映画評「アントワーヌとコレット」(「二十歳の恋」フランス篇)
日曜日に掲載してきたアルフレッド・ヒッチコック大特集、即ち名付けて<ヒッチ曜日>が先月50本(残り2本)をもってひとまず完了致しました。ご愛顧有難うございました。
さて、次の日曜特集は何にしようか思っていましたが、やはり、この人しかいないようです。<日曜日が待ち遠しい>・・・そうです、敬愛するフランソワ・トリュフォーです。皆様に待ち遠しいと思って戴くには力不足ですが、たまには酔って、もとい、寄って下さい。
それでは、名付けて<日曜日が待ち遠しい>、開演でございます。
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1962年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり
フランソワ・トリュフォーの作品系統は三つに分けられる。
一つは激しい恋愛心理を描いたもの、一つはミステリー系統、一つは彼自身をモデルにし一人の俳優ジャン=ピエール・レオーにより演じられ続けた<アントワーヌ・ドワネル>ものである。
<ドワネルもの>第二作に当たる本作は、石原慎太郎の日本編も収められた五ヶ国の若手監督によるオムニバス映画のフランス編(30分)。
<ドワネル>第一作は長編デビュー作「大人は判ってくれない」だが、あの作品の最後でお世話になることになった感化院から出た後、レコード会社最大手フィリップスに入ったドワネル(レオー)が、映画館や劇場に出没するうち見かけたコレット(マリー=フランス・ピジエ)という女子大生に恋をして彼女のアパートの前に越してきたものの、彼女は彼の前で両親に新しい恋人を紹介する、という大失恋の一幕。
大いにとぼけた幕切れで微苦笑を誘われるが、レオーはまだ幼さが残るので、二十歳より若いのではないかと思う(1944年生まれ、18歳)。
「大人は判ってくれない」の悲壮感の代わりに全編とぼけたユーモアが滲み出ていて、それは「夜霧の恋人たち」「家庭」へと引き継がれていくのだが、大変好もしいものを覚える。ドワネルが自身の人生に満足を覚え始め、そこにトリュフォー自身が精神的に成長していく過程を見出すことができるからである。
ビル(アパート)の自室の窓を開ける場面にその洋々とした気分が現れ、疾走する出勤模様は溌剌としている。前作の暗さは殆ど見られない。あるのは映画としての呼吸の良さである。
前作の場面がユーモラスに挿入されたり、一部に焦点を当てるトリミングの応用、ドワネルのナラタージュ(内面モノローグ的ナレーション)から何げなく第三者のナレーションに途中で変える(主観から客観への変調)など、若きトリュフォーの実験精神が大いに楽しめる一編でもある。
因みに、大昔に観た記憶を辿れば「二十歳の恋」全体の評価は☆☆☆で、このフランス編が最上等でありました。一番下? それは言うまでもないでしょう。
さて、次の日曜特集は何にしようか思っていましたが、やはり、この人しかいないようです。<日曜日が待ち遠しい>・・・そうです、敬愛するフランソワ・トリュフォーです。皆様に待ち遠しいと思って戴くには力不足ですが、たまには酔って、もとい、寄って下さい。
それでは、名付けて<日曜日が待ち遠しい>、開演でございます。
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1962年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり
フランソワ・トリュフォーの作品系統は三つに分けられる。
一つは激しい恋愛心理を描いたもの、一つはミステリー系統、一つは彼自身をモデルにし一人の俳優ジャン=ピエール・レオーにより演じられ続けた<アントワーヌ・ドワネル>ものである。
<ドワネルもの>第二作に当たる本作は、石原慎太郎の日本編も収められた五ヶ国の若手監督によるオムニバス映画のフランス編(30分)。
<ドワネル>第一作は長編デビュー作「大人は判ってくれない」だが、あの作品の最後でお世話になることになった感化院から出た後、レコード会社最大手フィリップスに入ったドワネル(レオー)が、映画館や劇場に出没するうち見かけたコレット(マリー=フランス・ピジエ)という女子大生に恋をして彼女のアパートの前に越してきたものの、彼女は彼の前で両親に新しい恋人を紹介する、という大失恋の一幕。
大いにとぼけた幕切れで微苦笑を誘われるが、レオーはまだ幼さが残るので、二十歳より若いのではないかと思う(1944年生まれ、18歳)。
「大人は判ってくれない」の悲壮感の代わりに全編とぼけたユーモアが滲み出ていて、それは「夜霧の恋人たち」「家庭」へと引き継がれていくのだが、大変好もしいものを覚える。ドワネルが自身の人生に満足を覚え始め、そこにトリュフォー自身が精神的に成長していく過程を見出すことができるからである。
ビル(アパート)の自室の窓を開ける場面にその洋々とした気分が現れ、疾走する出勤模様は溌剌としている。前作の暗さは殆ど見られない。あるのは映画としての呼吸の良さである。
前作の場面がユーモラスに挿入されたり、一部に焦点を当てるトリミングの応用、ドワネルのナラタージュ(内面モノローグ的ナレーション)から何げなく第三者のナレーションに途中で変える(主観から客観への変調)など、若きトリュフォーの実験精神が大いに楽しめる一編でもある。
因みに、大昔に観た記憶を辿れば「二十歳の恋」全体の評価は☆☆☆で、このフランス編が最上等でありました。一番下? それは言うまでもないでしょう。
この記事へのコメント
リバイバルで10年くらい前に見たはずですが、記憶にないです...。
話より話術を見せているので、物語は一切記憶に残らない作品の典型ですね。でも、トリュフォーは素敵です。
<日曜日は待ち遠しい>・・・ヒッチ曜日はブログ仲間・用心棒さんの素晴らしい命名でしたので、今回は自分で考えました。と言ってもトリュフォーの遺作のタイトルですけど、余りにもぴったりだったもので・・・
宜しくね~。
そういうこともあるでしょう。
私のブログでの大失敗は、役者の名前を逆に書いたこと。ファンの方から怒られましたよ。
<他の監督作品
アンジェイ・ワイダのポーランド編が良かったと思います。映画の場合はやはり長編が上手い人が短編でも上手い。小説とは違いますね。