映画評「悪魔の手毬唄」(1977年版)
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1977年日本映画 監督・市川崑
ネタバレあり
「犬神家の一族」のリメイク版公開に合せて地上波放映されていたので、三度目だが観てみた。CMでの中断はいかんともしがたいものの、実力の片鱗は勿論確認できる。
横溝正史の金田一耕助シリーズは、戦後GHQが【時代劇禁止令】を出して時代劇が作れなくなった時代に片岡千恵蔵主演などで何本か作られた後、50年代から60年代にかけてぽつぽつと作られてきたが、70年代半ば以降角川書店が仕掛けたブームに乗って映画化も続々行われた。
最初に作られたのは「本陣殺人事件」だが、何と言っても市川崑監督、石坂浩二の金田一で製作された全5作が断然光る。その最初の映画化が「犬神家の一族」で、評価も高かったが、第二弾であった本作も色彩感覚よろしく快調である。
岡山県の鬼首(おにこべ)村に磯川警部(若山富三郎)に招かれた金田一が20年前の迷宮殺人事件を解決して欲しいと依頼される。被害者は彼が泊っている宿の女将・青地リカ(岸恵子)の亭主で、警部は被害者は別人ではないかと疑うが、金田一が事情に詳しそうな老人の証言を聞いている間に、最初の殺人が起きる。
村で二大勢力を張っている由良家の娘が被害者で、続いて仁礼(にれ)家の娘も殺され、村に伝わる手毬唄にそのヒントがあることに金田一は気付く。唄により三番目の被害者は歌手として成功して帰ってきた娘(仁科明子)と予想されるが、別人が殺されたことから事件は混迷の度を深めていく。
横溝正史のミステリーは封建的な因習がベースとなる陰惨な事件が多く極めて日本的なのだが、そのムードを極めて正確に映像に移したのが市川演出である。
ジャンプカットを駆使しての軽妙さやずっこけ刑事・立花(加藤武)などによるユーモアを挿入しながらも、回想場面にはイラスト化ショット(?)を用いて重厚さを、殺人現場ショットにおいては様式美に拘っておどろおどろしさを失わないのはさすがである。
脚本の久里子亭は勿論市川監督がクリスティをもじったペンネームで、その洒落っ気は随所に生きている。オープニング・タイトルのデザインからしてご機嫌で、お気に入りだった。
金田一耕助にそれまで二枚目役しかなかった石坂浩二を用いたのも絶妙で、芸能界でもトップクラスの博識である彼のインテリ性が見事に反映され、そこにユーモアを加えたところが抜群。それ以前の役者は勿論、以降のどの役者もこのたくまざるユーモアは出せない。
その意味で、シリーズ一番の人気作「八つ墓村」がこのコンビにより作られなかったのは返す返すも残念だった。松竹版の渥美清は上手いし大好きな役者だが、インテリ性が重視される探偵役に学のない寅さんのイメージに固められた喜劇俳優を使ったセンスは今でも理解出来ずにいる。横溝自身はイメージに近いと言っているらしいが、それは映画ファンたる僕らと違って寅さんのイメージに縛られていないから言える言葉である。1996年に崑さんが「八つ墓村」を映画化したが、石坂浩二の起用がなかったのが無念。本人が固辞したのかな?
1977年日本映画 監督・市川崑
ネタバレあり
「犬神家の一族」のリメイク版公開に合せて地上波放映されていたので、三度目だが観てみた。CMでの中断はいかんともしがたいものの、実力の片鱗は勿論確認できる。
横溝正史の金田一耕助シリーズは、戦後GHQが【時代劇禁止令】を出して時代劇が作れなくなった時代に片岡千恵蔵主演などで何本か作られた後、50年代から60年代にかけてぽつぽつと作られてきたが、70年代半ば以降角川書店が仕掛けたブームに乗って映画化も続々行われた。
最初に作られたのは「本陣殺人事件」だが、何と言っても市川崑監督、石坂浩二の金田一で製作された全5作が断然光る。その最初の映画化が「犬神家の一族」で、評価も高かったが、第二弾であった本作も色彩感覚よろしく快調である。
岡山県の鬼首(おにこべ)村に磯川警部(若山富三郎)に招かれた金田一が20年前の迷宮殺人事件を解決して欲しいと依頼される。被害者は彼が泊っている宿の女将・青地リカ(岸恵子)の亭主で、警部は被害者は別人ではないかと疑うが、金田一が事情に詳しそうな老人の証言を聞いている間に、最初の殺人が起きる。
村で二大勢力を張っている由良家の娘が被害者で、続いて仁礼(にれ)家の娘も殺され、村に伝わる手毬唄にそのヒントがあることに金田一は気付く。唄により三番目の被害者は歌手として成功して帰ってきた娘(仁科明子)と予想されるが、別人が殺されたことから事件は混迷の度を深めていく。
