映画評「潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1993年アメリカ映画 監督ランダ・ヘインズ
ネタバレあり
映画ファンにとっては大変魅力的な顔触れだが、基本的に老人たちが主人公だから、子供大人ばかりの日本では30年前の佳作「サンシャイン・ボーイズ」同様当然の如く劇場未公開となった。
フロリダ、ヘミングウェイとレスリングをして勝ったことが自慢の75歳の元船長リチャード・ハリスは、シャーリー・マクレーンが貸している小さなアパートに一人暮らし。遠方にいる息子は両方につばのある帽子を贈ってくるだけで花火に連れて行く約束をすっぽかす。
強がってはいるが実は寂しい老人は、クロスワード・パズルを楽しんでいるキューバ出身の元理容師ロバート・デュヴォールに声を掛けたのがきっかけで喧嘩友達のようになっていく。
暫くは荒くれ男らしいハリスと紳士的なデュヴォールの掛け合い漫才のようなやり取りが続き、二人が自転車に乗ったり全裸で泳ぐ場面が愉快である。
ハリスは映画通いが趣味らしい老婦人パイパー・ローリーにモーションを掛けては失敗を重ね、遂にその映画館のもぎりまで遣り始めるが結局この恋は実らない。片やデュヴォールはレストランのウェイトレス、サンドラ・ブロックに淡い恋心を抱いている。生涯独身の彼はベーコンとパンばかり注文する彼の体を心配してくれる彼女についぞ見ぬ娘のような愛情を覚えているに違いない。しかし、彼女もここを去る日が遣って来る。
二人は相手の孤独を馬鹿にしながら互いを労り、ダンスパーティへ行くことにするが、当日ハリスは帰らぬ人になる。
老人の孤独と死を扱えば暗くなりそうだが、脚本のスティーヴ・コンラッドは人生の残照を軽妙に歌い上げ、女性監督ランダ・ヘインズの眼差しは父親を見つめる娘のように非常に優しく温かい。二人が黒人少女と踊る場面などじーんとするし、椰子の生えた海岸沿いを二人が自転車を走らせる場面は言葉にならないほど美しい。御見事である。
厳しく見れば多少の緩みはあるが、そこは役者が補う。
ハリスはややもするとオーヴァーアクトになりがちだったが、年を取ってから枯れて良い味を出すようになった。デュヴォールは若い頃から目立たないのが素晴らしいと思わせた役者。そこに希代の名女優シャーリー・マクレーンと、お嬢さん女優から名女優に変身したパイパー・ローリー、売り出し前のサンドラ・ブロックが加わって織り成すアンサンブルが快い。ラテン系音楽の使い方も洒落ている。
一人が船長、一人が野球好きという設定は恐らくコンラッドがヘミングウェイにオマージュを捧げたもの、あるいはヘミングウェイ的老人を二分したものと理解することが出来る。
ハリスがちょっかいを出そうとした時パイパーが見ていた映画は「避暑地の出来事」と「華麗なる賭け」でありました。なるほどなるほど。
1993年アメリカ映画 監督ランダ・ヘインズ
ネタバレあり
映画ファンにとっては大変魅力的な顔触れだが、基本的に老人たちが主人公だから、子供大人ばかりの日本では30年前の佳作「サンシャイン・ボーイズ」同様当然の如く劇場未公開となった。
フロリダ、ヘミングウェイとレスリングをして勝ったことが自慢の75歳の元船長リチャード・ハリスは、シャーリー・マクレーンが貸している小さなアパートに一人暮らし。遠方にいる息子は両方につばのある帽子を贈ってくるだけで花火に連れて行く約束をすっぽかす。
強がってはいるが実は寂しい老人は、クロスワード・パズルを楽しんでいるキューバ出身の元理容師ロバート・デュヴォールに声を掛けたのがきっかけで喧嘩友達のようになっていく。
暫くは荒くれ男らしいハリスと紳士的なデュヴォールの掛け合い漫才のようなやり取りが続き、二人が自転車に乗ったり全裸で泳ぐ場面が愉快である。
ハリスは映画通いが趣味らしい老婦人パイパー・ローリーにモーションを掛けては失敗を重ね、遂にその映画館のもぎりまで遣り始めるが結局この恋は実らない。片やデュヴォールはレストランのウェイトレス、サンドラ・ブロックに淡い恋心を抱いている。生涯独身の彼はベーコンとパンばかり注文する彼の体を心配してくれる彼女についぞ見ぬ娘のような愛情を覚えているに違いない。しかし、彼女もここを去る日が遣って来る。
