映画評「マザー・テレサ」(劇場公開版)
☆☆☆(6点/10点満点中)
2003年イタリア=イギリス映画 監督ファブリツィオ・コスタ
ネタバレあり
上の採点はこの作品の実力であり、実力ではない。理由は下に述べる。
ノーベル平和賞受賞で俄然有名になったマザー・テレサが亡くなって早くも9年になるようである。その彼女の後半生を描く伝記映画だが、様々なTV番組などで彼女の生涯をある程度知っていても興味深く観られた。彼女は東欧出身だったはずだが、生い立ちなど前半生については全く触れていない。
カルカッタの路上で行き倒れの男に接したマザー(オリヴィア・ハッシー)が神の言葉を聞き、<死を待つ人々との家>を作ることを決意する。そして<聖なる子供の家><平和の村>と続いていく。
言うのは簡単だが、修道女の修道院外の活動を禁じたバチカンの規則など、乗り換える壁は多い。異教徒との軋轢、建設許可、妨害者、財政難、そして再びバチカンと次々と難問が降りかかるが、その度に彼女の無私無欲の姿勢がクリアしていく。
最近の作品には珍しく、時間通りにドラマが進行する素朴なストレートな作り方で、却って潔い。マザー・テレサのような清廉な人物には丁度良い作り方ではないかと思う。
116分という長さだが、上映時間は非常に短く感じる。小事件が多く息を付く間もなく次々と展開するからである。
つまり一つの事件の掘り下げが浅くダイジェスト的で、ぶつ切り的に構成されている印象が残ってしまうわけだが、30年も映画を観ていると、いかにも不自然な作り方にこれが作者が狙った所期の形ではないことを直感的に感じる。調べたら果たしてその通りで、劇場版とは別に3時間を超える完全版があることを知った。完全版が本来の形であろうし、もっと満足もできるであろう。
初々しかったジュリエットも既に50歳を超えた。ジュリエット即ちオリヴィア・ハッシーは、猫背気味に歩く本人を形態模写的に熱演。
その彼女が「私は神の鉛筆です」と述べるのを聞いて胸が詰まり、暫く目をうるうるとさせておりました。
2003年イタリア=イギリス映画 監督ファブリツィオ・コスタ
ネタバレあり
上の採点はこの作品の実力であり、実力ではない。理由は下に述べる。
ノーベル平和賞受賞で俄然有名になったマザー・テレサが亡くなって早くも9年になるようである。その彼女の後半生を描く伝記映画だが、様々なTV番組などで彼女の生涯をある程度知っていても興味深く観られた。彼女は東欧出身だったはずだが、生い立ちなど前半生については全く触れていない。
カルカッタの路上で行き倒れの男に接したマザー(オリヴィア・ハッシー)が神の言葉を聞き、<死を待つ人々との家>を作ることを決意する。そして<聖なる子供の家><平和の村>と続いていく。
言うのは簡単だが、修道女の修道院外の活動を禁じたバチカンの規則など、乗り換える壁は多い。異教徒との軋轢、建設許可、妨害者、財政難、そして再びバチカンと次々と難問が降りかかるが、その度に彼女の無私無欲の姿勢がクリアしていく。
最近の作品には珍しく、時間通りにドラマが進行する素朴なストレートな作り方で、却って潔い。マザー・テレサのような清廉な人物には丁度良い作り方ではないかと思う。
116分という長さだが、上映時間は非常に短く感じる。小事件が多く息を付く間もなく次々と展開するからである。
つまり一つの事件の掘り下げが浅くダイジェスト的で、ぶつ切り的に構成されている印象が残ってしまうわけだが、30年も映画を観ていると、いかにも不自然な作り方にこれが作者が狙った所期の形ではないことを直感的に感じる。調べたら果たしてその通りで、劇場版とは別に3時間を超える完全版があることを知った。完全版が本来の形であろうし、もっと満足もできるであろう。
初々しかったジュリエットも既に50歳を超えた。ジュリエット即ちオリヴィア・ハッシーは、猫背気味に歩く本人を形態模写的に熱演。
その彼女が「私は神の鉛筆です」と述べるのを聞いて胸が詰まり、暫く目をうるうるとさせておりました。
この記事へのコメント
「私は神の鉛筆です」にウルウルきたプロフェッサーはピュアなスピリットの持ち主ですね。青春の一時期、宗教関係者の欺瞞を見てしまった私はこの言葉には素直に反応できませんでした。いえいえ、テレサは私の見知っている凡庸な宗教人などではないのはよく認識した上のことですので誤解しないで下さいね。3時間版が存在するのであればいつか観たいです。
>ピュアなスピリット
いや、そんなことはないですが、あの瞬間、普段映画を外から眺めている私が映画の中に入っていたような感じが致しております。
作家でもない彼女が、一般の人ではなく自分の上司に当たる宗教家に、吐いた象徴的な言葉は、一種の奇蹟であるような印象さえありました。
私も全く宗教的な人間ではない(だからどんな映画も楽しめる。信心深い人、主義者は映画を楽しめない、楽しめる映画が限定的になる)ですが、珍しく心に響きましたね。
ただ、この2時間版は、駆け足的すぎて大いに物足りません。
いやあ、僕も目がウルウルきましたね。
あの、メイクは大変でしょう。猫背の状態も、年代によって、角度が異なっています。
観てみたいです。映画としては、少々不完全燃焼だったものですから。
TBさせて頂きました。
そうですね、段々が丸くなってきていましたね。オリヴィアは残されたフィルムやビデオをよく研究したのでしょう。
青春時代から彼女を知っているので、別の意味での感慨もありますね。
契約しているWOWOWで放映もされたのですが、見逃してしまったのでした。もう一度くらいやるかなあと期待しています。
本で言うと斜め読みといった感じでしたね。