映画評「ヴェニスの商人」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2005年アメリカ=イタリア=ルクセンブルグ=イギリス映画 監督マイケル・ラドフォード
ネタバレあり
ウィリアム・シェークスピアの中でも有名な喜劇であるが、トーキーの劇場用映画化としては初めてらしい。但し、TV映画版は腐るほど(20本くらい)あるので、映像作品として珍しいわけではない。
何故悲劇的な要素を含む「ヴェニスの商人」が喜劇なのか疑問に思う人があるかと思うので、知っている範囲で説明しましょう。
文芸用語としての喜劇は、映画の喜劇とは定義が違う。例えば、ギリシャ古典での喜劇の定義は小市民を主役とした演劇であり、現代演劇に至るまで作者が主人公とみなした人間にとってハッピーエンドに終れば喜劇とみなされる。
映画で言うコメディーは、中世・近世ではファルス(笑劇)が最も近い。
16世紀末のベネチア、放蕩で財産を使い果たしたバッサーニオ(ジョゼフ・ファインズ)が、若く美しい女相続人ポーシャ(リン・コリンズ)に求婚する為に親友アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)を保証人としてユダヤ人の高利貸しシャイロック(アル・パチーノ)から無利子で大金を借りることに成功するが、最終担保は何とアントーニオの肉1ポンド。
やがて首尾よく求婚を果たした彼に反し、船が難破して破産したアントーニオには、肉を削がれる運命が迫る。
そこへ才気溢れるポーシャが男装して裁判所へ法学博士として乗り込み、「肉を切る時に血を出さず、かつ1ポンドきっかりに切り取らねば全てを没収する」という、「一休とんち話」のような判決を下す。
当然シャイロックは実行出来ずに全てを失う。
人肉裁判にどうしても目が行きがちだが、これもシェークスピアが得意とした恋愛喜劇の一編である。少女が男装してそのまま通用してしまうのも喜劇の喜劇たる所以。そこへ市民の金融業者への憎悪とユダヤ人差別をまぶした点にシェークスピアの先見性と諧謔精神が見られ、凄みのある喜劇となっているわけである。
恐らく当時の英国人は観劇後ご機嫌で帰宅したであろうが、現代人の感覚ならシャイロックに対する処分に義憤の気持ちが起こりうる。しかし、老人にも吝嗇を責められて仕方がない部分がないではない。
近年「ロミオとジュリエット」「ハムレット」など現代翻案版が多い中で、このシェークスピア映画は原作に忠実、ムード醸成の為のロケ効果も絶大でかなり満足出来る部類と言って良い。
配役では、「リチャードを探して」からシェークスピアに傾倒していることが伺われるアル・パチーノが全く見事である。ポーシャに扮したリン・コリンズの中世風容貌も印象に残る。
2005年アメリカ=イタリア=ルクセンブルグ=イギリス映画 監督マイケル・ラドフォード
ネタバレあり
ウィリアム・シェークスピアの中でも有名な喜劇であるが、トーキーの劇場用映画化としては初めてらしい。但し、TV映画版は腐るほど(20本くらい)あるので、映像作品として珍しいわけではない。
何故悲劇的な要素を含む「ヴェニスの商人」が喜劇なのか疑問に思う人があるかと思うので、知っている範囲で説明しましょう。
文芸用語としての喜劇は、映画の喜劇とは定義が違う。例えば、ギリシャ古典での喜劇の定義は小市民を主役とした演劇であり、現代演劇に至るまで作者が主人公とみなした人間にとってハッピーエンドに終れば喜劇とみなされる。
映画で言うコメディーは、中世・近世ではファルス(笑劇)が最も近い。
16世紀末のベネチア、放蕩で財産を使い果たしたバッサーニオ(ジョゼフ・ファインズ)が、若く美しい女相続人ポーシャ(リン・コリンズ)に求婚する為に親友アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)を保証人としてユダヤ人の高利貸しシャイロック(アル・パチーノ)から無利子で大金を借りることに成功するが、最終担保は何とアントーニオの肉1ポンド。
やがて首尾よく求婚を果たした彼に反し、船が難破して破産したアントーニオには、肉を削がれる運命が迫る。
そこへ才気溢れるポーシャが男装して裁判所へ法学博士として乗り込み、「肉を切る時に血を出さず、かつ1ポンドきっかりに切り取らねば全てを没収する」という、「一休とんち話」のような判決を下す。
当然シャイロックは実行出来ずに全てを失う。
人肉裁判にどうしても目が行きがちだが、これもシェークスピアが得意とした恋愛喜劇の一編である。少女が男装してそのまま通用してしまうのも喜劇の喜劇たる所以。そこへ市民の金融業者への憎悪とユダヤ人差別をまぶした点にシェークスピアの先見性と諧謔精神が見られ、凄みのある喜劇となっているわけである。
恐らく当時の英国人は観劇後ご機嫌で帰宅したであろうが、現代人の感覚ならシャイロックに対する処分に義憤の気持ちが起こりうる。しかし、老人にも吝嗇を責められて仕方がない部分がないではない。
近年「ロミオとジュリエット」「ハムレット」など現代翻案版が多い中で、このシェークスピア映画は原作に忠実、ムード醸成の為のロケ効果も絶大でかなり満足出来る部類と言って良い。
配役では、「リチャードを探して」からシェークスピアに傾倒していることが伺われるアル・パチーノが全く見事である。ポーシャに扮したリン・コリンズの中世風容貌も印象に残る。
この記事へのコメント
特に日本人の感性から鑑みるとほんとうに「人肉裁判」のいきさつばかりに感想が集中していますね。(私もそうでした)
この映画を観て良かったのは小学校のペーペー時分にスラッと通り過ぎた「世界文学全集の中の“ヴェニスの商人”」をきちんと観れたこと。
いつも感じているのは同じシェークスピアでも悲劇大好き日本人の心根に合うのでしょうか「ハムレット」「オセロ」が突出して演劇でも映画でも圧倒的に多く、とり上げらてきていますね。
やはり日本人には洋物喜劇は苦手なのかも。
プロフェッサーのおっしゃるように“しっかり人情味が絡んだ可笑しみ”がないと、物語の面白さだけでは入っていけないのでしょうね。
ですから、やっぱり「男はつらいよ」になるわけ・・・ですか?(笑)
シェークスピアが「人肉裁判」を傍観者として取り込んだのかと言えばNOで、世情への批判的精神があったはずですが、それを前面(あるいは全面か)に出すことは時代が許さなかったでしょう。喜劇の一要素として処理し、その中で凄みを発揮していると思います。
シェークスピアなんて言うと高級文学と思っている方が多いでしょうが、当時は大衆芸能だったわけです。それを解した当時の英国庶民は凄い。もっとも彼の詩的技術まで理解していたかは疑問ですが、わが国の<映画ファン>の現状を考えると大したものです。
姐さんのご推察どおり、日本人は洒落が苦手な国民ですね。
ただ同じ人情でも「トラック野郎」が「寅さん」ほどの人気を得られなかったのは、やはり<上手さ><品格>の差が解る人も少なくない証左。それは嬉しいですよ。