映画評「恋愛日記」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1977年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり
フランソワ・トリュフォーの中では面白味の薄い作品だが、過去の作品と関連付けてみれば楽しめる部分が多いし、役者も良い。
飛行機会社の技師をしているらしい主人公シャルル・デネは足フェチで、足を基準に女性にモーションを掛け、かなりの確率で成功もしているらしいが、当然その後には別れがやって来る。
さしずめ現在のドン・ファン的な面もあるが、そうした形容で想像されるよりはずっとナイーヴで、女性もハイティーンから初老に近いご婦人までバラエティに富んでいる。
そんな彼が自分の恋愛経験を総ざらいしてみようと自伝的な小説を書き始め、ラッキーにも出版されるに至り、出版社の広報ブリジット・フォッセーとも懇ろになるが、その直後に交通事故で死んでしまう。
女性を追っかけるのに夢中で事故に遭う辺りは「満足じゃったろ」と寧ろ微笑ましい印象があるが、そうした印象を与えるのもトリュフォーのタッチが例によって柔らかくそこはかとないユーモアが滲み出ているからで、デネが所謂ハンサムではなくしかつめらしい雰囲気の中年男なのも好感に繋がっている。
最初に述べた過去の作品との関連というのは、勿論結婚する以前の<アントワーヌ・ドワネルもの>である。アントワーヌは本作の主人公ほどとっかえひっかえ女性にアクセスしていた印象はないが、大女フェチで、少年時代の母親との関係は相似している。つまりトリュフォー自身も幾らか投影されていると思われるが、戯画的な扱いを見れば母親への恨みは消えているのは確かで、それは次作「逃げ去る恋」で再確認できる。
終盤の展開が言葉に頼っているのはおよそトリュフォーらしくなくてつまらないが、次々と女性が現れる葬式場面は悲しみよりは微笑を誘われ好ましい。
78年の「緑色の部屋」に出演するナタリー・バイや既に大ベテランだったレスリー・キャロンが共演。
1977年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり
フランソワ・トリュフォーの中では面白味の薄い作品だが、過去の作品と関連付けてみれば楽しめる部分が多いし、役者も良い。
飛行機会社の技師をしているらしい主人公シャルル・デネは足フェチで、足を基準に女性にモーションを掛け、かなりの確率で成功もしているらしいが、当然その後には別れがやって来る。
さしずめ現在のドン・ファン的な面もあるが、そうした形容で想像されるよりはずっとナイーヴで、女性もハイティーンから初老に近いご婦人までバラエティに富んでいる。
そんな彼が自分の恋愛経験を総ざらいしてみようと自伝的な小説を書き始め、ラッキーにも出版されるに至り、出版社の広報ブリジット・フォッセーとも懇ろになるが、その直後に交通事故で死んでしまう。
女性を追っかけるのに夢中で事故に遭う辺りは「満足じゃったろ」と寧ろ微笑ましい印象があるが、そうした印象を与えるのもトリュフォーのタッチが例によって柔らかくそこはかとないユーモアが滲み出ているからで、デネが所謂ハンサムではなくしかつめらしい雰囲気の中年男なのも好感に繋がっている。
最初に述べた過去の作品との関連というのは、勿論結婚する以前の<アントワーヌ・ドワネルもの>である。アントワーヌは本作の主人公ほどとっかえひっかえ女性にアクセスしていた印象はないが、大女フェチで、少年時代の母親との関係は相似している。つまりトリュフォー自身も幾らか投影されていると思われるが、戯画的な扱いを見れば母親への恨みは消えているのは確かで、それは次作「逃げ去る恋」で再確認できる。
終盤の展開が言葉に頼っているのはおよそトリュフォーらしくなくてつまらないが、次々と女性が現れる葬式場面は悲しみよりは微笑を誘われ好ましい。
78年の「緑色の部屋」に出演するナタリー・バイや既に大ベテランだったレスリー・キャロンが共演。
この記事へのコメント
序盤の追跡場面は凄かったですね。
トリュフォーの作品は殆ど映画館で観ているんですが、こんな作品でも大スクリーンで観ると何だか映画の世界に没入して映画館を後にした後、女の子に声を掛けたくならないでもなかった・・・25,6年前です。
すみません、例えるのが好きなんです。
しかし、テクニシャンですよねー・笑。
高倉健の引用もありです(笑)。健さんの仁侠映画を映画館で観たことはないですが、よく聞きますね。
真面目くさって<あれ>ですからね。
しかし、声を掛けてみたら昔の女で(ガクッ)、通りの向こうに足の綺麗な女性が歩いていて追いかけたらズドン。やるもんですな(笑)。そのまま寝ていれば助かったかもしれないのに、病院でも色気を出して・・・懲りない男だわさ。