映画評「ミリオンダラー・ベイビー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2004年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり、未見の人読むべからず
監督としての評価が不動になったクリント・イーストウッドの、2004年度アカデミー作品・監督・主演女優・助演男優賞受賞作。
イーストウッドが経営し自らトレーナーを務めるボクシング・ジムに、31歳の女性ヒラリー・スワンクが「弟子にしろ」と押しかける。幾つかのボクシング哲学を持つ彼は最初は固辞したものの、相手の頑固さに遂に弟子入りを認め、たちまちのうちに彼女を女子トップクラスの選手に育て上げ、ラスヴェガスでの世界タイトルマッチに漕ぎ着ける。
ここまでが、言わば二部構成である本作の第一部といったところで、注目すべき第一は、ジムの雑用係をしている元ボクサーのモーガン・フリーマンがナレーションをしていることで、彼が一体誰に語っているのかということは映画のテーマを考える上で極めて重要である。
老トレーナーには実は音信不通になっている娘がいる一方で、ヒラリーは父親を失った家族(母、妹とその子、服役中の弟)をウェイトレスをして養いながらボクサー修行中。老トレーナーが彼女を受け入れたのもそうした背景があり、中盤の二人は擬似父娘を演じていたわけである。
さて、分量としては些か少ない第二部は内容ががらりと変わる。
優勢に試合を進めていたヒラリーがダーティファイターであるチャンピオンに不意打ちを付かれ倒れた際に頚椎を痛め、全身不随になってしまうのである。
イーストウッドが信心深くて毎週教会に通っている意味がここで増してくるが、結局彼にとって宗教はかかる難しい問題にまるで無力で、ある決意をしなければならない。それを実行した彼は忽然と姿を消し杳として行方が知れなくなる。
これはフリーマンがイーストウッドの娘への手紙で語った内容であることが判るのが話の妙であるが、構成のバランスに些か疑問がなくもない。後半をかかる神妙な物語にするなら前半の尺数をもう少し減らした方が落ち着きが良くなり、主題も明確となっただろう。ただ僕が好きなのは断然、哲学的な含蓄のある台詞が多い第一部なのだ。
ヒロインの練習風景を捉えた、明るい背景に人物のシルエットが黒く浮かび上がる逆光のショットが実に美しい。イーストウッドを含めて出演陣はいずれも好演。オスカー受賞が伊達じゃないところを見せる。
イーストウッド作品としては、勿体ぶってもたれるところがあった「ミスティック・リバー」よりは好みである。
2004年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり、未見の人読むべからず
監督としての評価が不動になったクリント・イーストウッドの、2004年度アカデミー作品・監督・主演女優・助演男優賞受賞作。
イーストウッドが経営し自らトレーナーを務めるボクシング・ジムに、31歳の女性ヒラリー・スワンクが「弟子にしろ」と押しかける。幾つかのボクシング哲学を持つ彼は最初は固辞したものの、相手の頑固さに遂に弟子入りを認め、たちまちのうちに彼女を女子トップクラスの選手に育て上げ、ラスヴェガスでの世界タイトルマッチに漕ぎ着ける。
ここまでが、言わば二部構成である本作の第一部といったところで、注目すべき第一は、ジムの雑用係をしている元ボクサーのモーガン・フリーマンがナレーションをしていることで、彼が一体誰に語っているのかということは映画のテーマを考える上で極めて重要である。
老トレーナーには実は音信不通になっている娘がいる一方で、ヒラリーは父親を失った家族(母、妹とその子、服役中の弟)をウェイトレスをして養いながらボクサー修行中。老トレーナーが彼女を受け入れたのもそうした背景があり、中盤の二人は擬似父娘を演じていたわけである。
さて、分量としては些か少ない第二部は内容ががらりと変わる。
優勢に試合を進めていたヒラリーがダーティファイターであるチャンピオンに不意打ちを付かれ倒れた際に頚椎を痛め、全身不随になってしまうのである。
イーストウッドが信心深くて毎週教会に通っている意味がここで増してくるが、結局彼にとって宗教はかかる難しい問題にまるで無力で、ある決意をしなければならない。それを実行した彼は忽然と姿を消し杳として行方が知れなくなる。
