映画評「突然炎のごとく」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1961年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり

贔屓中の贔屓フランソワ・トリュフォーの長編第3作は、文学以上に文学を感じる大傑作である。劇中歌「つむじ風」もお気に入り。

第一次大戦前夜のパリ、ドイツの文学青年ジュール(オスカー・ウェルナー)とフランスの文学青年ジム(アンリ・セール)が意気投合、やがてカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)なる天衣無縫な女性に共に恋するが、世界大戦では仇同士となる。戦後ジムはライン川に程近い山荘で、カトリーヌと結婚して一子を儲けたジュールと再会する。
 というのが前半の物語であるが、髯をかいたカトリーヌが歩行者をからかう場面や三人が橋の上で競走をする場面の躍動感が印象に残り、全体にトリュフォーらしい軽妙さが際立つ。

後半はいよいよ心理ドラマとして本格的に展開するのだが、まずカトリーヌとの仲が冷えこんだジュールがジムに妻を譲ろうという提案が目を引く。
 フレンドリーな三角関係は映画史上ここに初めて扱われたと言って良いと思うが、ジュールが妻を譲るのは彼女を物理的に繋ぎ止めたいという、一種超越した心理なのが誠に興味深く、彼こそが主人公であり、友情と三角関係が同時に成り立つのは彼故である。全編を彩るナレーションは原作者アンリ=ピエール・ロシェと考えられるが、実質的にジュールとみなして支障ない。

彼女は奔放で、2人以外にもアルベールという愛人がいることにジムは苦悩してフランスの恋人に戻ろうと決意、行き詰まったカトリーヌはジムを車に乗せ壊れた橋を走って心中する。ジュールは二人を弔う。

心理ドラマはサスペンス的であるから通常クローズアップと細かいカットが多用されるのだが、トリュフォーは映画に柔らかい表情を与える為にロングショットと移動撮影を多用する。
 一番素晴らしいのは、一階で読書しているジムを捉えたカメラが上にパンすると、二階でジュールとカトリーヌがいちゃついている。再び下にパンすると、既にジムは本を読んでいない、という1カット。ジムは二人の行動に気付き、心の平静を失ったのだ。ここは3カットの繋ぎでやってもある程度は効果が出るだろうが、表情は硬くなるし、これほどエモーショナルにはなるまい。

映像表現の限界、部分的には最高の文学を超えているとさえ感じさせ、もはや陶酔感に身を任せるしかない。

この記事へのコメント

viva jiji
2006年12月24日 21:06
マイ記事にコメントありがとうございました。
「過小評価」の面に関して私の敬愛する辻邦生氏が書いたものを
抜粋したサイト記事を見つけました。(↓)

http://sky.freespace.jp/harington/bungaku/a030515.html

お時間のあります時にでも読んでいただければ。

つづきます。
viva jiji
2006年12月24日 21:07
◎ジュールはホッとした感もあったのではないか、の件。
あの棺桶が入れられるシーンと相まって映される彼の顔、
あの虚脱と不可解さの入り混じったような表情をどう理解するか。
私は“ホッとした”という感想は持ち得なかったのですが。
それと「妻を譲る」という表現でくくられるのは、どうも。
ジュールはカトリーヌのしたいようにさせることが彼の愛情の
表現だったのです。(こういう男性も、いますよ)
「譲る」という表現の根底には妻(女性)を所有しているという
思惑も見えますけれど。
ロシェの原作は未読ですが、こと本作でのトリュフォーの映像表現の
中では特にジュールは所有(独占)欲の混在した愛情ではなかったと
観ました。
しいて言えばジムのほうにその傾向が強いのではないでしょうか。
凡人のジムが非凡人のカトリーヌの炎に油を注いだのでしょう。
オカピー
2006年12月25日 03:08
viva jijiさん、こんばんは。

私は、親友と元妻を永久に結び付けられたという安堵があったのではないかと。深層心理としてそういう部分があったと思ったのですが、先ほど最後だけ見直したらナレーションが「重荷を下ろしたような気持ちになった」と言っていました。その【重荷】が何を指すのかは依然両義的ですが。

【譲る】という単語が不適切なら特に拘泥はしませんが、彼らは同居しながら自由に関係を変えていく。つまり、所有権は片方にありながらも占有権は留保されている・・・民法的に言うとそんな感じではないでしょうか。
作風に詩的ながらも観照的に行動を見つめるといった無機質なところがある。ジュールは「結婚してくれ」ジムに言いますが、(フランスの法律は知りませんが一般的に)女性の再婚は6ヶ月待たないと出来ない。といったことを考えた末に自ずと出た単語です。
(続く)
オカピー
2006年12月25日 03:14
所有欲がないことに異論はありません。しかし、「離れたくない」という思いは、所有権はなくともそばにいたい、つまり限定的占有権は放棄したくない、といったところなのではないかと思った次第です。言葉の遊びかな。

この三人の関係については、優一郎さんの得意分野のような気がします。逃げた(笑)。

>辻邦生氏の文章
ご紹介、有難うございました。
トリュフォーのことですからすぐに読みました。さすがに作家は表現がうまいです。
内容は言うことないです。涙ものです。
トム(Tom5k)
2010年05月02日 14:09
オカピーさんは、この作品を撮っていたラウール・クタールが、ドロンのノワールを撮っていたことをご存じだったでしょうか?
以前から、不思議で不思議で、仕方がなかったんですが、最近、自分なりの答えが見つかったような気がして、記事にしてみました。

>映像表現の限界、部分的には最高の文学を超えているとさえ感じさせ、もはや陶酔感に身を任せるしかない。
全く、ヌーヴェル・ヴァーグが素晴らしいと言わざるを得ない素晴らしい表現でした。
では、また。
オカピー
2010年05月02日 23:34
トムさん、こんばんは。

>ラウール・クタール
いいえ、知りませなんだ。
知っていたとしても、トムさんのように疑問には思わなかったかもしれないなあ。

>ヌーヴェル・ヴァーグ
僕にはトリュフォーは別格ですしね。
トムさんは憶えていらっしゃるかなあ、カットではなくパン(ティルト)で一階と二階の様子を捉えたエモーショナルなショット。

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