二人は相手の孤独を馬鹿にしながら互いを労り、ダンスパーティへ行くことにするが、当日ハリスは帰らぬ人になる。
老人の孤独と死を扱えば暗くなりそうだが、脚本のスティーヴ・コンラッドは人生の残照を軽妙に歌い上げ、女性監督ランダ・ヘインズの眼差しは父親を見つめる娘のように非常に優しく温かい。二人が黒人少女と踊る場面などじーんとするし、椰子の生えた海岸沿いを二人が自転車を走らせる場面は言葉にならないほど美しい。御見事である。
厳しく見れば多少の緩みはあるが、そこは役者が補う。
ハリスはややもするとオーヴァーアクトになりがちだったが、年を取ってから枯れて良い味を出すようになった。デュヴォールは若い頃から目立たないのが素晴らしいと思わせた役者。そこに希代の名女優シャーリー・マクレーンと、お嬢さん女優から名女優に変身したパイパー・ローリー、売り出し前のサンドラ・ブロックが加わって織り成すアンサンブルが快い。ラテン系音楽の使い方も洒落ている。
一人が船長、一人が野球好きという設定は恐らくコンラッドがヘミングウェイにオマージュを捧げたもの、あるいはヘミングウェイ的老人を二分したものと理解することが出来る。
ハリスがちょっかいを出そうとした時パイパーが見ていた映画は「避暑地の出来事」と「華麗なる賭け」でありました。なるほどなるほど。
この記事へのコメント
ご紹介の「サンシャイン・ボーイズ」は観ていないので今度観てみますね。
なぜか、ジーさま友だちというのは「絵」になりますね。
「女」は現実的でズ太いからダメなんですね、きっと。(笑)
男性はいつまでも少年であり、ロマンの持ち主だからでしょう。
ハリスもマクレーンもブロックも、そして“デュヴォール”も良かった。
あの、フロリダの空気と暖かさも・・・。
姐さんが褒めていましたから観ました(笑)。未公開映画は監督で選んでしまうので、ランダ・ヘインズでは観なかったかもしれません。相当気になる役者の顔ぶれですが。
確かに女性は中年までですかね、「ベスト・フレンズ」のように。
女性が現実的というのはよく解りますね。だから、歴史クイズなどさせるとてんで駄目。男が戦国時代だの幕末など大好きなのは、かの時代にロマンを感じているから。私は鎌倉時代が一番好きなんですけど。
「山猫は眠らない3」なんてどうでも良い二流のアクション映画は公開されても、子供大人の大国・日本では振り向きもされない。本当の映画ファンは自称映画ファンの1割もいませんや。
そうですね、実像は相当繊細だった筈ですが、一見ヘミングウェイ自身が豪快でこのリチャード・ハリスみたいな人と考えられますし、「老人の海」の老人もそうした豪傑です。その一方で彼は野球が好きで、少年に孫に向けるような愛情を注いでいました。
何となくこれで全体像が見えてきませんか?
「華麗なる賭け」はviva jijiさんの記事で出てくるのは分かってましたが、「避暑地の出来事」は懐かしかったですね。
ハリスの髭剃り後にローションを撫でつけるデュヴォールがゲイ風に描かれていたのも気になりましたが、あれはどんな意味があったんでしょうね?
プロフェッサーの「お嘆き」に希望の光をちょっとばかし。
>本当の映画ファンは自称映画ファンの1割もいませんや。
嘆くな、嘆くな。(笑)
100人映画ファンがいたら10人は確実に、プロフェッサーのおっしゃる本当の映画ファンじゃないですか。
1000人いたら100人よ、100人!
ブログ開設年齢層はガキンチョ~40才台で、20~30才が圧倒的に多いって聞きました。
オリジナル作品を観る機会もないし、ここまで安直にエセ文化&芸術が蔓延している国ですもの。(致し方ないのも実情)
でも増え続けているブログも読者の方も多様。
気長にやりましょうや。
プロフェッサーの後、ハジケながらviva姐も付いていきますから。(笑)
十瑠さんも、そう思ってるよ、きっと。
ローション?ゲイ風?意味?
えええ~、そんな風に感じるぅ~~、あのシーン。
プロフェッサー、感じましたぁ~~?