これはフリーマンがイーストウッドの娘への手紙で語った内容であることが判るのが話の妙であるが、構成のバランスに些か疑問がなくもない。後半をかかる神妙な物語にするなら前半の尺数をもう少し減らした方が落ち着きが良くなり、主題も明確となっただろう。ただ僕が好きなのは断然、哲学的な含蓄のある台詞が多い第一部なのだ。
ヒロインの練習風景を捉えた、明るい背景に人物のシルエットが黒く浮かび上がる逆光のショットが実に美しい。イーストウッドを含めて出演陣はいずれも好演。オスカー受賞が伊達じゃないところを見せる。
イーストウッド作品としては、勿体ぶってもたれるところがあった「ミスティック・リバー」よりは好みである。
この記事へのコメント
あ、私もミスティックリバーよりこっちの方が好きです。
どちらもやりきれない現実を残酷なまでに描いてはいても、こっちの方が含蓄があるというか悲しみが深いというか・・・
光と影の描写はすばらしかったですね♪
ジムの中で黙々とトレーニングするマギーの姿がとても印象的でした
本当にお早いですね。
「ミスティック・リバー」はよく言えば重厚ですが、主題が余りに形而上的になりすぎ、要は高尚過ぎて一回観ただけではピンと来ないと言いますか。こちらもかなり精神的な部分もありますが、高尚なりに分りやすいですね。それでもアイリッシュの精神性とか、突き詰めて行くと色々ありそうですが・・・
イエーツは昔、かなり読んだことがあります。荒地の詩人ですが、主人公はマギーに、イエーツのもっと先にまで、踏み出す覚悟を求められます。
TBが文字化けしているようですが、ニックネームをクリックしていただければ、リンクできると思います(笑)
イェーツは知名度に比して、読まれる方が日本では少ないのではないかと思っていましたので、些か驚きました。アイルランドの作家では、ジョイスを少しかじったくらいです。私も後学の為にも読んでみたいと思います。
gooとwebry blogは相性が悪いようで、文字化けしてしまうようですね。文字化けはこれまでずっと削除してきた(殆どはスパムだと思いますが)のですが、今回は気になって辿ってみたわけです。何かご縁もあるようですので、他の記事も読ませて戴きます。
ケルト文化との関わりって劇中で引用されていたイェーツの詩だったんですね。ケルト文化の美術系は好きでちょこっとカジったりしてましたが、文学や詩はサッパリでイェーツも名前ぐらいしか知りませんした。でも引用の詩でケルトっぽさをあまり感じなかったので、この作品と「ケルト文化との関わり」に全然気がつきませんでした^^;)。オカピーさんの御指摘で勉強になりましたー。
ケルト文化については、刺青など色々とありましたよ。恐らく主人公はアイルランド系という設定だったはずです(記憶なし)。
私はフリーマンが誰に語っていたのか、というトリックに感心致しました。これを指摘している人はそれほどいませんが、この作品の一番のファインプレーではないでしょうか?
フランキーとマギー、親子に似た絆が出来ましたね "常に自分を守ること" を教訓を教えたり レモンパイの話 マギーの死んだパパと飼っていたワンちゃんのエピソード等
「愛する者よ、お前はわたしの血だ」 "モクシュラ"意味が重いです。自分の分身じゃなければ言えない内容ですね。
それに ひきかえ ミズーリに住んでいるマギーの家族はひどい。
家を買ったのに 見向きもしない。 マギーの家族たちはマギーが光輝いていた"闘士"の姿を見ようとしなかった・・その姿が ホントの"ミリオン・ダラー"なのに
「あとは 残ったものを しっかり 守らないと・・・」だと(怒り) ホントに 守らなけれはならないのは マギー だろうが(`Ш´) そんなマギーに 「恥さらしもいいとこ」とか「負けは負けだろ」とか ・・・
マギーを最後まで守ったのは トレーナーのフランキーだけ。 彼女の尊厳を守るための 安楽死・・・悲しかった
大分前に観たきりで、詳細は忘れたところがあるので、概論的に語りたいと思います。
9・11が起きた後アメリカ映画界に家族を見直そうという気運が生まれ、殆どの映画が家族の再生を描きましたが、本作は家族の関係とはそう簡単なものではないよと訴えたところに光るものがあったと思います。時には疑似家族のほうが強い絆で結ばれることもある、しかし・・・という作品でありました。
モーガン・フリーマンがただのナレーターではなく、イーストウッドの娘に宛てた手紙という種明かしにも深いものがあり、感慨深い作品でしたね。