映画評「イブの三つの顔」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1957年アメリカ映画 監督ナナリー・ジョンスン
ネタバレあり
ジョアン・ウッドワードはポール・ニューマン夫人というだけでなく、堅実な演技を誇る名女優であるが、今では知る人も少ないだろう。これは彼女が1957年度アカデミー主演女優賞を輝いた作品だが、日本での劇場公開は見送られた。
同じ57年に作られたアルフレッド・ヒッチコック監督の「間違えられた男」と共通項が多い。50年代初めに起きた実話であること、共に監督若しくは製作者が解説をしてから始まること、セミ・ドキュメンタリーであることなどだが、偶然というのには符合が多すぎてちょっと苦笑させられた。
1950年代前半ジョージア州、イヴ・ホワイト(ジョアン)という内気でおどおどした主婦が夫に付き添われて病院を訪れるのが始まり。派手は衣服を購入したり娘の首を絞めたり異常な行動が目立つようになる一方で、記憶が飛ぶ現象に苦しんでいたのだが、ルーサー博士(リー・J・コッブ)は二重人格と判断する。
当時はまだ多重人格の研究は充実を見ず、対処法が必ずしも巧く行くとは限らなかったわけで、夫は主婦業放棄とみなして離婚する。
派手で遊び好きなイヴ・ブラック(笑えますな!)なる人格が登場するところが見せ場で、ジョアンの変身演技は力演だが、アル中・麻薬中毒と並んでオスカーを獲り易いと言われる精神病演技なので、素直に誉めたい気にはなれない。彼女は他の作品でもっと良い演技を何度も披露しているし、オスカーは好演より力演に賞を与える感心できない傾向がある。
さて、実話なので軽々しく言ってはいけないのだが、ホワイトとブラックが互いに消し合おうとしている最中に第三の人格が現れ、彼女自身がジェーンと名付ける辺りからいよいよ核心に近づき面白くなってくる。第三者から観て最も信頼出来る大人の女性という風情で、実は彼女こそこの女性の本当の姿。ジェーンの一つの言葉からそれを察したのはルーサー博士の殊勲で、幼年時代に死んだ祖母に無理矢理キスさせられたのがトラウマとなり、二つの別の人格を生み、本来の人格が消えていた、ということが判明する。
結局彼女は子供を引き取り再婚してハッピー・エンドを迎えるのだが、ナナリー・ジョンスン監督はセミ・ドキュメンタリーとしてそつなく作っているという程度で、映画としてはジョアンとリー・J・コッブの演技を観るべき作品である。
1957年アメリカ映画 監督ナナリー・ジョンスン
ネタバレあり
ジョアン・ウッドワードはポール・ニューマン夫人というだけでなく、堅実な演技を誇る名女優であるが、今では知る人も少ないだろう。これは彼女が1957年度アカデミー主演女優賞を輝いた作品だが、日本での劇場公開は見送られた。
同じ57年に作られたアルフレッド・ヒッチコック監督の「間違えられた男」と共通項が多い。50年代初めに起きた実話であること、共に監督若しくは製作者が解説をしてから始まること、セミ・ドキュメンタリーであることなどだが、偶然というのには符合が多すぎてちょっと苦笑させられた。
1950年代前半ジョージア州、イヴ・ホワイト(ジョアン)という内気でおどおどした主婦が夫に付き添われて病院を訪れるのが始まり。派手は衣服を購入したり娘の首を絞めたり異常な行動が目立つようになる一方で、記憶が飛ぶ現象に苦しんでいたのだが、ルーサー博士(リー・J・コッブ)は二重人格と判断する。
当時はまだ多重人格の研究は充実を見ず、対処法が必ずしも巧く行くとは限らなかったわけで、夫は主婦業放棄とみなして離婚する。
派手で遊び好きなイヴ・ブラック(笑えますな!)なる人格が登場するところが見せ場で、ジョアンの変身演技は力演だが、アル中・麻薬中毒と並んでオスカーを獲り易いと言われる精神病演技なので、素直に誉めたい気にはなれない。彼女は他の作品でもっと良い演技を何度も披露しているし、オスカーは好演より力演に賞を与える感心できない傾向がある。
さて、実話なので軽々しく言ってはいけないのだが、ホワイトとブラックが互いに消し合おうとしている最中に第三の人格が現れ、彼女自身がジェーンと名付ける辺りからいよいよ核心に近づき面白くなってくる。第三者から観て最も信頼出来る大人の女性という風情で、実は彼女こそこの女性の本当の姿。ジェーンの一つの言葉からそれを察したのはルーサー博士の殊勲で、幼年時代に死んだ祖母に無理矢理キスさせられたのがトラウマとなり、二つの別の人格を生み、本来の人格が消えていた、ということが判明する。
結局彼女は子供を引き取り再婚してハッピー・エンドを迎えるのだが、ナナリー・ジョンスン監督はセミ・ドキュメンタリーとしてそつなく作っているという程度で、映画としてはジョアンとリー・J・コッブの演技を観るべき作品である。
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