映画評「オープニング・ナイト」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1978年アメリカ映画 監督ジョン・カサヴェテス
ネタバレあり
ジョン・カサヴェテスは映画青年に人気のある監督だが、若干うるさい通俗ファンに過ぎない僕がそれほど惹かれるタイプではない。この作品は10年くらい前に観ていたが、すっかり忘れていてまた付き合うことになってしまった。
大物舞台女優ジーナ・ローランズが彼女の熱烈な女性ファンである少女ローラ・ジョンスンの事故死を目撃してしまう。事故以来彼女は少女の幻影に悩まされ、中年になった自らの年齢をひどく意識して新作「第二の女」の年齢設定に関して原作者ジョーン・ブロンデルと対立、練習で台詞を勝手に変えて演出家ベン・ギャザラを怒らせ、製作者を心配させる。
初日を前に少女の幻影と対決して負傷し、家族のいない寂しさを夫役カサヴェテスに紛らわせ、泥酔した挙句に開幕を迎えるが、様々なピンチは共演者が巧く誤魔化す。そして、関係者の心配をよそに新作は、即興的な展開が喜劇的な味を生み出し、絶大な拍手をもって閉幕する。
内容を考えると144分というのは些か長く、もやもやした映像は眠気を誘いかねないが、ワンカット・ワンシーン的な凝視的な長廻しが演技者には勿論観客にも演劇的な緊張感をもたらす。
長い上映時間の半分近くは舞台もしくは練習風景を捉えた劇中劇により占められるが、初日のスタート直後舞台の奥から舞台前面と観客席を捉えるのは関係者の不安を観客の反応を通して描くという意図だろう。
演劇的に動きの停滞した映画は嫌われるが、逆に意図的に演劇そのものを映画に仕込んだ作品の場合は必ずしも当てはまらない。
序盤に出演者の顔をわざわざ紹介するのは、本作が<演劇的な映画>を目指していることの宣言であろう。
大物女優の、個人としてまた演技者としての不安や苦悩が、かかる演劇的な手法とジーナ・ローランズの的確な演技により表現され、ずっしりと手応えが残る。
1978年アメリカ映画 監督ジョン・カサヴェテス
ネタバレあり
ジョン・カサヴェテスは映画青年に人気のある監督だが、若干うるさい通俗ファンに過ぎない僕がそれほど惹かれるタイプではない。この作品は10年くらい前に観ていたが、すっかり忘れていてまた付き合うことになってしまった。
大物舞台女優ジーナ・ローランズが彼女の熱烈な女性ファンである少女ローラ・ジョンスンの事故死を目撃してしまう。事故以来彼女は少女の幻影に悩まされ、中年になった自らの年齢をひどく意識して新作「第二の女」の年齢設定に関して原作者ジョーン・ブロンデルと対立、練習で台詞を勝手に変えて演出家ベン・ギャザラを怒らせ、製作者を心配させる。
初日を前に少女の幻影と対決して負傷し、家族のいない寂しさを夫役カサヴェテスに紛らわせ、泥酔した挙句に開幕を迎えるが、様々なピンチは共演者が巧く誤魔化す。そして、関係者の心配をよそに新作は、即興的な展開が喜劇的な味を生み出し、絶大な拍手をもって閉幕する。
内容を考えると144分というのは些か長く、もやもやした映像は眠気を誘いかねないが、ワンカット・ワンシーン的な凝視的な長廻しが演技者には勿論観客にも演劇的な緊張感をもたらす。
長い上映時間の半分近くは舞台もしくは練習風景を捉えた劇中劇により占められるが、初日のスタート直後舞台の奥から舞台前面と観客席を捉えるのは関係者の不安を観客の反応を通して描くという意図だろう。
演劇的に動きの停滞した映画は嫌われるが、逆に意図的に演劇そのものを映画に仕込んだ作品の場合は必ずしも当てはまらない。
序盤に出演者の顔をわざわざ紹介するのは、本作が<演劇的な映画>を目指していることの宣言であろう。
大物女優の、個人としてまた演技者としての不安や苦悩が、かかる演劇的な手法とジーナ・ローランズの的確な演技により表現され、ずっしりと手応えが残る。
この記事へのコメント
所謂ダブル・プレイ=劇中劇が楽しめますね。即興的な台詞が大受けする辺り、映画の中の作者がお気の毒でありました。