映画評「ロープ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1948年アメリカ映画 監督アルフレッド・ヒッチコック
ネタバレあり
アルフレッド・ヒッチコック第34作。
アメリカで実際にあった殺人事件をモチーフにパトリック・ハミルトンが起こした舞台劇を映画用に脚色して作られた異色スリラーで、実際の事件をベースに作られた「強迫/ロープ殺人事件」やそのリメイク「完全犯罪クラブ」もある。「模倣犯」はそのヴァリエーションと言って良い。
二人の頭脳明晰な男ジョン・ドールとファーリー・グレンジャーが自らの優越性を示す為だけに同期生を絞殺し、道具箱に詰める。
その箱が置いてある部屋でやがてカクテル・パーティーが始まり、その中には被害者の両親もいて、さらに箱をテーブルに見たてて食事までする。ところが、パーティーが終った後彼らの理論に影響を与えた教授ジェームズ・スチュワートに彼らの異常な犯罪が見破られてしまう。
というお話は、死体の上で食事をしたり、ネズミを絞め殺す話をしたり、本をロープで縛る、といった異常性の積み重ねでかなり面白いが、この作品がヒッチコック最大の問題作である所以はそれには全く関係がない。
映画を実際に観られた方ならお気付きであろうが、ヒッチは80分の長編をワン・カットで撮るという離れ業に挑戦したのである。実際にはプロローグの1カットと、本編の2カット、計3カットの1シーンで組み立てられているが、1カットで映画を撮ることがどれくらい離れ業かと言うと、野球で27のアウトを全て三振で取ることに匹敵するであrろう。
まずフィルムは1巻約10分であるから物理的に1カットで撮る事は不可能。それをヒッチコックは人物の後ろ姿のアップで繋げることで誤魔化した。
それ以上に難しいのは、スタッフの作業である。僅かなミス(例えばスタッフのフレーム・イン、同時録音時の関係ない音の発生)が一巻を丸ごとに無駄にしてしまう。映画俳優にとっても簡単なことではないが、舞台俳優なら10分くらい何ということはないはずだ。
しかもヒッチコックは映画の進行と一致する時間経過を如実に示す為に大きな窓から外が見える舞台(スタジオ撮影、背景は書割り)をわざわざ用意し、夕方から夜にかけての1時間半の外の刻々たる変化を表現しているが、結論から言うとこの部分が一番気に入った。ライティングの苦労は想像を絶する。
さて、この無謀とも言える挑戦には功罪がある。
功は、何と言っても、映画が完全にリアルタイムに進行すること、役者に緊張感が与えることである。
また映画に舞台的な効果が与えられるが、これは映画殊にスリラー映画にはマイナス。ロングショットばかりを使うわけには行かないので、舞台のように瞬時に全体の空間が把握出来ず、人物や物を繋いでいくうちに無駄が生じ、ひいては観客に緊張感を失わせかねない危険性をはらむ。ショックは連続性の中からは生みにくい、ということもよく分る。
だからと言ってこの作品に価値がないということにはならない、それどころか、ワンカットで映画を撮る時に発生する問題を示して後世に名を残した。言い換えれば、映画の良し悪しはカット編集の巧拙によりほぼ決まるという映画の本質を如実に示した<偉大なる失敗作>なのである。
因みに、ビデオを使えば物理的には簡単にワンカットの作品を作ることができる。ヒッチコック以来それに挑戦したのがアレクサンドル・ソクーロフ監督「エルミタージュ幻想」。撮影は大変だっただろうが、美術好きな方が大きな美術館を巡っている時に覚えるかもしれないタイム・スリップ感覚を表現したような内容故に、違和感なく面白い作品になっていた。
1948年アメリカ映画 監督アルフレッド・ヒッチコック
ネタバレあり
アルフレッド・ヒッチコック第34作。
