映画評「クローサー」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2004年アメリカ映画 監督マイク・ニコルズ
ネタバレあり
本作はパトリック・マーバーの同名戯曲を本人による脚色を経てマイク・ニコルズが映画化したもの。舞台演出家出身ニコルズは66年に「バージニア・ウルフなんか怖くない」という傑作を作っていて舞台劇の映画化には実績があるし、お話が71年「愛の狩人」の系列に入る男女の愛憎ドラマなのでこれは打ってつけの題材かと思ったが、あにはからんや、欠点が目立つ。
ロンドンに住む小説家志望のジャーナリスト、ジュード・ローが元ストリッパーのナタリー・ポートマンの事故現場に遭遇して懇ろになり、数ヶ月には著書用の写真を撮ってもらった女流写真家ジュリア・ロバーツにモーションを掛け、彼女の名を使ってチャットを利用したことから、彼女と皮膚科の医師クライヴ・オーウェンが深い仲になるが、男女の仲の常、この四人が交錯し色々と複雑な恋愛模様を織り成していく。
登場人物をほぼ四人に限っていかにも舞台風だが、原作たる戯曲は三一致の法則(一日、同一場所、単純な筋に限る)といった、その他の舞台劇的要素を取っ払い、時間は数年間の長さに及ぶ。三一致の法則を遵守した戯曲は大きく脚色せずとも映画になるが、そうでない場合は映画的な工夫が必要となる。
本作では七つの時系列があるようだが、ニコルズは区切りなしに場面を繋いでいるので、観客は全く映画の時間経過に追従できない。台詞で辛うじて時間が変っているのが確認できるのだが、季節の変化を取込んだり、イメージ映像を挿入するなどして時間の流れを観客に認識させる必要があっただろう。1、2回なら字幕を挿入する方法もある。そうした混乱が一つの狙いだった可能性はあるが、何らかの手段を講ずるべきだった。
そんなこんなで戸惑っているうちに、暑苦しい愛憎のもつれが展開するので「ええい、面倒だ」ということになってしまう。僕の感覚では、完全に設計ミスである。
登場人物ではナタリー・ポートマンの演ずる女性の扱いだけが興味深い。
彼女がストリッパー小屋の個室で本名を言えと迫るオーウェンに嘘であるかのように本名を言い続ける。彼は気付かないが、観客は気付く。次の場面で彼女はローに「彼とセックスした」と本当のように嘘を言う。ロンドンを去る時空港で彼女のパスポートが映り、彼女が言い続けた本名が垣間見える。皆が本名と思っていた偽名は碑に残された少女の名前である。この辺りには絶妙な巧さがある。
「ああ、女性の嘘と誠を巡るお話だったのね」と解った頃には映画が終りなのでありました。
2004年アメリカ映画 監督マイク・ニコルズ
ネタバレあり
本作はパトリック・マーバーの同名戯曲を本人による脚色を経てマイク・ニコルズが映画化したもの。舞台演出家出身ニコルズは66年に「バージニア・ウルフなんか怖くない」という傑作を作っていて舞台劇の映画化には実績があるし、お話が71年「愛の狩人」の系列に入る男女の愛憎ドラマなのでこれは打ってつけの題材かと思ったが、あにはからんや、欠点が目立つ。
ロンドンに住む小説家志望のジャーナリスト、ジュード・ローが元ストリッパーのナタリー・ポートマンの事故現場に遭遇して懇ろになり、数ヶ月には著書用の写真を撮ってもらった女流写真家ジュリア・ロバーツにモーションを掛け、彼女の名を使ってチャットを利用したことから、彼女と皮膚科の医師クライヴ・オーウェンが深い仲になるが、男女の仲の常、この四人が交錯し色々と複雑な恋愛模様を織り成していく。
登場人物をほぼ四人に限っていかにも舞台風だが、原作たる戯曲は三一致の法則(一日、同一場所、単純な筋に限る)といった、その他の舞台劇的要素を取っ払い、時間は数年間の長さに及ぶ。三一致の法則を遵守した戯曲は大きく脚色せずとも映画になるが、そうでない場合は映画的な工夫が必要となる。
本作では七つの時系列があるようだが、ニコルズは区切りなしに場面を繋いでいるので、観客は全く映画の時間経過に追従できない。台詞で辛うじて時間が変っているのが確認できるのだが、季節の変化を取込んだり、イメージ映像を挿入するなどして時間の流れを観客に認識させる必要があっただろう。1、2回なら字幕を挿入する方法もある。そうした混乱が一つの狙いだった可能性はあるが、何らかの手段を講ずるべきだった。
そんなこんなで戸惑っているうちに、暑苦しい愛憎のもつれが展開するので「ええい、面倒だ」ということになってしまう。僕の感覚では、完全に設計ミスである。
登場人物ではナタリー・ポートマンの演ずる女性の扱いだけが興味深い。
彼女がストリッパー小屋の個室で本名を言えと迫るオーウェンに嘘であるかのように本名を言い続ける。彼は気付かないが、観客は気付く。次の場面で彼女はローに「彼とセックスした」と本当のように嘘を言う。ロンドンを去る時空港で彼女のパスポートが映り、彼女が言い続けた本名が垣間見える。皆が本名と思っていた偽名は碑に残された少女の名前である。この辺りには絶妙な巧さがある。
「ああ、女性の嘘と誠を巡るお話だったのね」と解った頃には映画が終りなのでありました。
この記事へのコメント
TBを送ろうと思ったのですが、自分の書いた感想がつまらなくてやめてしまいました。
#「ああ、女性の嘘と誠を巡るお話だったのね」
わたしも後から気がつきました。あまりにも表面的なことに見る人が気を取られて良さが失われている部分があるような作品のような気がします。
遠慮せずにばしばしTB下さいよ。
やっぱり時間経過を明確に示さなかったのが敗因だと思うなあ。脚本段階での指示なのか、ニコルズの勝手な判断なのか分りませんが、30余年の映画鑑賞歴の勘では、マーバーがそれにこだわったような気がします。
開巻と幕切れの感覚は大変良くこれはニコルズの殊勲。ただ、舞台なら幕や移動などで分る時間の経過が映画では分らないように作られています。これはマーバーの意図なのか、ニコルズの意図なのか、判然としませんが、いずれにせよ、多くの観客にとっては混乱の原因。そこへ面倒くさい交情のもつれとなってきますから、私はいけませんでしたね。
ジュリア・ロバーツに関してviva jijiさんと同じような感想を洩らした女性がいらっしゃいました。ベテラン(失礼)の女性ならではの鋭い感覚かもしれませんねえ。
あのチャットは嫌らしいですね。私も右に倣えであります。「恋は邪魔者」など最近のハリウッド映画はお色気コメディーは余りに露骨で、却って色気がない。その点ビリー・ワイルダーやエルンスト・ルビッチの色気はゴージャスでした。