まず、十瑠さんの提示されたゲイ疑惑説について。
ぶーすかさんの仰るようにヘミングウェイにはゲイの面があったとされていますが、有名なお孫さんも抱えたように、基本的には女性がお好きだった。半自伝「武器よさらば」参照・・・てなところです。
脚本家はもしかしたら暗示的に描こうとしたのかもしれませんが、ここで取られた撮影技法が重要です。
クロースアップは感情を描くのに適した情緒的な手法ですが、ここでは理容そのものの過程を描こうとした、という解釈をしました。が、大写しでいじられる顔を捉えると、作者の意図に拘らずエロティックなムードを醸し出します。
ヘインズが意図的にやったのか否か、今の段階で私には確定的な結論は出ません。
しかし、次の場面が例の全裸泳ぎで、「キューバにいたら結婚」云々という話になりますので、viva jijiさん説に傾きますかね。
真面目に応えてしまいました。謹聴有難うございました(笑)。
何故にこんなに他人様の鑑賞力が気になるかと申せば、それがそのまま作者側に反映されて映画のレベルが下がっていく、という悪循環を恐れているからであります。
今の大学生の中には、(あの懇切丁寧でまだるっこくて仕方がない)TVの2時間ドラマの筋さえ把握できない人間がいる、とある大学の教授が嘆いていました。
一方、【映画の未来を憂える会】会長、時には【映画ファンの鑑賞力を高める会】推進本部長として手ごたえを感じることもままあります。詳細は言わずにおきましょう。快哉を叫びたい出来事に幾つか遭遇しておるのです。
面白くもない当ブログの一月の総アクセス数が初めて10000を超えるかもしれないというのもその些細な一つやもしれません。
ゲイ疑惑説について。
オカピーさんのご指摘のように、<大写しでいじられる顔を捉えると、作者の意図に拘らずエロティックなムードを醸し出し>たということですよね。
この辺が映画の難しいところで、作者の狙いとは違う効果が出てしまい、力以上の芸術性が生まれたり、あらぬ誤解を受けたりする。
始めの方で、ハリスが身長を測るのにナイフを出すところも、「すわ、自殺か・・」なんて気になってしまいましたが、ここは観客にそう思わせる意図だったんでしょうね。
>理容そのものの過程を描こうとした、という解釈をしました。
先のナイフのシーンがありましたので、ここでのクロース・アップもイヤな感じがしました。
「カポーティ」風の黒縁メガネの印象もありますが、この理髪師さん、美を追究する人に有りがちのように、多少はその気(ケ)があっても不自然じゃないと読みました、十瑠です。
>それがそのまま作者側に反映されて映画のレベルが下がっていく、という悪循環を恐れているからであります。
少なくとも、我が日本の現状はそうなりつつあるような気がしますね。そもそも、映画にしても音楽にしても、製作者サイドのターゲットは若者ですから・・・・。
カポーティは姐さんの専門では?
フランスの大作家アンドレ・ジッドも両刀使いでしたし、マルセル・プルースト、ジャン・ジュネ、作家には多いです。人間とは何か人生とは何かを追求していくと、そういうところに光を見出すことになるのかな。
そう言えば、かく言う私にも中学時代あったようです。ごく親しい友人の一人に過ぎないのですが、いつも親しくしているとそういう疑惑も生まれたりするようですね。今ならいじめに繋がるかもしれません。
若い人は全てをゲーム的に捉えますね。
「七人の侍」の百姓と野武士の関係が全く解らず、「連敗の野武士がどうして全滅するまで襲撃を繰り返すのか、あほと違うか」みたいな評がありました。姐さんが怒った【登場人物類型説】と同じ人ですが、明らかにゲーム感覚で観ています。野武士は襲撃する以外に生きる道がなかったことくらい、映画の前半を観るだけでも解るでしょうにね。
自分から言い出しといて何なんですが、例の散髪、ひげ剃りシーンについて別の考え方(ゲイ潔白説)が出てきました。
あそこは、<久しぶりに自慢の腕前を発揮する理髪師の図>をヘインズは描こうとした。そうとれるな、と思いました。
久しぶりに、仕事としてではなく、自らの技で新しい友人の世話をする老人の喜びを描こうとしたのだと。
観直してないので確認できませんが、viva jijiさん、オカピーさんの説の方が妥当のような気がしてきましたよ。
コメントが多いのとアクセス数が増えるので大歓迎です。やはりコメントを読みに訪れる固定ファンが予想外に多そうです。
私の記事などつまらんものですから、viva jijiさんや十瑠さんのコメントの方が面白かったりして。
そういう風に観るのが正解だとは思いますが、クロースアップの扱いの難しさがもろに出たということになりそうですね。
みなさんのように、この作品の詳細については語れませんが、この作品を観ることができてよかった~と嬉かったので、TBさせていただきます♪
TB&コメント、有難うございました。
映画ファンには豪華な顔ぶれですが、一般ファンがベテランの大女優や老人の物語に心動かされるはずもなく、未公開に終ってしまった佳作ですね。
新しい映画も古い映画も腐るほど(失礼!)観ていますので、今後とも宜しくお願い致します♪