映画評「近松物語」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1954年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり
井原西鶴の「好色五人女」でも取り上げられた<おさん茂兵衛密通事件>を近松門左衛門が「大経師昔暦」として浄瑠璃化、それを川口松太郎が戯曲化し、さらにお馴染みの依田義賢が脚色、溝口健二が映像化した。
17世紀の京都、宮中の暦を独占販売する大経師である以春(進藤英太郎)の若妻おさん(香川京子)が兄の無心に応じようと手代の茂兵衛(長谷川一夫)に工面を頼むが、細工がばれて茂兵衛が処分された上に、不義の疑いを掛けられ、勢いで茂兵衛と二人揃っての道行と相成ってしまう。
逃走するうちに【嘘から出た誠】という諺を地で行くように真剣に愛し合うようになり、気持ちを貫き通した結果二人は刑場に曳かれる馬上の人となる。
縛られても手を取り合う二人・・・壮絶で美しい幕切れである。
僕の中では映像の「雨月物語」、物語の「近松物語」という印象があり、双方に夫々の魅力があるのだが、封建時代の理不尽な世の仕組みに胸を抉られるこちらが溝口作品では最も好みとできるかもしれない。罪とは何か、その定義を観る度に考えてしまうのである。
大店が取り壊しになる幕切れも以春が僅かな金を妻に貸さなかったつけであり、因果応報的に過ぎるかもしれないが、皮肉な感触を残していて良い。
おさんのくじいた足を茂兵衛が舐める場面など、エロ映画など目ではない官能描写にも圧倒される。何とも谷崎潤一郎的である。
宮川一夫の撮影は、ライティング・構図に、もはや文句の付けようがない。
そして、恐らく5回目となる今回は、音楽の早坂文雄が浄瑠璃を彷彿とするように拍子木を巧みに使ってムードを盛り立てているのが妙に印象に残っている。
それらの名人達から完璧なアンサンブルを引き出した溝口の操縦術も見事なもので、時代考証の確かさ、美術の素晴らしさと相まって魅力満点。
配役では、香川京子も良いが、長谷川一夫が手代らしさを発揮して絶品。
1954年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり
井原西鶴の「好色五人女」でも取り上げられた<おさん茂兵衛密通事件>を近松門左衛門が「大経師昔暦」として浄瑠璃化、それを川口松太郎が戯曲化し、さらにお馴染みの依田義賢が脚色、溝口健二が映像化した。
17世紀の京都、宮中の暦を独占販売する大経師である以春(進藤英太郎)の若妻おさん(香川京子)が兄の無心に応じようと手代の茂兵衛(長谷川一夫)に工面を頼むが、細工がばれて茂兵衛が処分された上に、不義の疑いを掛けられ、勢いで茂兵衛と二人揃っての道行と相成ってしまう。
逃走するうちに【嘘から出た誠】という諺を地で行くように真剣に愛し合うようになり、気持ちを貫き通した結果二人は刑場に曳かれる馬上の人となる。
縛られても手を取り合う二人・・・壮絶で美しい幕切れである。
僕の中では映像の「雨月物語」、物語の「近松物語」という印象があり、双方に夫々の魅力があるのだが、封建時代の理不尽な世の仕組みに胸を抉られるこちらが溝口作品では最も好みとできるかもしれない。罪とは何か、その定義を観る度に考えてしまうのである。
大店が取り壊しになる幕切れも以春が僅かな金を妻に貸さなかったつけであり、因果応報的に過ぎるかもしれないが、皮肉な感触を残していて良い。
おさんのくじいた足を茂兵衛が舐める場面など、エロ映画など目ではない官能描写にも圧倒される。何とも谷崎潤一郎的である。
宮川一夫の撮影は、ライティング・構図に、もはや文句の付けようがない。
そして、恐らく5回目となる今回は、音楽の早坂文雄が浄瑠璃を彷彿とするように拍子木を巧みに使ってムードを盛り立てているのが妙に印象に残っている。
それらの名人達から完璧なアンサンブルを引き出した溝口の操縦術も見事なもので、時代考証の確かさ、美術の素晴らしさと相まって魅力満点。
配役では、香川京子も良いが、長谷川一夫が手代らしさを発揮して絶品。
この記事へのコメント
通しでは2回観たのですが,2回目でその完成度の高さが納得できた作品で,私も溝口作品ではいちばん好きな映画です。
1954年というと名作の多い年ですが,キネマ旬報第5位だったようで当時から高く評価されていたようですね。ちなみに『山椒大夫』は同年度9位。上位には『二十四の瞳』(1位)や『七人の侍』(3位)と名だたる作品が並び,スゴイ時代だったのだと再確認しました。
戦中の一時期を除けば、溝口作品の美術、時代考証は素晴らしいですね。黒澤明も完全主義と言われていますが、いやいや、溝口健二も負けていないですね。
心配りと言えば、おさんの眉毛が後半徐々に濃くなってきているのもなかなか芸が細かい。道行しているので当然なのですが、気持ちの変化も暗示するようで、思わず唸りました。
私は日本映画が一番充実していたのは50年代と断定しています。日本映画で最も人気が高い「七人の侍」「東京物語」「飢餓海峡」「雨月物語」などがいずれもベスト1でないのが面白いですね。時代を鋭く切り取った作品がベスト1になりやすく、芸術的な作品はその後につくことになるからだろうと思います。そうしたベスト1は時代と移り変わりとともに相対的に価値が下がっていくということでしょう。
それから、ブログなどを当たると、「近松物語」が溝口で一番好きだという方が多いことに驚きました。
「近松物語」が溝口健二の映画で一番好きだというのは、ハイ、私のことです^^ゞ
こちらからもTBさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