アメリカで実際にあった殺人事件をモチーフにパトリック・ハミルトンが起こした舞台劇を映画用に脚色して作られた異色スリラーで、実際の事件をベースに作られた「強迫/ロープ殺人事件」やそのリメイク「完全犯罪クラブ」もある。「模倣犯」はそのヴァリエーションと言って良い。
二人の頭脳明晰な男ジョン・ドールとファーリー・グレンジャーが自らの優越性を示す為だけに同期生を絞殺し、道具箱に詰める。
その箱が置いてある部屋でやがてカクテル・パーティーが始まり、その中には被害者の両親もいて、さらに箱をテーブルに見たてて食事までする。ところが、パーティーが終った後彼らの理論に影響を与えた教授ジェームズ・スチュワートに彼らの異常な犯罪が見破られてしまう。
というお話は、死体の上で食事をしたり、ネズミを絞め殺す話をしたり、本をロープで縛る、といった異常性の積み重ねでかなり面白いが、この作品がヒッチコック最大の問題作である所以はそれには全く関係がない。
映画を実際に観られた方ならお気付きであろうが、ヒッチは80分の長編をワン・カットで撮るという離れ業に挑戦したのである。実際にはプロローグの1カットと、本編の2カット、計3カットの1シーンで組み立てられているが、1カットで映画を撮ることがどれくらい離れ業かと言うと、野球で27のアウトを全て三振で取ることに匹敵するであrろう。
まずフィルムは1巻約10分であるから物理的に1カットで撮る事は不可能。それをヒッチコックは人物の後ろ姿のアップで繋げることで誤魔化した。
それ以上に難しいのは、スタッフの作業である。僅かなミス(例えばスタッフのフレーム・イン、同時録音時の関係ない音の発生)が一巻を丸ごとに無駄にしてしまう。映画俳優にとっても簡単なことではないが、舞台俳優なら10分くらい何ということはないはずだ。
しかもヒッチコックは映画の進行と一致する時間経過を如実に示す為に大きな窓から外が見える舞台(スタジオ撮影、背景は書割り)をわざわざ用意し、夕方から夜にかけての1時間半の外の刻々たる変化を表現しているが、結論から言うとこの部分が一番気に入った。ライティングの苦労は想像を絶する。
さて、この無謀とも言える挑戦には功罪がある。
功は、何と言っても、映画が完全にリアルタイムに進行すること、役者に緊張感が与えることである。
また映画に舞台的な効果が与えられるが、これは映画殊にスリラー映画にはマイナス。ロングショットばかりを使うわけには行かないので、舞台のように瞬時に全体の空間が把握出来ず、人物や物を繋いでいくうちに無駄が生じ、ひいては観客に緊張感を失わせかねない危険性をはらむ。ショックは連続性の中からは生みにくい、ということもよく分る。
だからと言ってこの作品に価値がないということにはならない、それどころか、ワンカットで映画を撮る時に発生する問題を示して後世に名を残した。言い換えれば、映画の良し悪しはカット編集の巧拙によりほぼ決まるという映画の本質を如実に示した<偉大なる失敗作>なのである。
因みに、ビデオを使えば物理的には簡単にワンカットの作品を作ることができる。ヒッチコック以来それに挑戦したのがアレクサンドル・ソクーロフ監督「エルミタージュ幻想」。撮影は大変だっただろうが、美術好きな方が大きな美術館を巡っている時に覚えるかもしれないタイム・スリップ感覚を表現したような内容故に、違和感なく面白い作品になっていた。
この記事へのコメント
また違う感想が持てるかもしれません。
それにしても「完全犯罪クラブ」が「ロープ」のリメイクとはしりませんでした。
(トラックバックこちらには入っていませんでした。毎度申し訳ありません)
映画というのは二つの側面があります。一つは内容そのもの、もう一つは作り方です。
この作品は内容的に好きになるのは難しいですが、刻々と空の色が変わっていく演出が好きでした。
