映画評「マーニー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1964年アメリカ映画 監督アルフレッド・ヒッチコック
ネタバレあり
アルフレッド・ヒッチコック長編第49作。
ウィンストン・グレアムの小説を映画化したものだが、ヒッチコックとしては銀幕復帰を噂されたグレース・ケリーをマーニー役に起用する前提で起こした企画らしい。
出世作「暗殺者の家」以降のヒッチコック作品群は<巻き込まれ型>と<精神異常もの>に二つに大別出来、後者はさらに<異常者顛末型>と<精神分析型>に分けられると思うが、本作は「白い恐怖」と同様<精神分析型>に属する。こちらは<赤い恐怖>ですかな。山口百恵は出てきませんがね。
まず開巻で、歩く女性の背中を捉えたカメラの移動速度が遅くなりやがて彼女の全身が現れるプロローグが抜群。
その女性マーニー(ティッピ・ヘドレン)は様々な偽名を駆使して所属する会社から金を盗んでは姿を消す常習犯で、若いマーク(ショーン・コネリー)が社長を務める会社にも採用されて金庫に目をこらす。
そんなこととはつゆ知らぬ会社の人間が金庫の秘密をばらしてしまう辺りもなかなか面白いが、この後に本作最高のサスペンス・シーンが待っている。つまり、金庫から盗もうとしている彼女を右側に捉え、左側では掃除婦が徐々に近づいてくる、という場面で、時間をかけて誠にハラハラさせられるのだが、言わぬが花の落ちもある。
マークは彼女の正体に最初から気付いていて警察に届けない代わりに彼女を無理矢理妻に迎えてしまうが、彼女が赤い色と雷を異常に怖がり、さらに新婚旅行で彼女が体を許せない女性と知ると、精神科医よろしくその原因を探り出そうとする。
傑作「鳥」の後だけに余り評判の芳しくなかった作品で、確かに中だるみを感じないでもないが、それは脚本の台詞と脇役の役者が今一つ面白くないことが主な原因で、ヒッチコックの演出はそれほど低調ではないように感じる。
例えば、黒→金→茶→金というヒロインの髪の色の変化が絶妙で、色彩の効果による面白さがある。
競馬場の場面で彼女を知る人間が現れ、執拗に正体を暴こうとする、ヒロインの心境に立脚したサスペンスがあるが、マークは全て察しているので結局何も起こらない。これは観客に肩透かしを食らわせるヒッチお得意の演出。
彼女が再び夫の会社から盗難を働こうとする場面から始まる長いクライマックスには勿論目が釘付けになる。
但し、幼少年期に形成されたトラウマが後の犯罪性向を形成するというお話はTVで随分作られているので、今見ると型通りと感じられるかもしれない。そこは40年も前の作品なので、ハンディを付けて観てやってください。
1964年アメリカ映画 監督アルフレッド・ヒッチコック
ネタバレあり
アルフレッド・ヒッチコック長編第49作。
ウィンストン・グレアムの小説を映画化したものだが、ヒッチコックとしては銀幕復帰を噂されたグレース・ケリーをマーニー役に起用する前提で起こした企画らしい。
出世作「暗殺者の家」以降のヒッチコック作品群は<巻き込まれ型>と<精神異常もの>に二つに大別出来、後者はさらに<異常者顛末型>と<精神分析型>に分けられると思うが、本作は「白い恐怖」と同様<精神分析型>に属する。こちらは<赤い恐怖>ですかな。山口百恵は出てきませんがね。
まず開巻で、歩く女性の背中を捉えたカメラの移動速度が遅くなりやがて彼女の全身が現れるプロローグが抜群。
その女性マーニー(ティッピ・ヘドレン)は様々な偽名を駆使して所属する会社から金を盗んでは姿を消す常習犯で、若いマーク(ショーン・コネリー)が社長を務める会社にも採用されて金庫に目をこらす。
