映画評「マンハッタン」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1979年アメリカ映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり

ウッディー・アレンが「インテリア」で(日本の)本格ファンを唸らせた後、アメリカでの評価が高い前々作「アニー・ホール」のようなスケッチ風ドラマに戻った秀作。
 この当時カラーの褪色が映画監督たちを騒然とさせその影響でもないだろうが、モノクロ作品である。

女性に走った妻メリル・ストリープが発表しようとする自叙伝に戦々恐々としている放送作家アレンは17才の少女マリエル・ヘミングウェイと付き合っているが年齢の差が気になって落ち着かず、友人の文学教授マイケル・マーフィーが浮気相手ダイアン・キートンと別れたと思って彼女に乗り換えるが、実は二人の間はまだくすぶっている状態。やっぱりマリエルが可愛くていいやと思うが、彼女は留学にロンドンへ向う決心を変えようとしない。

三人の女性の間をうろうろする主人公の姿を通し中年インテリ男性の人物像を浮き彫りにして見事である。アレン自身の自虐的な自画像とも言え、パンフォーカスの美しいモノクロ映像が映し出すNYの情景にそこはかとなく浮び上がる孤独は、僕もこの男性の年齢を過ぎた今、殊更強く胸に迫って来る。映画としては「アニー・ホール」より一段深い。

絶品と言って良いゴードン・ウィリスによるモノクロ撮影はクラシックな味わいを備えている。作風はインディだが、アレンの古い映画への心酔がよく反映されていて、馬車に乗ってマンハッタンの夜景を通り過ぎる場面の美しさとクラシカルなムードに暫し酔う。
 全編を覆うジョージ・ガーシュウィンの音楽も味わい深い。最初の「ラプソディ・イン・ブルー」・・・良いなあ。

勿論台詞劇としての面白さも抜群で、個人的に興味深いのは再三繰り返される映画作家アレンのイングマル・ベルイマンへの尊敬の念。僕も同様なので、ベルイマンを批判したダイアン扮する女性に対して怒った主人公にはシンパシーを覚える。

映画作家としてのアレンが意識しているのではないかと思えるもう一人の監督は映画の好き嫌いを作品の中で明解に語るフランソワ・トリュフォーで、その方法論を踏襲するかのようにベルイマンは勿論ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」が好きだなどと主人公の口を通して語らせている。
 そう語る彼の後ろの映画館では稲垣浩の「忠臣蔵 花の巻 雪の巻」が掛かっていた。「忠臣蔵」を見る米国人もいるんだな。

この記事へのコメント

優一郎
2006年12月21日 17:04
本作は一連のウッディー・アレン作品の中でも、最も好きな作品です。ガーシュウィンとモノクロ映像。初見では、オープニングからすっかりハマってメロメロになった記憶がございます。
元々、彼のスノッブでペダントリーな姿勢が私にはどうにも鼻について「インテリが自分をインテリだと作品の中で自慢してどうする!」とは常々思っております(笑)
ベルイマンへの傾倒を映像的なオマージュで表現するなら趣味が良いのですが、登場人物に語らせるのはどうも・・・^^;
本当に敬愛しているにしろ、ベルイマンの名を借りて、自らに権威付けしたいのかなという下心が見えてしまうのですよ。
とはいえ、私は「アニー・ホール」は言われるほどの傑作とは思えず、こちらの方が余程に完成度も瑞々しさも勝っていると考えています。
優一郎
2006年12月21日 17:05
(続きです)
また、「インテリア」については、意見が分かれるところで、私は彼の資質にふさわしくない背伸びをした作品と感じています。
「彼をコメディー作家の枠に縛る」というつもりはありません。映画はその作家の一連の作品を相対評価するべきでなく、単体で絶対評価すべきだとも思います。けれど、私には「インテリア」は退屈だったのです^^;
オカピー
2006年12月22日 01:56
優一郎さん

