映画評「ダーティハリー」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1971年アメリカ映画 監督ドン・シーゲル
ネタバレあり
1971年には後世に残るポリス・アクションの傑作が二本作られた。一本は本作、もう一本は「フレンチ・コネクション」である。アメリカでは「フレンチ」は好評で、「ハリー」は批評家受けしなかったらしい。翌年公開された日本では評価差が縮まっていたが、それでも「フレンチ」のほうが高い評価を受けた。
差が縮小したことに逆に日本の映画批評家のレベルの高さを僕は感じ取った。何故なら、純粋に映画的に評価するなら「ハリー」の方が明らかに優れた映画だったからである。アメリカの批評家はとかく内容で映画を観すぎる。文学的な評価を映画の評価としてしまう悪い癖が映画創生以来ずっと続いている。
映画批評とは最初に主題もしくは狙いを見つけ、次にそれがいかに上手く映像化されているかを視ることである。主題そのものに価値があると思うのは間違いと言わねばならない。日米批評家を比較した時どちらがそれを実践できているかと言えば、日本の方が多い。ヌーヴェルヴァーグ以降映画を観始めた批評家が大半を占める今、日本の批評家のレベルも相当落ちているように思う。
屋上プールの女性が射殺される事件が発端。クリント・イーストウッド扮するハリー・キャラハンが犯人のいたビルの屋上を調査する場面からして素晴らしい。サンフランシスコの全貌を捉えたショットが圧巻である。
犯人<さそり>は大金を要求し、実施されなければ次々と市民を殺すと脅迫し、やがて黒人少年、神父と実行に移されていく。
どこまでも法律が幅を利かせるアメリカでは警官と言えども法律に縛られ、違法捜査をして逮捕した犯人は有罪であることが確実でも無罪となる。それを乗り越えようとしたのがハリーである。言わば、御定法(ごじょうほう)で裁き切れない悪人を倒す必殺仕事人だ。
それがアメリカの批評家の反発を買ったらしい。「実際のサンフランシスコの警官は悪党ばかりで、アウトローとは言えハリーのような警官などいない」というのだ。その点「フレンチ・コネクション」のポパイは確かに人間的に複雑で現実感がある。要は、リアリズムの差で映画としての評価に差を付けたわけである。リアリズムは重要な要素ではあるが、作品によって柔軟に考えるべきものであって、一様に考えると自縄自縛となってバランスの取れた映画鑑賞はできない。
アンディー・ロビンスン(好演!)扮する異常極まりない犯人にはモデル<ゾディアック・キラー>がいて、別の男が起こしたスクールバスのハイジャック事件も作品に取り込まれている。つまり、現実に即した内容を劇画的に処理したのが本作で、スタジアムでの撃ち合いから幕切れに至る圧倒的な馬力に観客は手に汗を握り続ける。
この作品の持つアクションの切れ・スピード、サスペンスのテンションの高さ、繋ぎの呼吸は、「フレンチ」を断然しのいでいる。映画的に遥かに美しい。
「フレンチ」におけるウィリアム・フリードキンの空気感醸成も見事で、評価していないわけではない。しかし、本作の映画としての魅力、美しさに僕は脱帽するしかないのだ。勿論、ドン・シーゲルのベスト作品である。
ラスト・シーンでハリーはバッジを捨てる。続編など夢にも想定していない終わり方である。が、現実には勝てず、続編が四本も作られた。通俗アクションとして楽しめるものもあったが、ハリーは常識的なヒーローになっていた。
「フレンチ・コネクション」映画評はこちら。
1971年アメリカ映画 監督ドン・シーゲル
ネタバレあり
1971年には後世に残るポリス・アクションの傑作が二本作られた。一本は本作、もう一本は「フレンチ・コネクション」である。アメリカでは「フレンチ」は好評で、「ハリー」は批評家受けしなかったらしい。翌年公開された日本では評価差が縮まっていたが、それでも「フレンチ」のほうが高い評価を受けた。
差が縮小したことに逆に日本の映画批評家のレベルの高さを僕は感じ取った。何故なら、純粋に映画的に評価するなら「ハリー」の方が明らかに優れた映画だったからである。アメリカの批評家はとかく内容で映画を観すぎる。文学的な評価を映画の評価としてしまう悪い癖が映画創生以来ずっと続いている。
映画批評とは最初に主題もしくは狙いを見つけ、次にそれがいかに上手く映像化されているかを視ることである。主題そのものに価値があると思うのは間違いと言わねばならない。日米批評家を比較した時どちらがそれを実践できているかと言えば、日本の方が多い。ヌーヴェルヴァーグ以降映画を観始めた批評家が大半を占める今、日本の批評家のレベルも相当落ちているように思う。
屋上プールの女性が射殺される事件が発端。クリント・イーストウッド扮するハリー・キャラハンが犯人のいたビルの屋上を調査する場面からして素晴らしい。サンフランシスコの全貌を捉えたショットが圧巻である。
