映画評「尼僧物語」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1959年アメリカ映画 監督フレッド・ジンネマン
ネタバレあり
本年最後の記事です。
皆様、一年間色々と有難うございました。来年も相変わらず宜しくお願い申し上げます。
オードリー・ヘプバーン主演作の中でも最も華美を排した作品だろうが、リアリズムに立脚したフレッド・ジンネマンの演出が見事である。調べてみたらアカデミー監督賞にノミネートされている。むべなるかな。
ベルギー、優秀な外科医の娘ガブリエル(オードリー)が植民地コンゴで看護婦として務めることを目標にして修道院に入るが、戒律が厳しくてなかなか目標を達しきれない。試験に合格してやっと派遣されても白人の看護と判明、結核との闘病に勝って喜ぶのも束の間、本国に送還され、その直後ナチスの侵攻に遭って父親が死んだ時に敵への恨みを排除できず修道院を捨てることを決意する。
ジンネマンはリアリズムの人だが、表面的な華美な面白さを追求しない作品だけに彼の実力が発揮されていると言うべし。
特に修道院での修行が暫く続く序盤は一般の人には関連がなく、つまらないと思う人も多いだろうが、具体的に描写されるので宗教への興味を駆り立てられ、同時にカトリック教会の戒律に関する疑問やその限界を漂わせることになる。
そうして形成される鑑賞者の渦巻いた疑問が、彼女が修道院を去るラスト・シーンで「さもありなん」という納得へと昇華していくわけである。
修道院を去って行く彼女が登場人物の中で最も信心深いのではないかと思わせるのが皮肉で、上位聖職者が口を揃えて彼女に対し「貴女は自分に厳しすぎる」と意見しているのが計らずもそれを証明している。彼女こそ全てに妥協しない信心の人であろう。
従って、人間性や実効性より戒律の実践だけを優先しているような教会の在り方に疑問どころか憤りが湧き上がって来る。
教会のドア越しに捉えられる、オードリーの後姿が寂しさを湛えながらも凛として美しい。彼女にとっては戦争で逃げ出した祖国ベルギーが舞台だけに、まるで自分のことのように思いながら演じたことであろう。
1959年アメリカ映画 監督フレッド・ジンネマン
ネタバレあり
本年最後の記事です。
皆様、一年間色々と有難うございました。来年も相変わらず宜しくお願い申し上げます。
オードリー・ヘプバーン主演作の中でも最も華美を排した作品だろうが、リアリズムに立脚したフレッド・ジンネマンの演出が見事である。調べてみたらアカデミー監督賞にノミネートされている。むべなるかな。
ベルギー、優秀な外科医の娘ガブリエル(オードリー)が植民地コンゴで看護婦として務めることを目標にして修道院に入るが、戒律が厳しくてなかなか目標を達しきれない。試験に合格してやっと派遣されても白人の看護と判明、結核との闘病に勝って喜ぶのも束の間、本国に送還され、その直後ナチスの侵攻に遭って父親が死んだ時に敵への恨みを排除できず修道院を捨てることを決意する。
ジンネマンはリアリズムの人だが、表面的な華美な面白さを追求しない作品だけに彼の実力が発揮されていると言うべし。
特に修道院での修行が暫く続く序盤は一般の人には関連がなく、つまらないと思う人も多いだろうが、具体的に描写されるので宗教への興味を駆り立てられ、同時にカトリック教会の戒律に関する疑問やその限界を漂わせることになる。
そうして形成される鑑賞者の渦巻いた疑問が、彼女が修道院を去るラスト・シーンで「さもありなん」という納得へと昇華していくわけである。
修道院を去って行く彼女が登場人物の中で最も信心深いのではないかと思わせるのが皮肉で、上位聖職者が口を揃えて彼女に対し「貴女は自分に厳しすぎる」と意見しているのが計らずもそれを証明している。彼女こそ全てに妥協しない信心の人であろう。
従って、人間性や実効性より戒律の実践だけを優先しているような教会の在り方に疑問どころか憤りが湧き上がって来る。
教会のドア越しに捉えられる、オードリーの後姿が寂しさを湛えながらも凛として美しい。彼女にとっては戦争で逃げ出した祖国ベルギーが舞台だけに、まるで自分のことのように思いながら演じたことであろう。
この記事へのコメント
良いお年をお迎えくださいませ。
来年も宜しくお願いいたします。
本年も宜しくお願い致します。
私は、健康で良い映画が見られれば幸せです。
とにかくオードリーはワイラー、ワイルダーといった大物監督が向こうから寄ってきた女優ですから、作品のレベルは「緑の館」を除いて高いです。
ジンネマンも極めて非ハリウッド的な厳しい作品を続けた偉大な監督でした。