映画評「祇園囃子」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1953年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり
京都の祇園にも二つあるそうで、「祇園の姉妹」で描かれた祇園は下の方(乙部)、こちらで描かれているのは上の方(甲部)ということになるらしい。
川口松太郎の花柳小説を溝口健二が映画化した風俗劇。
売れっ子芸者の小暮実千代の許に、かつての仲間の娘である若尾文子が「預けられた伯父さんから独立して舞妓になりたい」とやって来る。娘の実父である進藤英太郎に保証人を断られたものの、仕込む決心し、娘は修行の日々を送る。
売り出しは順調に行ったが、東京で幇間会社員(河津清三郎)を傷つけ、祇園を仕切るお茶屋の女将・浪花千栄子から事実上の営業ストップを食らってしまい、“姉”は犠牲を払うことになる。
犠牲がなんであるかは言わずもがなであるが、戦前の「祇園の姉妹」ほどの冷徹な感じはなく凄みという点では見劣りする。尤もそれが底辺に近い芸者と上流の芸者との生き方の差と言えないこともなく、最初から観点が違うのも事実である。
前述したように、溝口の語り口には戦前の現代劇のような凄みが薄れているが、コンパクトに奇麗にまとめた印象はあり、祇園囃子と共に二人が雑踏に消える幕切れに漂う芸者稼業の悲哀感は捨て難い。
宮川一夫の撮影は今回も文句なし、お披露目の挨拶廻り場面における移動撮影など誠に鮮やかなものである。
小暮実千代は好演。妹分つまり若尾文子には現代的で未熟なドライさが至るところに出て寧ろ可愛らしく、今本作を観ると、これが徐々に本当の妖女になっていくんだなという映画史回顧風の楽しみがある。女優陣に比べると男優陣は型通りで面白くない。
1953年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり
京都の祇園にも二つあるそうで、「祇園の姉妹」で描かれた祇園は下の方(乙部)、こちらで描かれているのは上の方(甲部)ということになるらしい。
川口松太郎の花柳小説を溝口健二が映画化した風俗劇。
売れっ子芸者の小暮実千代の許に、かつての仲間の娘である若尾文子が「預けられた伯父さんから独立して舞妓になりたい」とやって来る。娘の実父である進藤英太郎に保証人を断られたものの、仕込む決心し、娘は修行の日々を送る。
売り出しは順調に行ったが、東京で幇間会社員(河津清三郎)を傷つけ、祇園を仕切るお茶屋の女将・浪花千栄子から事実上の営業ストップを食らってしまい、“姉”は犠牲を払うことになる。
犠牲がなんであるかは言わずもがなであるが、戦前の「祇園の姉妹」ほどの冷徹な感じはなく凄みという点では見劣りする。尤もそれが底辺に近い芸者と上流の芸者との生き方の差と言えないこともなく、最初から観点が違うのも事実である。
前述したように、溝口の語り口には戦前の現代劇のような凄みが薄れているが、コンパクトに奇麗にまとめた印象はあり、祇園囃子と共に二人が雑踏に消える幕切れに漂う芸者稼業の悲哀感は捨て難い。
宮川一夫の撮影は今回も文句なし、お披露目の挨拶廻り場面における移動撮影など誠に鮮やかなものである。
小暮実千代は好演。妹分つまり若尾文子には現代的で未熟なドライさが至るところに出て寧ろ可愛らしく、今本作を観ると、これが徐々に本当の妖女になっていくんだなという映画史回顧風の楽しみがある。女優陣に比べると男優陣は型通りで面白くない。
この記事へのコメント
映画としての厳しさから言って「祇園の姉妹」に軍配を上げますが、こちらには風俗劇としての面白さが随所にありますね。あちらはどちらかと言えば心理ドラマでした。
祇園という特殊な世界がわかりやすくまとめられているように思います。
>幕切れに漂う芸者稼業の悲哀感は捨て難い
細い路地を抜け出て行く二人に重なる祇園囃子。このシーンは秀逸でとても気に入っています。
興味深い作品が色々と掲載されていましたので、嬉しくなりまして。
溝口さんは基本的には男性の世界には興味がなかったようで、女性それも社会の底辺でうごめく女性、あるいは悲劇的な宿命を持った女性を描いたら天下一品です。
抜群とは言い切れないところもあるのですが、こじんまりと上手くまとめた佳品だと思います。
>若尾文子には・・・これが徐々に本当の妖女になっていく・・・
『赤線地帯』の彼女の原点のひとつなのかもしれません。溝口は、あんまりリアリズムが激しくてショックを受けちゃいますね。
舞妓、芸者の現実を、あそこまでえぐり出していいのでしょうか?日本の無形文化財の素晴らしさが、あのような現実から生まれていることに「矛盾」どころではなく「恐怖」を感じてしまいます。
何とか私が「赤線地帯」を見るように仕向けていらっしゃいませんか(笑)。
冗談はともかく溝口はリアリズムでも、ハードボイルドなリアリズムですから、残酷で怖いですよね。基本的に「だからこうなのだ」という主張はないようにも思いますが、それはそれで残酷。「戦場のピアニスト」のポランスキーのような視点と言っても良いかもしれません。