映画評「柔らかい肌」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1963年フランス映画 監督フランソワ・トリュフォー
ネタバレあり

ヌーヴェルヴァーグではなくニューシネマ時代に映画を本格的に観始めた世代であるから、本作を実際に目をしたのはトリュフォー後期の傑作「隣の女」より後で、同作の強烈なイメージに引きずられて堪能したものである。
 しかし、今日見返すと若干物足りない部分もある。

浮気などしたことのなさそうな中年の一流文芸評論家のジャン・ドザイーがリスボンへ講演に出かけた際に利用した飛行機のスチュワーデス、フランソワーズ・ドルレアックに惹かれ、翌日男女の仲になる。帰国後地方都市ランスでの講演に連れて行くが、ドタバタして彼女を失望させただけでなく、電話を入れてきた妻ネリー・ベネデッティに嘘がばれてしまう。もたもたしているうちに愛人は去り、妻は離婚を決意したものの証拠写真を見て逆上、昼食中の彼に猟銃を放つ。

内容は「隣の女」と共通する男女の愛のもつれによる悲劇だが、もっと客観的に推移を見つめ運命的なものを感じさせた同作に対し、こちらは愛人と逢引するにも常に妻の目を意識せざるを得ない男性のどこか侘しい心理を中心に据えている。
 派手さのない中盤まで面白さは主人公の心理を見つめる文学的な趣向にあると言って良いが、断然凄みがあるのは妻が怪しみ始めてから銃弾をぶっ放す幕切れにかけてのサスペンスフルな凝視的描写である。昔の僕はここの激しさに惚れ込んだわけだが、冷静に眺めると、男性の心理を描くという文学趣味が終盤で破綻してしまった感は否めない。

ただ、細かな演出にはさすがに巧い個所が多い。特に、主人公が妻に「やり直そう」と電話をかける模様と妻が猟銃を持って家を出て行く模様のカットバックの呼吸は見事で、ここだけは激しく宿命的なものを演出している。携帯電話の時代ではこういう面白い演出はほぼ不可能ではないかと思う。

因みにランスでの講演はマルク・アレグレが映画化したアンドレ・ジイドについてということになっているが、調べた範囲ではアレグレがジイドを映像化した事実はない。本作で素晴らしいテーマ曲を書いたジョルジュ・ドルリューが音楽を担当した作品を同じ年に作っているが、勉強不足で関連性は分らない。

クールなヒロインを演じたフランソワーズ・ドルレアックは、カトリーヌ・ドヌーヴの一つ年上の姉。67年に交通事故死したのが大変惜しまれる女優だった。

この記事へのコメント

トム(Tom5k)
2010年05月04日 03:19
オカピーさん、夜分遅くお邪魔します。
トリュフォーが目的というより、ラウール・クタールが目的で、レンタルしてきました。なるほど、「隣の女」の伏線となっている作品ですね。彼らしさが、良く出ていましたね。やっぱり、トリュフォーの作品はどこかにフィルム・ノワールの影響を持っていますよね。また、乾いた作風であるのに、感情移入が出来てしまうことも特徴ですよね。
それにしても、あの奥さんは旦那のことを随分強く愛していたんですね。

ちなみに、ジャン・ドラノアがジイドの「田園交響楽」を映画化し、ジャン・ドザイが出演していたようです。また、ジイドは、マルク・アレグレとは恋人(ホモ・セクシャル)だったらしく、アレグレの演出で映画「ジイドとともに」は、完成したか否か知りませんが、製作。企画はされていたようですよ。

それから、オカピーさんのトリュフォーカテゴリーへの直リンを追加更新させていただいています。
では、また。
オカピー
2010年05月05日 00:45
トムさん、こんばんは。

>乾いた作風・・・感情移入
描写自体は観照的・客観的ですが、パンや移動撮影を使うことにより柔らかみを出していたり、ジョルジュ・ドルリューの音楽の効果もあるかもしれませんね。

この作品はナレーションは使っていましたっけ?
ナレーション嫌いの僕ですが、トリュフォーのナレーションは映画にリズムを生み文学的な香りを出すので、例外的気に入っています。

そう言えば、ウッディー・アレンの「それでも恋するバルセロナ」は「突然炎のごとく」とトリュフォーへのオマージュになっていますよ。僕一人しか言っていませんが、間違いないです。本人に確認しても認めるでしょう。(笑)

>「田園交響楽」
観ております。
原作に感激した為に映画は相対的にもう一歩という印象でした。

>ジイド
アレグレとは相当年の差があるでしょうに。
彼が同性愛者であることは自伝「一粒の麦もし死なずば」で告白されているので有名ですが、そうでしたか。
調べてみたら確かに「ジイドと共に」という作品はありますね。ドキュメンタリーのようで、“映画化”ではないですが。そのことだったのかな。

>直リン
有難うございます。<(_ _)>
トム(Tom5k)
2015年03月08日 13:40
オカピーさん、こんにちは。
アラン・ドロンがラウール・クタールをカメラに迎えたことほどではありませんが、「ブーメランのように」の音楽でジュルジュ・ドルリューにこだわっていたことにも驚きです。既に若いころの「さすらいの狼」で彼と組み、ドロン製作の「ジェフ」でも使いたがっていたことを考えると、ドロンの音楽へのこだわり方も興味深いところです。
なお、わたしはダーバンのCMの小林亜星は素晴らしいと思っています。
では、また。
オカピー
2015年03月08日 21:07
トムさん、こんにちは。

>ドルリュー
僕はトリュフォーの彼の音楽くらいしか憶えていないのですが、素晴らしい作曲家ですよね。
そうか、ドロンもそんなに拘っていましたか。気づきませんでした。

>ダーバン
懐かしくなってYouTubeを訪れましたよ^^
小林亜星氏は良い作曲家と僕も思いますが、「ビートルズが音楽をダメにした」と発言したのが気に入らない(笑)
十瑠
2015年07月15日 14:26
トリュフォー作品なのにオカピーさんより僕の方が点数がいいという珍現象が発生したし、追加記事も無事に書けたので、過去記事にコメント&TBします。
オカピーさんと反対に僕は終盤以外の方がお気に入りなんです。衝撃の結末は有名すぎて、そして擦れ違いの作劇が上手すぎてやっぱしそう来るか感が湧いてきちゃうんですよね。
<文学趣味が終盤で破綻してしまった感>があるのは、愛人にのぼせていた主人公が平静な心境に戻ったからと受け止めました。
ヌーヴェルバーグというのは本当に終盤で人を殺して解決するのが多いですが、これは受け入れられましたネ。
オカピー
2015年07月15日 21:34
十瑠さん、こんにちは。

僕も初見時には双葉式で☆☆☆☆と評価し、その点数以上に気に入ったので、当時ブログがあれば☆☆☆☆☆でしたでしょう。

>終盤
以前は凄いと感嘆しきりだったのですが、ブログを書いた時は冷静過ぎたかな。
僕の経験から言って、鑑賞時の精神状態によって印象が結構変わることありますね。
特に異論はないです。

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