映画評「DEATH NOTE デス・ノート(前編)」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・金子修介
ネタバレあり
11月から続編が公開されることで、公開されて5ヶ月も経たないのに早くもタイアップ放映であります。民放では避けられないCMの中断はフィルムの削除より罪深いことだが、とりあえず観る。
法学生・夜神月=ヤガミライト(藤原竜也)が、殺人犯などが無罪放免される現実に法律の限界を知った時、顔と名前の一致すると目的の人物を殺すことができるという奇怪なデス・ノートを拾う。その力を知った彼は、官憲の追及の手を回避するうちに、悪を除くという所期の目的を忘れ悪魔そのものになっていく。
原作はコミック(大場つぐみ)として有名らしいが全く知らない。一般的に原作を知っていてプラスになることは殆どないので、丁度良い。
幾つかポイントがある。
一つは現在版「ファウスト」とでも言うべき物語で、天才という設定の主人公はファウスト、死神リュークはメフィストフェレスに相当する。違うのはデス・ノートというギミックの存在で、死神自身は訳の分らないことを駄弁っているだけで余り能がないのだが、ミイラ取りがミイラになるような展開が一通りの興味。
もう一つはL(松山けんいち)という若い天才探偵的頭脳の登場により、ルパン対ガニマール、ホームズ対モリアーティ博士のような古典的な頭脳合戦の要素が加わっていることで、そこそこ退屈しないでいられる理由となっている。
夜神月の父親(鹿賀丈史)が事件を指揮する刑事という設定も面白い。
感心出来ないのは、デス・ノートの効力が絶大すぎてご都合主義的であり、天才同士の闘いがこの<前編>を観る限りは一方的に夜神月に分が良いこと。これでは虚々実々の駆け引きにならず、手に汗を握るところまでは行かない。
一般的なサスペンスとして観るなら現状でほぼOK。サイコ・スリラーとして観るなら夜神月の性格描写は些か足りない。従って、サスペンスとして観ることをお勧めする。言い換えれば、とっちづかずの作り方である側面も否定できないということです。
2006年日本映画 監督・金子修介
ネタバレあり
11月から続編が公開されることで、公開されて5ヶ月も経たないのに早くもタイアップ放映であります。民放では避けられないCMの中断はフィルムの削除より罪深いことだが、とりあえず観る。
法学生・夜神月=ヤガミライト(藤原竜也)が、殺人犯などが無罪放免される現実に法律の限界を知った時、顔と名前の一致すると目的の人物を殺すことができるという奇怪なデス・ノートを拾う。その力を知った彼は、官憲の追及の手を回避するうちに、悪を除くという所期の目的を忘れ悪魔そのものになっていく。
原作はコミック(大場つぐみ)として有名らしいが全く知らない。一般的に原作を知っていてプラスになることは殆どないので、丁度良い。
幾つかポイントがある。
一つは現在版「ファウスト」とでも言うべき物語で、天才という設定の主人公はファウスト、死神リュークはメフィストフェレスに相当する。違うのはデス・ノートというギミックの存在で、死神自身は訳の分らないことを駄弁っているだけで余り能がないのだが、ミイラ取りがミイラになるような展開が一通りの興味。
もう一つはL(松山けんいち)という若い天才探偵的頭脳の登場により、ルパン対ガニマール、ホームズ対モリアーティ博士のような古典的な頭脳合戦の要素が加わっていることで、そこそこ退屈しないでいられる理由となっている。
夜神月の父親(鹿賀丈史)が事件を指揮する刑事という設定も面白い。
感心出来ないのは、デス・ノートの効力が絶大すぎてご都合主義的であり、天才同士の闘いがこの<前編>を観る限りは一方的に夜神月に分が良いこと。これでは虚々実々の駆け引きにならず、手に汗を握るところまでは行かない。
一般的なサスペンスとして観るなら現状でほぼOK。サイコ・スリラーとして観るなら夜神月の性格描写は些か足りない。従って、サスペンスとして観ることをお勧めする。言い換えれば、とっちづかずの作り方である側面も否定できないということです。
この記事へのコメント
原作を知らなくても(ちょっと心配しましたが)充分楽しめました。
原作をなまじ知らない方が集中できるかもしれませんね。
オリジナルを知っているとどうしても比較してしまうので。
私は原作はすぐ側にあっても映画になりそうなのは読まないようにしているのです。書物より映画のほうに重点を置いているからに他なりませんが、不明なら後から読書すれば良いと思っております。
どちらが面白いかという比較は基本的には無意味で、原作とどこが違い、それ故にどういう結果がもたらされたかということが、大事ですよね。
どのブログを読んでも(と言っても幾つも読んでおりませんが)「ファウスト」に触れたところがなく、些か寂しい思いを致しました。殆どが原作との比較ばかり(原作を知らないというのも一種の比較)で、「ファウスト」を読んでいない若者の多さに唖然。読んでいれば自ずと思い出す作品です。