映画評「熊座の淡き星影」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1965年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
ルキノ・ヴィスコンティで唯一未鑑賞だった作品で、彼の生涯のテーマと言っても良いであろう家族の崩壊と貴族階級の黄昏を扱ったものである。
アメリカ人のアンドリュー(マイケル・クレイグ)と結婚したサンドラ(クラウディア・カルディナーレ)が渡米の途中で故郷のイタリア中部はヴォルテーラに立ち寄る。実家は町の支配階級であった名家で、召使たちが主人のいない広大な屋敷を守っている。
以降、結婚式にも現れなかった弟ジャンニ(ジャン・ソレル)、精神病を病んでいる元ピアニストの母(マリー・ベル)、戦時中にユダヤ人である父を密告して死に追いやったと噂される母の後添い(レンツォ・リッチ)らが絡み、愛憎劇を繰り広げる。
どこかで観たことがあるなと思ったが、どうもこれはエレクトラ・コンプレックスの語源となったエレクトラの悲劇をベースにした物語らしい。
序盤20分くらいで姉と弟が再会して濃艶な場面を展開、近親相姦的なムードを醸し出すが、こうした伏線的な部分が続く前半は冗長気味でそう面白いとは言えない。
俄然力が入って来るのは義父が絡んで来る後半で、姉と弟は母やこの義父を激しく憎み、その告白等から小出しに謎を解くように話が展開するのが興味をそそり、そこに姉弟の近親相姦疑惑が絡んで重層的な人間ドラマを構成し見応え十分である。
エウリピデスの悲劇「エレクトラ」とほぼ同じ要素で成り立っているが、勿論確固たる復讐などは出てこず、前述のテーマが顔を出すのみ。弟が近親相姦的な思いを認識しているのに対し、姉には自覚が無いという温度差の扱いが上手く、その為部外者たるアンドリューが一人で旅立つ時に微妙な余情を残す。
彼女が彼を追いかけて行くと思った矢先、父親の像の除幕式の最中に弟の自殺が確認されたところで終り、映画としての結論は確認できない。
それは余韻として肯定的に受け取って良いと思うが、「ベニスに死す」「家族の肖像」等後期ヴィスコンティを知っているので、サンマルコ金獅子賞を受賞していると言っても、スケール感や凄みといった点で物足りなさを覚えるのは致し方あるまい。
配役陣では、ギリシャ悲劇的な濃いメークをしたクラウディア・カルディナーレの力演が目立つ。「外人部隊」「舞踏会の手帖」のマリー・ベルが母親役で出ているが、まるで分らなかった。
1965年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
ルキノ・ヴィスコンティで唯一未鑑賞だった作品で、彼の生涯のテーマと言っても良いであろう家族の崩壊と貴族階級の黄昏を扱ったものである。
アメリカ人のアンドリュー(マイケル・クレイグ)と結婚したサンドラ(クラウディア・カルディナーレ)が渡米の途中で故郷のイタリア中部はヴォルテーラに立ち寄る。実家は町の支配階級であった名家で、召使たちが主人のいない広大な屋敷を守っている。
以降、結婚式にも現れなかった弟ジャンニ(ジャン・ソレル)、精神病を病んでいる元ピアニストの母(マリー・ベル)、戦時中にユダヤ人である父を密告して死に追いやったと噂される母の後添い(レンツォ・リッチ)らが絡み、愛憎劇を繰り広げる。
どこかで観たことがあるなと思ったが、どうもこれはエレクトラ・コンプレックスの語源となったエレクトラの悲劇をベースにした物語らしい。
序盤20分くらいで姉と弟が再会して濃艶な場面を展開、近親相姦的なムードを醸し出すが、こうした伏線的な部分が続く前半は冗長気味でそう面白いとは言えない。
俄然力が入って来るのは義父が絡んで来る後半で、姉と弟は母やこの義父を激しく憎み、その告白等から小出しに謎を解くように話が展開するのが興味をそそり、そこに姉弟の近親相姦疑惑が絡んで重層的な人間ドラマを構成し見応え十分である。
エウリピデスの悲劇「エレクトラ」とほぼ同じ要素で成り立っているが、勿論確固たる復讐などは出てこず、前述のテーマが顔を出すのみ。弟が近親相姦的な思いを認識しているのに対し、姉には自覚が無いという温度差の扱いが上手く、その為部外者たるアンドリューが一人で旅立つ時に微妙な余情を残す。
彼女が彼を追いかけて行くと思った矢先、父親の像の除幕式の最中に弟の自殺が確認されたところで終り、映画としての結論は確認できない。
それは余韻として肯定的に受け取って良いと思うが、「ベニスに死す」「家族の肖像」等後期ヴィスコンティを知っているので、サンマルコ金獅子賞を受賞していると言っても、スケール感や凄みといった点で物足りなさを覚えるのは致し方あるまい。