ワンカットで映画を作ることは無謀ですが、観客に<そこに一緒にいる>という思わせる力がありましたね。まして私は映画館で観ましたから、余計に強く感じましたよ。
作り方には、全然頓着をしない私(^o^;
十二人の怒れる男みたいな演劇っぽい作りだなぁ・・・くらいしかわかりませんでした^_^;
どちらかというと内容に左右されがちなので、あの独特の優越感とかが被害者の父親同様不愉快でなりませんでした。
あとは、どうやって教授?があの二人を追い詰めるのだろうとドキドキしたけれど、なるほど実験的な作品であったということならば、この作品のことが少し理解できたような気がします。
映画を見るのもなかなか難しいものですね・・・(^^;
何故か私が作り方を気にするかと言えば、同じ物語でも演出により面白さや喜怒哀楽が全て変わるからです。例えば、「サイコ」と全く同じ脚本を使ったリメイク版「サイコ」のつまらないこと。何故その差が出るのかを探るのが、映画批評家(のつもり)の仕事なのです。
この作品の緊張感も8割方はワン・カット映画を作ろうとしたヒッチコックのおかげであろうと思います。
私の拙ブログの「お気にいり」にこのオカピーさんのブログを勝手にリンクしておりますがご容赦下さいますでしょうか?
また、寄らせてくださいね。
「ロープ」は明るかった外が次第に暮れ、やがて夜の闇に包まれていく、という背景をきちんと捉えたところがお気に入りです。サイコな二人は嫌ですが、緊張感はやはり高いですね。「引き裂かれたカーテン」は全体としては上出来とは言えないでしょうが、動き出したら絶好調といった印象があります。
リンクは大歓迎ですが、viva jijiさんのブログにはどう行ったら宜しいのでしょうか? どこかで見かけたお名前なのですが。
urlは
http://blog.livedoor.jp/vivajiji/?blog_id=1098504
です。独断と偏見で切りまくっているという「噂」がもっぱらで、「これが普通よ?」思っている私には少し心外(笑)ではありますがたまにお寄りいただいてご笑覧下されば幸いでございます。
P様が書かれているヒッチコックの実験的試みも面白いのですが、私が二人の青年が見せる言動、そこにスチュワートが絡んでくる。そんな三人の描写が面白くっって結構気に入っています。ラストでみせる三人が醸し出す空気というのも、この事件に対するヒッチコックのやるせない思いをみるようで、このラストもなかなかに気に入ってますです。
3行目の初め「私が」ではなくって「私は」です。訂正して読んでやってください。それはそうと、vivajijiさんとはこの作品からのおつき合いだったんですねぇ。jiji姉も本作がお好きだとは!
この作品面白いですよ!
この事件を題材にしたインディペンデント映画「恍惚」名古屋から帰ってきたら観るんだぁ!ワクワク。
それから「フロント・ページ」の初映画作品「犯罪都市」も観るんだぁ。
ホークス作品に次いでビリーワイルダーも観たら「犯罪都市」を見逃すことは許せネぇですからねぇ。
僕も好きですよ。
あの悪役たちの青い哲学と慢心が興味深くてね。
その一方で、ヒッチコック自身も認めざるを得ないように、長回しがサスペンスに向かない手法であるということは厳然としてあり、ヒッチコックが従来の手法で撮ればもっと面白くなった可能性は高いでしょう。
同時に、長回しがねっとりしたムードを醸成したとも言えないこともなく、色々示唆する部分が多いので「偉大なる失敗作」という評価をしているんです。
>「恍惚」
おおっ、そんなインディ作品も手元にあるんだあ(凄!)。
>「犯罪都市」
おおっ、そんな古い作品も観られるんだ(凄!)。
なかなかに、なかなかに!映像が素晴らしい!