犯人<さそり>は大金を要求し、実施されなければ次々と市民を殺すと脅迫し、やがて黒人少年、神父と実行に移されていく。
どこまでも法律が幅を利かせるアメリカでは警官と言えども法律に縛られ、違法捜査をして逮捕した犯人は有罪であることが確実でも無罪となる。それを乗り越えようとしたのがハリーである。言わば、御定法(ごじょうほう)で裁き切れない悪人を倒す必殺仕事人だ。
それがアメリカの批評家の反発を買ったらしい。「実際のサンフランシスコの警官は悪党ばかりで、アウトローとは言えハリーのような警官などいない」というのだ。その点「フレンチ・コネクション」のポパイは確かに人間的に複雑で現実感がある。要は、リアリズムの差で映画としての評価に差を付けたわけである。リアリズムは重要な要素ではあるが、作品によって柔軟に考えるべきものであって、一様に考えると自縄自縛となってバランスの取れた映画鑑賞はできない。
アンディー・ロビンスン(好演!)扮する異常極まりない犯人にはモデル<ゾディアック・キラー>がいて、別の男が起こしたスクールバスのハイジャック事件も作品に取り込まれている。つまり、現実に即した内容を劇画的に処理したのが本作で、スタジアムでの撃ち合いから幕切れに至る圧倒的な馬力に観客は手に汗を握り続ける。
この作品の持つアクションの切れ・スピード、サスペンスのテンションの高さ、繋ぎの呼吸は、「フレンチ」を断然しのいでいる。映画的に遥かに美しい。
「フレンチ」におけるウィリアム・フリードキンの空気感醸成も見事で、評価していないわけではない。しかし、本作の映画としての魅力、美しさに僕は脱帽するしかないのだ。勿論、ドン・シーゲルのベスト作品である。
ラスト・シーンでハリーはバッジを捨てる。続編など夢にも想定していない終わり方である。が、現実には勝てず、続編が四本も作られた。通俗アクションとして楽しめるものもあったが、ハリーは常識的なヒーローになっていた。
「フレンチ・コネクション」映画評はこちら。
この記事へのコメント
終盤、バスに飛び乗ろうと橋の上で待ちかまえるハリーが出てくるショットにはいつもワクワクします。
<http://blog.goo.ne.jp/8seasons/e/c95001cd4609af2a4095e787bb8d052a>
10点と9点の間で迷ったのですが、「フレンチ」が8点なので2点差にすると「フレンチ」ファンに怒られるかなあと思いまして、などというのは口実。
私もあのショットは好きです。最近のちゃらちゃらした演出と違って、この時代のアクションは腰が据わっていますね。よっ大将、てな感じになります。
ドン・シーゲルはやはり馬力がある上に、上手いなあという感じが致しました。どちらかと言えば職人的な感じがしていましたが、この作品などは見事に映画作家の作品と言えるものでしょう。
>師匠は、ドン・シーゲルが好きなんです。
そうだったんですか!
>映画的に段違い
双葉師匠の採点。「ダーティハリー」は80点、「フレンチ・コネクション」が75点。でも点数じゃないって事ですよね。
「マンハッタン無宿」は70点ですが、褒めています。
>御定法(ごじょうほう)で裁き切れない悪人を倒す必殺仕事人だ。
日本では大いにウケたわけです。
>>コロナワクチン接種2回目に行って来ます。
>いかがでしたか?
今のところ体温は36.4℃です。ちょっと寒気がします。食欲があまりないです。
>初期の変態的な歌詞、演奏も楽しいので
「うめぼし」昔から大好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=ksrMTxOvyEg
>モーツァルト以上の凄さではないですか?
「Roll over Mozart」ですねー!
>代替えが効かないという点で、ジョンに敵う歌手はいないと思うわけです。
仰る通りです。「ジョンの魂」の中で僕が一番好きな「Remember」もジョン・レノンでなければ歌えません。
>でも点数じゃないって事ですよね。
5点が大きな差であることもあり、そうではない場合もあります。
ご本人は、採点と文章とでその辺は推し量ってくれというニュアンスのことを仰っていますね。
>「マンハッタン無宿」
「ダーティハリー」の原点が見出せる感じの作品でしたね。
>今のところ体温は36.4℃です。ちょっと寒気がします。食欲があまりないです。
僕の平熱ではないですか!
僕も37度くらいで悪寒があった時間帯がありましたが、その後は熱が上がる一方でした。その割にしんどい感じが余りしなかったのは幸いでした。
寧ろ腕の痛みが信じがたいほどきつかったですね。こちらの為に二度痛み止めを飲みました。
>「うめぼし」昔から大好きです。
おおっ、ファースト・アルバムの曲ではないですか!