私は30年くらい「近松物語」No.1宣言をしているのですが、客観的には「雨月物語」だろうなあと思っていたので、本当に驚いたのです。
これからも宜しくお願い致します。
先日録画した「近松物語」を観てまた興奮してしまい、「近松物語」がNo,1のオカピーさんにまたトラックバックしてしまいました^^;
どうぞよろしくお願いいたします。
関連作品、関連ブログなら大歓迎ですよ。本当にお好きなんですねえ。
ただ今エキサイト・ブログ不調のようですので、後で参ります。
どんどんご覧になってください。
溝口の拘りもすごいですが、宮川一夫の才能も凄いですね。「雨月物語」のように絵画的な美しさは余りないのですが、実はとてつもなく素晴らしい撮影でした。
そう、あの足をなめるシーンはエロティックですね。精神的なのにエロティック。凄いなあ。また観たくなってしまいました。
この度はTBとコメントを頂きまして、誠に有難う御座いました。
オカピーさんのお名前は、私も十瑠さんのところで拝見して居りました。
私は映画との付き合い期間が長いというだけのことでして、映画鑑賞本数はもとより、映画に対する鑑賞眼の鋭さと、知識の豊富さは、到底オカピーさんの足元にも及びません。
こんな私ですが、これを機によろしくお願いします。
「近松物語」は1954年に見損ねましたが、翌年の2月に「1954年ベスト10映画大会」なるものを催していた京都市の映画館に足を運びました。私のような映画ファンが一杯で、感動を共有する喜びが充ち満ちていた雰囲気を思い出します。その後、観る度に色褪せぬ作品ですね。
オカピーさんも誉めて居られますが、あの長谷川一夫を生かし切った溝口監督に唸ります。「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」で、小沢榮太郎が言っていた「役者には各々の持ち味がある。Aには出し得てもBには出せないものが。溝口はその持ち味を活かす演出をした」を思い出します。
大ベテランさんにご来宅戴き、光栄です。
しかし、凄いです。その時代に鑑賞記をつけるということ自体が既に本格派でしたわけですね。
私の父なども昔は映画を見たらしいですが、TVが普及した途端に映画など見向きもしなくなったぐうたらでして、私にとっては何の勉強にもならなかったのです。
アスカパパさんのような方が父親でしたら、映画談議ができて楽しかったでしょうねえ。
>「溝口健二の記録」
そんな言葉がありましたか。
もう一度観なければいけませんね。
最近は久しぶり(20数年前にもはまった時期がありました)に溝口再見に走っています。「武蔵野夫人」「雨月物語」「西鶴一代女」・・・そしてこの「近松物語」。斬新な芸術家だった溝口が長谷川一夫を使ったのは大映の要請だったようです。功を奏して、この作品の完成度を長谷川一夫の主演で高めたように思います。ルイ・マルやゴダールがアラン・ドロンを使って成功したのと似てるんじゃないでしょうか(笑)。
ところで、溝口の作品を観て最近思うのですが、溝口や黒澤のような第一級の芸術家として認知されていますが、彼ら(衣笠、小津、成瀬・・・なども)は当時の多くのB級の作品があって、その中で生まれた作品であることを忘れてはならないと思うんです。溝口の失敗作を観るとつくづく思います。私のような今に残る一級品ばかり観ても映画芸術の本質をつかめないように思ってきましたよ。やっぱオカピーさんや用心棒さんは凄いわ。
では、また。
>アラン・ドロン
よーく解ります。
当時の長谷川一夫は全盛期を過ぎていたはずですが、メジャー男優ならではの色気があったような気がします。
女性映画を作ってきた溝口健二が余り関心のなかった男優に、典型的なメジャー・タイプの大物を使ったことで思わぬ効果が出たのかもしれませんね。
>一級品ばかり
観ていない作品に凄い作品があるのではないかという強迫観念が、当方を色々な作品に向かわせているのですが、同時に、定評のある一級品ばかり観ていると【良いもの】にマヒするのではないかという怖さもあります。
他方、トムさんのように作品を精選したり同じ作品を繰り返し観て内容を追究するという鑑賞スタイルができれば良いなあ、とも思っているのですが。
人間に許された時間は少なすぎます。
>一級品ばかり観ていると【良いもの】にマヒ・・・
確かに確かに。
眼をこやし過ぎると世間ずれもするし、ちょっとやそっとのことで満足できなくなりますものね。素晴らしいものが当たり前になることは本当に怖いことです。「俗なものへのストレス」への耐性も弱くなってしまいます。
でも、私にも「単に好き」というだけの「超C級作品」もあります(笑)。例えば日活アクション、ゴジラ・シリーズ、TV深夜ドラマ(トヨエツの「NIGHT HEAD」AKBn「マジすか学園」「怪奇恋愛作戦」「リバースエッジ 大川端探偵社」最近では「ナイトヒーローNAOTO」など)、大映の「悪名」シリーズ、健さんの「網走番外地」シリーズなどなど・・・(笑)。
でも、そういったものでも時代によって再評価されたりするんですよね。
では、また。
大学進学で上京したての頃、フィルムセンターや名画座や自主上映で名作の数々を見ていた時に「すげーなあ」と思いつつ、慣れてはいかんと思い始めた記憶がありますね。その辺りからプログラム・ピクチャーも結構見るようになりました。
でも、当時は日活アクションを馬鹿にしていました。
最近は、日活映画について、欧米映画のパクリが多いのに苦笑しつつ、コンパクトにできている部分を買いたくなるんですよね。星の数はそれほど多くはないですが、大いに楽しんでいます。