配役陣では、ギリシャ悲劇的な濃いメークをしたクラウディア・カルディナーレの力演が目立つ。「外人部隊」「舞踏会の手帖」のマリー・ベルが母親役で出ているが、まるで分らなかった。
この記事へのコメント
プロフェッサーのブログは、いつも拝見しておりました。
ただ、会員制があるようで、いつも敷居が高いように感じられ、入り口で毎度つまづく始末でして^^;
本作は、かれこれ20年以上も昔、今は無くなってしまった札幌の名画座にて鑑賞いたしました。当時としては珍しい外国製のゆったりシートで、ヴィスコンティの絢爛たる絵巻物を堪能しようと思ったわけですが・・・
『イノセント』や『家族の肖像』、『地獄に堕ちた勇者ども』などを既に観てしまっていた私には、かなり物足りない内容でした。
初期のネオレアリズモの作風から抜け出し、耽美的にして退廃的世界へと移行する過渡期が『山猫』や本作ということになるのでしょうか。
初期の『揺れる大地』などの秀作も捨てがたいのですが、やはり私は後期のヴィスコンティが好きなのだと、『郵便配達・・・』をBSで鑑賞しながら思っておりました。
あの・・・私の新設ブログにリンクを張らせていただきたいと思っているのですが・・・お手すきの折に、稚拙なサイトでございますが、お立ち寄りくださいませ。
敷居が高いなんてことは全くありませんが、堅苦しいばかり書いても文句を言わずにお寄り戴ける方々に感謝するばかり。
リンクは大歓迎ですよ。コメントも大歓迎です(嫌がらせ以外)。
赤星さん、否、優一郎さんは仕事柄文章が巧みで、悪文の私から観れば羨ましい。そのうち表現テクニックを盗もうと思います(笑)。
一方、私のスタンスは一般の方とちょっと違って、評価は極力客観的、文章には主観もかなり交えるといった感じなので、そんなところを踏まえてお付き合いください。評価が低くても、がっかりしないで文章を読んだら意外と褒めているなんてこともあるかもしれません。
さて、本作ですが、全く仰るとおりで、過渡期的な作品でしょうね。「夏の嵐」など初期に分類される作品でも後期に似た主題を扱っていますが、やはり「山猫」と本作でヴィスコンティの生涯のテーマが完全に定まったと言って良いのでしょう。評価についてもほぼ同じで、物足りない部分が多く、前作の「山猫」の方が完成度も高いですね。
今後とも宜しくお願い致します。
確かに「夏の嵐」や「山猫」に比べ、本作はどうしても地味な印象。クラウディア・カルディナーレのファンの方は、もっと違う観方をしているのかもしれませんが。
映画の「生き字引」と申し上げると失礼かもしれませんが・・・^^; プロフェッサーの豊富にして造詣深き映画知識、映画観、映画歴史観など、これからお勉強させていただきたいと思っております。
よろしくお願いいたします。
CCとしては、珍しく本格的演技でした。ギリシャのイレーネ・パパスが出演した「エレクトラ」を意識していたのかと思わせる化粧と演技でしたね。個人的には「鞄を持った女」や「ブーベの恋人」の彼女が好きですが。
全く大したことはありませんが、こちらこそ宜しくどうぞ。
優一郎さんへのコメントとも関連しますが、CCとしては本当に力演でした。しかし、彼女は結局演技派への道を歩むことはありませんでしたね。寧ろこれ以降気軽な映画が増えたのは何だか皮肉なような気もします。
マリー・ベルは全く気付きませんでしたね。後でクレジットを確認してびっくりした次第。こちらの目が節穴だったのか、それとも・・・
TBを致しました、樹衣子と申します。
>ルキノ・ヴィスコンティで唯一未鑑賞だった作品
ということは、ヴィスコンティの全作品をご覧になってらっしゃるのですね。
オカピーさまは、ヴィスコンティに限らずですが、こだわりの監督、もしくは作品ってありますでしょうか。鑑賞作品の本数がとんでもなく多いようなので、ちょっとお尋ねしました。。。
>ヴィスコンティの全作品をご覧になってらっしゃるのですね
そうですね。
ヴィスコンティが特に好きというわけでもない(二番手グループくらい)ですが、これぞと思った監督は徹底して観てきましたね。
好きなのは、ヒッチコック、昨年亡くなったベルイマン、トリュフォー、山田洋次。全く一貫性がないです(笑)が、これが僕のお気に入り第一グループですね。
ヴィスコンティにはとにかくいつも感心させられました。
彼の作品で僕が好きなのは、先日鑑賞しなおしたばかりの「揺れる大地」「ベニスに死す」「イノセント」です。他の作品も勿論良いわけですが、「家族の肖像」など未だに解りきっていない感じがしまして。
>鑑賞作品の本数がとんでもなく多い
数年前に5桁に乗ったと思います。
また、お越しください。