これは少しだけ変態ですね(笑)
初期のスピッツの歌詞は、初期の井上陽水に通ずるものがあるように感じます。陽水も若い頃、かもめ、鳩、カブトムシといった動物を歌詞に出してきましたし、日常的な生活を活写したものが多いですからね。
>「Roll over Mozart」ですねー!
良いですね。
名指揮者レナード・バーンスタインが、“ビートルズは、少なくともシューベルトより偉大である”と言ったと、どこかで読みました。
>ジョン・レノンでなければ歌えません。
僕は、ビートルズ前期に取り上げた「ツイスト・アンド・シャウト」や「ロックンロール・ミュージック」などのカバーにおけるジョンのボーカルは、すごろしい(すごい+おそろしい)と思います。
好き嫌いはともかく、オリジナルを圧倒している感あり。
「ベイビー・イッツ・ユー」も好きです。
67年以降、あのシャープでスピード感のある歌い方を捨てた感があるのが、ちょっと残念です。
日本語吹き替え版でアンディ・ロビンソンが(堀勝之祐さんの声で)「♪漕げ漕げ漕げよ ボート漕げよ」あれはいつまでも記憶に残ります!
ビビりながらも運転するオバサン運転手を演じたルース・コバート(1924年4月24日– 2002年12月14日)も好演です。海外ウィキペディアでも調べました。映画化される前の舞台版「カッコーの巣の上で」 看護婦長ラチェッド役を演じていたんですね!18か月にわたるサンフランシスコでの公演。
>「ゴルゴ13」は映画版ですか?
漫画の方です。複葉機を操縦するお爺ちゃんがいい味を出してました。
>日本語吹き替え版でアンディ・ロビンソン
僕も初めて観たのはTVの吹き替え版でした。
カットはありましたが、実に面白いと思いましたね。
この役者はなかなか強烈でした。作品成功の功労者の一人ですね。
>ビビりながらも運転するオバサン運転手を演じたルース・コバート(1924年4月24日– 2002年12月14日)も好演
なるほど。確かに存在感がありましたね。
僕は、数をこなすので、ここまでの端役を調べる余裕はないです。
当時は、自家用車の運転手でこそ珍しくなくなりましたが、女性運転手かと珍しく思ったと記憶しています。
>漫画の方です。複葉機を操縦するお爺ちゃんがいい味を出してました。
なら余計に解らないです(笑)
僕と違ってコミック好きの兄貴が持っていたのを少しだけ読んだことがありますが。
「レイジング・ブル」では世界ミドル級チャンピオンの役。鍛えられた肉体。その後は肥満体型のコメディアン。その落差が驚きです!
クリント・イーストウッドは色々な役を演じるタイプではないですね。
そしてアンディ・ロビンソンは同じような役しか回ってこないから嫌気が差して5年ほど休業したのは有名な話です。
https://www.youtube.com/watch?v=vcUiryx6g3k
何だか石橋蓮司みたいなイメージです。
ダーティな面をかくさないところが70年代らしいと私は思ってましたが、あとで本なんかで読むと、男の弱さを描くのが主流になってた時代にはダーティハリーはマッチョ過ぎて、それが大衆受けしたのが一部の批評家には不愉快だったようなのです。かっこわるい面も隠さないあたりは昔のヒーローとちがって、ニューシネマ通過後の主役にふさわしいように見えたのですが。
>昨日「レナードの朝」を見ました。
>重症の患者レナードを演じたロバート・デ・ニーロ。やっぱりすごいです!
「レナードの朝」は昔観ましたが、今回録ろうかどうか迷って、結局録らなかったです。
デ・ニーロは凄いですが、時に大袈裟になるので、少し苦手。
彼のような方法論をデ・ニーロ・アプローチと言うようになりましたね。クリスチャン・ベールも典型的なこの方法論を取る役者です。
>クリント・イーストウッドは色々な役を演じるタイプではないですね。
そうですね。
基本的に、反骨的な保守という役が多いです。反骨的ですから、保身的な行動には走らず、政権であろうが上司であろうが問題があると思えば逆らう。ハリーはその典型でしょう。
>アンディ・ロビンソンは同じような役しか回ってこないから嫌気が差して5年ほど休業
そのようですね。
ジョン・ウェイン、スタローン、シュワルツェネッガーなどスター俳優の方にその傾向が強いような気もしますが、脇役俳優でも当たり役が当たると、同じような役を当てようとするのは人情と言えば人情。
>男の弱さを描くのが主流になってた時代にはダーティハリーは
>マッチョ過ぎて、それが大衆受けしたのが一部の批評家には不愉快だった
なるほど。確かにニューシネマ後期で、弱くて格好悪い男が主人公の映画が多く作られた後に出て来た作品ですね。
しかし、淀川先生が仰ったように、良く出来た脚本であり、ドン・シーゲルの演出も抜群だったことを素直に褒められない批評家はペケです(笑)