し、サインを模倣して彼になりすまし、遂にはマルジュと婚約するに至るのだが・・・。
7回目か8回目か。もうはっきりしない。
ニーノ・ロータの音楽、アラン・ドロンのトム・リプリー、そして、アンリ・ドカエの撮影、どれが欠けてもこの作品はここまでの感銘を生み出すことは出来なかったであろう。
ルネ・クレマンは良質の犯罪映画を作ろうと徹底的に即実的な手法で犯罪場面を積み重ねていく。
しかし、見る者はここに上昇志向という名の野望の悲しみと空しさを見出す。余りにも太陽がまぶしく、空が海が青いから。スクリューに引っ掛かり浮かび上がったフィリップの腕は観客の心臓を掴む。その腕がリプリーを自分の世界へと招くように感じ震え上がる。束の間の幸福そして突然の挫折。これほど戦慄を覚える幕切れは他に観たことがない。
1960年フランス映画 監督ルネ・クレマン
ネタバレあり
フランスの数多い優れた映画作家の中でも最も優れた一人と言って良いルネ・クレマンが、ヌーヴェルヴァーグには負けじと作った会心作であり、アラン・ドロンの出世作として余りに名高い。
原作は、ヒッチコックの秀作「見知らぬ乗客」でも知られるパトリシア・ハイスミス(「才人トム・リプリー」)。
舞台はイタリア。アメリカ人のトム・リプリー(ドロン)が契約に則って富豪の子息である友人フィリップ(モーリス・ロネ)を連れ戻しに訪れるが、結局契約は破棄され、恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)といちゃつくフィリップには蔑まされる。怒り心頭に発したトムはフィリップをヨットで殺害、海中に遺棄し、サインを模倣して彼になりすまし、遂にはマルジュと婚約するに至るのだが・・・。
7回目か8回目か。もうはっきりしない。
ニーノ・ロータの音楽、アラン・ドロンのトム・リプリー、そして、アンリ・ドカエの撮影、どれが欠けてもこの作品はここまでの感銘を生み出すことは出来なかったであろう。
ルネ・クレマンは良質の犯罪映画を作ろうと徹底的に即実的な手法で犯罪場面を積み重ねていく。
しかし、見る者はここに上昇志向という名の野望の悲しみと空しさを見出す。余りにも太陽がまぶしく、空が海が青いから。スクリューに引っ掛かり浮かび上がったフィリップの腕は観客の心臓を掴む。その腕がリプリーを自分の世界へと招くように感じ震え上がる。束の間の幸福そして突然の挫折。これほど戦慄を覚える幕切れは他に観たことがない。
この記事へのコメント
ヌーヴェルヴァーグ作品を多く手がけたドカエの撮影であるところがミソでしょうか。あえてサスペンス性を強調せず,クールに引いて眺めるような感じが何とも良く,また色調も独特で,強烈な日差しと海の青さが脳裏に焼きついています。
そして,何といってもアラン・ドロンのあの屈折した眼差し。これと比べられてはマット・デイモンが気の毒かなと思います。
この作品の幕切れは悲しくて仕方がありません。いくら悪いことをしても若い人が破滅してしまうことには、目を覆ってしまいます。最近のわたしはホリエモンとこの作品がダブっています。
「リプリー」は原作には近いのかもしれませんが、やはり味気なかったですね。確かに、デイモンとドロンでは、比較になりません。ドロンはやはり下層階級の出身で、その辺りから凄みがにじみ出ていましたね。
>Tom5kさん
どこかで「どうして海外へ脱出しないんだ」なんて疑問を見かけましたが、トムは手段として犯罪を選んだのであり、犯罪の完遂が目的だったわけではないので、全くナンセンス。その意味では、犯罪映画と書いたのは私の過ちですね。最後は(表現としてどうかと思いますが)総毛立ちます。
ホリエモン・・・なるほど。今回の逮捕は、政府とは別の国家権力の犠牲になったとも言えますね。
なんといっても、終盤に浜辺のデッキチェアで至福の時をかみしめるトムの表情!!!なんとも刹那的な幸福・・・
日本人はこの作品が大好きですね。私の映画音楽No.1でもあります。
あのラストは本当に何とも言えないですね。犯罪者とは言え、嗚呼。
「太陽がいっぱい」ほどメジャーではないですが…邦題と出演者が似ている「太陽が知っている」もちなみに好きだったりします^^;)。
来月NHKBSで「リプリー」が放送されますねー。本家と比べると劣るのは否めないですがこちらもなかなか面白かったのでまた観たいと思ってます。
アンリ・ドカエはヌーヴェルヴァーグの象徴的撮影監督でしたから、それを旧世代のルネ・クレマンが使ったところに映画史的に大変大きな意味があるのです。そして、「仁義」を作ったジャン=ピエール・メルヴィルは旧世代ですが、ヌーヴェルヴァーグの連中を刺激した監督でした。
ところで、99年のアメリカのリメイク(未見)は出演者の顔ぶれをみると、ジュード・ロウのトムの方が面白いような気がするんですが、実際は逆なんですね。
抜群に優れた犯罪サスペンスです。
しかし、それだけならここまで庶民の間で語り継がれることはなかったでしょう。
アラン・ドロンという憂愁のある美青年の存在。
ニーノ・ロータの憂いのある音楽。
これが暗さに共感を覚えることが多い日本人の心の琴線に触れたのでしょう。本作の評価が一番高いのは日本だと思います。
>リメイク
ジュード・ロウはイギリス的すぎるんですね、恐らく。
しかし、かと言ってマット・デーモンには殺人をやらかすダークさが本来ない。「ボーン」シリーズで訳ありエージェントを演っていますが、未だに違和感があります。とほほな配役でした。
あの風貌は日本人の心をくすぐらないと私は踏んでいます(笑)。
ドロンが素晴らしいのは言うまでもないですが、僕も最近はモーリス・ロネの良さが解ってきましたね。
原作にあったはずのアメリカ時代をバサッとカットしたのが正解、そこにドロンとロネという卓抜した容姿とムードをもった役者を起用したことで、野望の虚しさと悲しみが浮き上がる名作になったわけですねえ。
原作ではもっと露骨に同性愛関係が叙述されているようですが、本作ではそれを描かず解る人には解る程度にしたのも正解だったのでしょうね。露骨に描いたら焦点がぼけてしまいます。
>近年のヨーロッパ映画は元気がない
公開数は増えているのですが、欧州映画らしい大衆映画が殆どない。大衆映画となるとハリウッドもどきですから最早欧州映画と言えないですしね。
音楽や、イタリアの景色がすばらしい。陽光が明るいからとても残酷な幕切れに見えるんですね(完全にアラン・ドロン寄りの見方になってますが)
>アメリカ人
子供の頃観た時は二人がアメリカ人とは思わず、見ていましたね。それを知って観直すと、外国人であることは解るように作られていました。
>陽光が明るいからとても残酷な幕切れに見える
この作り方ではどうしてもアラン・ドロンの主人公トムに傾倒して観てしまいますね。モーリス・ロネの死体の腕がアラン・ドロンを掴むように見える幕切れにはぞっとさせられます。