ビデオしかないみたいですね。たぶんテレビ放映なんかないんだろうな。惜しいなぁ。
ヒッチコックの「ロープ」でも二人の関係で同性愛を思わせるようなところがちらっと感じられたのですが、「恍惚」は当時の裁判記録や調書を元に彼ら二人を観察眼で描いていて、黒人の女性速記者を登場させるなど、マイノリティに対する監督のメッセージが無言で映像全編に感じられましたねぇ。
最後の方のナレーションで、メイヤー・レヴィン原作、リチャード・フライシャー監督の「強迫/ロープ殺人事件」(1959年)に対する批判も意思表示してました。ヒッチコックの「ロープ」とあわせて、なかなかに興味深い作品でした。
>ビデオしかない
WOWOWもNHKも最近は貴重な放映が以前に比べるとちょっと減ったかなあという印象で、もう少し日の当らない作品やふる~い作品もやってほしいです。
そうは言いつつ、今年はWOWOWさんには清水宏やハワード・ホークスの貴重品を見せてもらいましたけどね。
>同性愛
「ロープ」もそんなムードがありましたね。
ヒッチコックは性的な要素を何気なく盛り込む名人と言って良いでしょう。
>「恍惚」
関連作品3本を観ているので、これも頭に留めておきますね。
「是非」と言いたいですけど、なかなか。
「ロープ」自体も みました。 なんとも身勝手なふたりだ。なにが 優れた人間だ(怒り) チェストの中に死体を入れてパーティ・・・ 頭自体は良くても 人間的には 劣ってる大バカ野郎ですよ。
>アメリカで実際にあった殺人事件をモチーフ
この映画の題材になったのは 1924年に発生した「レオポルド&ローブ事件」です。
大学の同級生のふたり レオポルドとローブの弟の同級生を身代金殺人で殺してるけど
犯行現場に レオポルドは 自分のメガネを落としているんですよ。
しかも 誘拐身代金の要求に 書いたタイプライターの活字がレオポルドが大学のゼミで使っているタイプライターのものと一致してるんです。
はぁ~ なにやっとんのぉ~ と つっこみたくなるくらいお粗末な証拠残しです。
動機は 自分たちが 他の人たちとは違い、選ばれた者たちである とだれか忘れたけど その著書「超人思想」に くだらん影響を受けて その証明のために 誘拐身代金殺人を実行し このありさま...。
それでいて 警察で取り調べでは「彼が殺人を実行して 僕は 運転手の役です やったのは彼です。」
と おたがいの責任転嫁してやがる。
トロ過ぎる・・・自分の優位性を証明しようとした 代償は あまりに 大きい。
ホントに バカじゃねえのかって言いたくなります。
>頭自体は良くても 人間的には 劣ってる大バカ野郎ですよ。
そういう人間は実社会にも少なからずいますし、実話・フィクションを問わず、何年かに一度本格的な映画が発表されますよね。
ミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」なんてのもその類だったかな。後味の悪い映画No.1候補です。
同じようでも「ロープ」は結末がすっきりしていますから良い。そもそも作り方に興味を覚えた一編なのですが。
この映画の実際の犯人たちも不愉快極まりないですが、お書きになられているように、知能を誇っているわりに案外ドジで、後の罪のなすりあいも大したことないですよね。
ほんとにそうですね。スピルバーグも編集が何より大事だとして、「ジョーズ」のときにいっしょに仕事した編集の方と長くチームを組んでいました。
グロはないけれども(最初の絞殺場面くらい)、その後のパーティーで犯人二人の異常さをうまく出していましたし、学生の与太話にしても不謹慎だと年配の学者が本気で怒りだしたり、もとは舞台劇だそうですが、ドラマとしてもよかったです。
>スピルバーグも編集が何より大事
スピルバーグ映画の編集は本当に良いです。
「宇宙戦争」で酷評芬々たる時、僕は編集の的確さを見よ、と訴えたものです。
>ドラマとしてもよかったです。
この映画に関しては映画論に特化しようと思い、敢えてお話の方は褒めませんでしたが、短くて純度の高い面白い内容でしたね。