映画評「太陽が知っている」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1968年フランス映画 監督ジャック・ドレー
ネタバレあり

この作品が作られた頃アラン・ドロンは殺人事件の重要参考人だったらしい。それはともかく、この作品には「太陽がいっぱい」の影がある。

ドロンは成功した実業家で、プールのある別荘で愛人ロミー・シュナイダーをはべらせている。が、そこへ彼女の前の彼氏モーリス・ロネが娘ジェーン・バーキンを連れて訪れる。ロネは嫉妬の余りドロンを挑発し、逆上したドロンに殺されてしまう。警察の捜査をうまくかわした彼は冷めかけていた愛人の気持ちも繋ぎとめる。

一人の女性を巡る二人の男という関係は「太陽がいっぱい」を彷彿とするが、あそこまで胸を締め付けられるような悲しき野心は描かれない。
 ジャック・ドレーの展開ぶりはムードに流れがちで切れ味に乏しいが、実生活でドロンとロミーが別れた後だった環境のせいか、二人の描写にアンニュイなムードが漂っている。

この記事へのコメント

トム(Tom5k)
2010年09月26日 15:01
オカピーさん、こんにちは。
またまた、映画的でない記事をアップしてしまいました。
アラン・ドロンの当時のスキャンダルを確認していくと、何だか怖くなってきますよ。自伝や伝記などで将来的に新事実が発覚することなどは、ファンとしては、好奇心いっぱいですが、1960年代の後半時点での彼と彼の作品公開のリアリティは、現在いくらDVDで彼の作品を観ても、その緊張感は体感し切れません。
当時のファンがうらやましいです。俳優がやくざになったのではなく
、やくざが俳優をやっているなどと皮肉られていたことは、うらを返せば彼のリアリズムの表現に帰結するような気もします。
では、また。
オカピー
2010年09月27日 00:06
トムさん、こんばんは。

vivajijiさんやシュエットさんは多分その時代を知っていますよね。^^
僕は3年くらい遅かった。

>やくざが俳優をやっているなどと
7月に「映画は映画だ」という韓国映画で、やくざを演じる俳優と俳優を演ずるやくざを交錯させ、二人の男のアイデンティティを探るという趣向がありました。劇中の映画監督がリアリティを求めた結果なんですけどね。
トムさんには韓国映画のイメージが余りありませんが、案外面白いかもしれません。

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