私はベルイマンと専門のロシア文学の中でもチェーホフがトップクラスに好きなので、ベルイマン風チェーホフといった趣の「インテリア」が大のお気に入りです。
演ずる役者をイングリッド・チューリン、ビビ・アンデルセン、リブ・ウルマン、マックス・フォン・シドーに変えたらベルイマンと称して誰も疑わないほどの見事な似非ベルイマン。
ベルイマンを禄に見ていない頃にも拘らず、本能的に「これはベルイマンだ」と思った自分に後になって感心致しました(笑)。
しかも「マンハッタン」は勿論「アニー・ホール」も本作より後になって見ていますので、アレンがベルイマンに傾倒していることすら知らなかった時期に、よくぞ(遠い目をしています、笑)。

一方で、登場人物などに映画批評をさせる手法はトリュフォーが色々な作品で試みた手法で、ヒッチコック、ベルイマンは映画の神様、トリュフォーは最高の映画ファンであると思っている私には、アレンのこの手法は大歓迎です。トリュフォーもドワネルものでは会話劇の要素があり、案外アレンもベルイマンほどではないにしても傾倒しているのかな、とも。
(続く)
オカピー
2006年12月22日 01:59
映画(に限らず芸術全般)が過去の遺産を色々な形で受け継いでいることが間違いない以上、トリュフォーが「大いなる幻影」にオマージュを捧げ(「暗くなるまでこの恋を」)、アレンがトリュフォー的手法で「大いなる幻影」が好きだと言っているのを観ると、この映画という世界の輪に興奮を禁じえなくなります。
また、「アニー・ホール」と「マンハッタン」でベルイマンへの傾倒を表白し、その二作に挟む形でそれを作品として実践してみせたアレンの意気込みにも敬意を表したいと思います。
そして、「ハンナとその姉妹」はベルイマンをアレン風に仕立て直した映画として実に面白く観た作品でありました。私のアレン・ベスト5は以下の通り。

1.インテリア
2.ハンナとその姉妹
3.マンハッタン
4.カイロの紫のバラ
5.スコルピオンの恋まじない

4と5に入れたい作品は他にもいっぱいありますので、現在の気分ということで。
優一郎
2006年12月22日 18:00
こんばんは!
なるほど~ベルイマン風チェーホフですか。
私は「アニー・ホール」や「マンハッタン」の後に「インテリア」を観たので、ああ、やっぱりベルイマンみたいな映画も撮りたいんだな~となんとなく理解しながらの鑑賞でした。
「大いなる幻影」は私も特別に好きな作品なので、トリュフォーやアレンといった第一級の映画人がオマージュを捧げてくれるのは、非常に嬉しく思います。
おっしゃられるように、映画という輪があり、その中に自分もいくばくか加わっているという歓びは、映画ファンにとっては至福なのだとも。

アレンについては「ギター弾きの恋」だったか「おいしい生活」だったか、その辺りまでで鑑賞がストップしてます^^;
彼に対しては・・・どこかに近親憎悪みたいな感情があって、そのため観るのが億劫になっちゃうんです。説明は難しいですけど^^;
オカピー
2006年12月23日 03:01
優一郎さん、こんばんは。
「インテリア」はあるいはベルイマンへの手紙だったのかもしれませんね。その答えが「秋のソナタ」だったという可能性もあります。

「楽しくなければ映画ではない」と仰る方もいますが、私は「楽しまなければ映画ではない」と言いたいであります。その楽しみ方は色々ですが、過去の映画を知っていればいるほど、そして(映画以外の)知識があればあるほど映画は楽しめるものだと思います。
過去の映画へのオマージュを楽しみ、高得点を出す。それは純粋な見方ではないかもしれませんが、それが映画を観る醍醐味でもあります。余り硬いことを言ってもつまりませんよね。

近親憎悪ですか。私のようなタイプの映画作家はいないので、その点は大丈夫そう(笑)。

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