そんなこととはつゆ知らぬ会社の人間が金庫の秘密をばらしてしまう辺りもなかなか面白いが、この後に本作最高のサスペンス・シーンが待っている。つまり、金庫から盗もうとしている彼女を右側に捉え、左側では掃除婦が徐々に近づいてくる、という場面で、時間をかけて誠にハラハラさせられるのだが、言わぬが花の落ちもある。
マークは彼女の正体に最初から気付いていて警察に届けない代わりに彼女を無理矢理妻に迎えてしまうが、彼女が赤い色と雷を異常に怖がり、さらに新婚旅行で彼女が体を許せない女性と知ると、精神科医よろしくその原因を探り出そうとする。
傑作「鳥」の後だけに余り評判の芳しくなかった作品で、確かに中だるみを感じないでもないが、それは脚本の台詞と脇役の役者が今一つ面白くないことが主な原因で、ヒッチコックの演出はそれほど低調ではないように感じる。
例えば、黒→金→茶→金というヒロインの髪の色の変化が絶妙で、色彩の効果による面白さがある。
競馬場の場面で彼女を知る人間が現れ、執拗に正体を暴こうとする、ヒロインの心境に立脚したサスペンスがあるが、マークは全て察しているので結局何も起こらない。これは観客に肩透かしを食らわせるヒッチお得意の演出。
彼女が再び夫の会社から盗難を働こうとする場面から始まる長いクライマックスには勿論目が釘付けになる。
但し、幼少年期に形成されたトラウマが後の犯罪性向を形成するというお話はTVで随分作られているので、今見ると型通りと感じられるかもしれない。そこは40年も前の作品なので、ハンディを付けて観てやってください。
この記事へのコメント
映画の「タイトルのそのまま付け」はあまり好きではありません。
それでも良い時もあるのですが、これはちょっとなんだかわからない様な気がします。
オカピーさんではないですが、それこそ「赤い恐怖」とかの方がいいですよね。
手抜きかなぁと思ってしまいます。
横文字や英文そのままは良くないですねえ。「マーニー」などは人名ですのでやむを得ないと言えないこともないですが、最近の映画の横文字の氾濫には怒っていますよ。数年前より若干改善されつつあるような気もしますが、「プライドと偏見」はやはり「自負と偏見」でないと気に入りません。
わたしも、タイトルの安易さが気になっています。
タイトルは作品のイメージにつながりますから、特に邦題は原題との兼ね合いや作品の内容から充分考えて欲しいところです。
『マーニー』は怖い映画でしたね。ヒッチコックの作品は40年代から70年代までの古い作品ですが、今の日本によく当てはまってしまうような気がして、それがまた、怖いです。
やはり題名は入り口ですからね。先日観た「クライモリ」という映画も「暗い森」でも良いのじゃないかと思ったりしました。
ヒッチコックを観ていると、今の映画監督が(映画作りに関して)殆ど何にも考えずに映画を作っている感さえ抱かせます。ヒッチコックは何故怖い映画を作るのかという質問に対して「怖いものが嫌いだから」と答えています。人間洞察の名人でもありました。
ヒッチコック自身が納得していない展開らしいので、FROSTさんがそう思われるのはさもありなんですが、Imdbを観ますと意外と評価が高いですね。どこが今の人に受けるのかなあ。
当時はスターシステムがまだ残っていましたから、製作会社の関係で気に入らない役者を押し付けられることがあり、様々な作品で相当不自由を蒙ったようですね。本作ではティッピが使えたのでそれほど不機嫌なヒッチではありませんけど、ショーン・コネリーは必ずしも期待に添えなかったようです。
結局その二つがサスペンス映画としては花でしょうね。
>音がない
なるほど。バーナード・ハーマンと組んでからサスペンス場面では必ず派手な音楽をつけていたヒッチですが、確かにあの場面は音がありませんね。こっそり盗む場面で音楽があるのは変かもしれませんが、この辺りの彼の触覚はやはり尋常ではないですね。