映画評「放浪記」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1962年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり
1930年に出版され出世作となった林芙美子のこの自伝小説は、菊田一夫の手により戯曲化され、ご存知のように森光子主演で40年を超える大ロングランになっている。小説版は戦前と54年に映画化されているので、都合三回目の映画化と思う(戦前版は確認できず)。
母と行商しながら成長したふみ子(高峰秀子)は、女中・女工・女給などを転々、詩や童話を通じて知り合った文士たちと同棲するも甲斐性のない男たちと上手く行かないまま、どん底生活を書き綴った「放浪記」が雑誌『女人芸術』に採用される。
勿論ここまでが原作のお話である。
映画はその後単行本として敢行された「放浪記」が大ベストセラーになり、戦後眠る暇もない程売れっ子になって、出版社の営業だけでなくわけの解らん連中が頼って遣って来るところまで描いているが、蛇足気味である。
戦前の貧しい時代に築かれた彼女の作家としての原点や精神性をこの場面により強調しようという、井出俊郎と田中澄江(共同脚本)の狙いも分らないではないが、屋上屋を重ねるとは言えないまでもすっきりしない印象を残す。ただ、彼女が働き盛りの47歳で急死したことを思うと、この幕切れは暗示的なものがあるような気がする。
林芙美子自身の言葉が文字とナレーションとなって語られるのは、うらぶれた感じの物語にユーモアを醸し出し、一定の効果を上げている。
「浮雲」「晩菊」「稲妻」など彼女の作品を少なからず映像化してきた成瀬巳喜男の集大成的な作品で、文学ファンでもある僕には少なからず興味のある林芙美子の伝記なので楽しめるが、挿話をぶつ切り的に並べた印象も禁じ得ないので、彼女の作品を映画化した諸作の情味には及ばない。
でこちゃんがへったれ眉毛の不細工メイクで奮闘しているが、写真で知っているご本人はあれほどひょうきんな顔ではないであります。
1962年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり
1930年に出版され出世作となった林芙美子のこの自伝小説は、菊田一夫の手により戯曲化され、ご存知のように森光子主演で40年を超える大ロングランになっている。小説版は戦前と54年に映画化されているので、都合三回目の映画化と思う(戦前版は確認できず)。
母と行商しながら成長したふみ子(高峰秀子)は、女中・女工・女給などを転々、詩や童話を通じて知り合った文士たちと同棲するも甲斐性のない男たちと上手く行かないまま、どん底生活を書き綴った「放浪記」が雑誌『女人芸術』に採用される。
勿論ここまでが原作のお話である。
映画はその後単行本として敢行された「放浪記」が大ベストセラーになり、戦後眠る暇もない程売れっ子になって、出版社の営業だけでなくわけの解らん連中が頼って遣って来るところまで描いているが、蛇足気味である。
戦前の貧しい時代に築かれた彼女の作家としての原点や精神性をこの場面により強調しようという、井出俊郎と田中澄江(共同脚本)の狙いも分らないではないが、屋上屋を重ねるとは言えないまでもすっきりしない印象を残す。ただ、彼女が働き盛りの47歳で急死したことを思うと、この幕切れは暗示的なものがあるような気がする。
林芙美子自身の言葉が文字とナレーションとなって語られるのは、うらぶれた感じの物語にユーモアを醸し出し、一定の効果を上げている。
「浮雲」「晩菊」「稲妻」など彼女の作品を少なからず映像化してきた成瀬巳喜男の集大成的な作品で、文学ファンでもある僕には少なからず興味のある林芙美子の伝記なので楽しめるが、挿話をぶつ切り的に並べた印象も禁じ得ないので、彼女の作品を映画化した諸作の情味には及ばない。
でこちゃんがへったれ眉毛の不細工メイクで奮闘しているが、写真で知っているご本人はあれほどひょうきんな顔ではないであります。
この記事へのコメント
「放浪記」といえば、そういえば森光子さんの舞台が有名な話だったっけ、と、映画を観たあとで思いました。
高峰秀子さんが「変な顔」まで見せて頑張っていたのには、感嘆してしまいました。そういう意味でも記憶に残りそうな映画です。
>でこちゃんがへったれ眉毛の不細工メイクで奮闘
本当に小さい時から映画界で活躍し家族を養ってきたこの大女優と、この生きることに奮闘する作家とは通じるものがあったのではないかとふと思いました。
私は「放浪記」=林芙美子ですが、「放浪記」=森光子という人も多いでしょうね。何しろ45年くらいやっているわけですから、これは世界記録ものです。
不細工メイクは、特に白粉を塗ったときに目立って、一緒に観ることにした老母など大受けでしたよ。
話の面白さはともかく、情感という意味ではやや物足りない作品ではありました。傑作「浮雲」などと比べては分が悪いですが。
高峰秀子のことをよくご存知のようですね。私が観た一番古い彼女は「綴方教室」、13~14歳のときの彼女です。
>林芙美子との共通性
なるほど、そういう見方もできるかもしれないですね。
時間があったら「放浪記」をまた読んでみようかなと思います。
成瀬・林芙美子ものはこれが初めての鑑賞でした.
今後「浮雲」「晩菊」「稲妻」にも挑戦してみたいと思います.
なかなか面白かったでしょう。
しかし、傑作「浮雲」を見た後では大分、情感的な部分で差があるなあ、という印象を禁じえなかった私です。
「浮雲」は断然お薦めです。ちょっとしつこい感じがするのですが、何度も観るうちにその良さが解ってくるんですよ。
仕事に余裕がなくて、記事更新がなかなかできないんですけれど、DVD鑑賞は何とかそれなりに・・・。
相変わらず、古いフランス映画ばかり(「シェルブールの雨傘」「ロバと王女」なんか)ですが、昨日「ダークナイト」を観て、近作のエンターテインメント作品でも良作はあるのだということにカルチャー・ショックを受け、シュエットさんとこにお邪魔してきました。
さて、「放浪記」ですが、オカピー評6点とは、これまた厳しいですね。わたしは、成瀬作品という権威迎合も手伝ってしまい、なかなかの良作と思ってしまってます。でも、確かに貧困に関するテーマに背骨がないような気はします。
サクセス・ストーリーとしての安易な見方もできないこともないですし・・・。
わたしは、あのどうしようもない宝田明の苛立ちに感情移入してしまいました。ラスト近くに祝辞の言いにきた彼の勇気をもっと強調して欲しかったですし、うかばれない彼の苦悩にもう少し焦点を当てたり、芙美子と草笛光子との確執、同人誌仲間との友情など、もう少し丁寧に描いてくれれば、もっと素晴らしい作品になったように思います。やはり、脚本の不十分さ、というか、主張する内容の不足なのかなあ?
では、また。
相変わらずお忙しいようですね。
>オカピー評6点とは、これまた厳しい
ふーむ、傑作「浮雲」が絶対的指標になっているということもあるかな。
それと昨今の映画と単純に比較すると☆が跳ね上がってしまうので、付けた重しが過剰になってしまうこともあるんですね。(笑)
現在の映画の水準に照らせば軽く7点でしょう。それ以上付けると「浮雲」に申し訳ない。(笑)
一番気になったのは映画的な流れの希薄さで、勿論これは原作がエピソード集であって長編小説的な構成になっていないからということもあるのですが、スケッチ的な面白さに留まっている・・・というわけで☆3つに留めました。
恐らくトムさんの指摘された部分とも関連してくる理由であると思います。当時は大雑把に「ぶつ切り的」と言い切って細かい点に触れていないのが祟って、今となると具体的な問題点が解らなくなっているというお粗末ぶりです・・・