映画評「日本の夜と霧」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1960年日本映画 監督・大島渚
ネタバレあり

大島渚の第3作は公開四日で上映打ち切りとなる。日本共産党党員のディスカッションを全面的にフィーチャーした異色の内容故に、浅沼社会党委員長刺殺事件を会社側が考慮したからだが、結局腹を立てた大島監督は松竹を辞した。

安保反対の学生運動を通して知り合った渡辺文雄と桑野みゆきが、数年後に結婚式を挙げることになり、そこへ官憲に追われている党員の一人・津川雅彦が現れ、式場は若干転向気味である党員たちと喧々囂々のディスカッション大会の場となってしまう。

共産党とは無縁の部外者、まして僕のように思想的に淡白な人間にとってここで語られる考えを一々取り上げることに意味を見出さないが、決して退屈な作品ではない。
 全般的に舞台的な感覚を持ち、役者が言葉に詰まってもそのまま通す即興的演出が興味深く、一人のスパイ容疑者を逃がしたことを責められて自殺した学生を巡って語られる証言の数々は一種の推理小説的な面白味すら漂わせる。
 現在と過去の往来も照明を落とすなど舞台的な繋ぎで、映画的にもなかなか上手い。

大島監督には叱られるだろうが、大多数の観客はそうした感覚で観れば良いだろうし、学生運動家でもあった監督の主張がどれに一番近いのか知ったことではない。
 しかし、ある一つの目標に向って行動すべきグループがこうバラバラで良いものか、という改革の前に立ちふさがる暗闇に悄然とする監督には同情を捧げるものである。

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