映画評「フィオナが恋していた頃」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1998年アメリカ映画 監督ポール・クィン
ネタバレあり

2003年度第7位。その時の選評です。

「ライアンの娘」以来どうも古い時代のアイルランドを描いたものに弱い。自分の感性に不思議と合うのである。最近知ったことだが、この映画の評者にはアイルランドが郷愁を誘うといったコメントをする人が少なくないことにも驚いた。封建的な島国だったという共通性があるからかもしれない。

若き日の母親フィオナと一緒に写真に映っている青年は自分の父親なのか・・・アメリカのしがない教師(ジェームズ・カーン)が母親が倒れて口が利けなくなった為、夏休みを使ってふてくされ気味の甥と二人で自分のルーツを確認すべく母の祖国アイルランドを訪れる。
 彼女を良く知っていた老婦人が重い腰を上げ、母親の若い頃を話し始める。

ここからが映画の核心部分で、厳格な母親に育てられているフィオナが、里親と暮らす朴訥な青年(アイダン・クィン)と恋仲になるが、青年の子を宿しながら英国へ強制的に送られた後、彼女の母親が余り騒いだことが原因で青年は里親から追い出され、悲嘆して縊死してしまう。

カトリックの厳しい戒律と歪んだ精神が生み出した悲劇が詩情たっぷりに語られている。アイルランドの時に厳しく時に優しい自然をたっぷりと取り込みながら描かれるこの悲劇を涙なしに見ることはできなかった。

終盤、話は現在に戻り、教師は父親を確認できたこと、写真の裏に言葉が書かれていることを電話を通じて母親に告げる。実は写真にはプロポーズの言葉が綴られていたのだが、フィオナはそれを知らないまま半世紀の時を過ごしたのである。
 この場面は名状しがたい感動を呼ぶ。叙情的だが必要以上に感傷に流されないタッチ(監督ポール・クィンはアイダンの兄弟)は特に評価したい。

過去の悲劇も決して無駄ではない。父親を確認したことで教師がしっかり前進する勇気を持ち、甥も現地の少女に出会い蘇生していくのである。

現代アイルランドの躍動感・・・同じ土地で空気がかくも違うものかと思わせる50年の月日の重みを切り取った撮影(アイダンの兄弟デクラン・クィン)も秀逸。

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