横溝正史のミステリーは封建的な因習がベースとなる陰惨な事件が多く極めて日本的なのだが、そのムードを極めて正確に映像に移したのが市川演出である。
ジャンプカットを駆使しての軽妙さやずっこけ刑事・立花(加藤武)などによるユーモアを挿入しながらも、回想場面にはイラスト化ショット(?)を用いて重厚さを、殺人現場ショットにおいては様式美に拘っておどろおどろしさを失わないのはさすがである。
脚本の久里子亭は勿論市川監督がクリスティをもじったペンネームで、その洒落っ気は随所に生きている。オープニング・タイトルのデザインからしてご機嫌で、お気に入りだった。
金田一耕助にそれまで二枚目役しかなかった石坂浩二を用いたのも絶妙で、芸能界でもトップクラスの博識である彼のインテリ性が見事に反映され、そこにユーモアを加えたところが抜群。それ以前の役者は勿論、以降のどの役者もこのたくまざるユーモアは出せない。
その意味で、シリーズ一番の人気作「八つ墓村」がこのコンビにより作られなかったのは返す返すも残念だった。松竹版の渥美清は上手いし大好きな役者だが、インテリ性が重視される探偵役に学のない寅さんのイメージに固められた喜劇俳優を使ったセンスは今でも理解出来ずにいる。横溝自身はイメージに近いと言っているらしいが、それは映画ファンたる僕らと違って寅さんのイメージに縛られていないから言える言葉である。1996年に崑さんが「八つ墓村」を映画化したが、石坂浩二の起用がなかったのが無念。本人が固辞したのかな?
この記事へのコメント
プロフェッサーが金田一をご覧になるとは私の勝手なイメージなんですが、意外でした。
私は金田一の大ファンで、おっしゃるとおり、やはり市川+石坂コンビによる作品が映像的出来、原作の深い理解度からも他の映像作品とは比較になりません。
私は、市川+石坂コンビの全5作、いやもう全6作ですが、その中でこの「手毬唄」が一番すきです。
金田一を語らせると長くなるのですが、一言でいうとこの作品、他の作品にはない、愛が満ちている気がするのです。
そして、おっしゃている通り、あの市川崑っ!という画、カッティング好きですね。
また、今回のリメイク、どうせならこのコンビで映像化していない作品、「悪魔が来たりて笛を吹く」や「八つ墓村」でもいいですが、それをやってほしかったです。個人的には東京で探偵事務所をひらいていた時期の中短編を撮ってほしかったのですが、それはコアすぎますのでね。金田一作品はどうしても、おどろおどろしさを要求されてしまうので。
この作品について書いた記事をTBさせたいただきます。
では、また。
雑食ですから、何でも食べるのです(笑)。
冗談はともかく、最近はそうでもないのですが、かつてはミステリーは色々と読みふけりました。広く浅くといったタイプなので、横溝もざっと代表的なところを読んだだけで、イエローストーンさんには全く歯が立ちません。
愛か。警部の愛が結果的に愛する人を奪う。皮肉な話でしたね。
少なくとも映像作品にはそれ以上に触れていますので断言してしまいます。映像版において、市川=石坂コンビにより金田一に優るものは今後も現れません! 色彩、カッティング、様式美・・・お見事と言うしかないです。
その意味でも、「犬神家」のリメイクより別の映像化が観たかったですね。
今まで見たこと無くて、BS放送で始めて見てます。
いやー、面白いですねっ!毎晩楽しみです。
石坂浩二もさることながら、脇を固める役者も
非常に面白いですね。
TBさせていただきますね。
このシリーズは好きで最初の三本は何度か観ております。
「女王蜂」と「病院坂」は久しぶりの二回目ということになりますね。
豪華役者を縦横無尽に操るところに既にベテランだった崑ちゃんの手腕が大いに発揮されて大好きなシリーズです。
野村芳太郎は上手い監督ですが、渥美清の既に作られたイメージがあったので、今一つ乗れなかった記憶があります。しかし、それでは野村さんに悪いのでチャンスがあればもう一度きちんと見たいと思います。
豊川悦司は渥美清よりは良いかなと思う程度で、演出的にもそれほど凝っていなかったような気がします。先入観は恐ろしいものですね。
勉強になります。
今までの監督の作品も脚本家をチェックしなおしてみます。
本作品はもう何回も観たものです。
このしりーずでは、これと「犬神家の一族」が大好きです。
犯人も結末も知っているのに、放送されるたびに観てしまいます。(^^)
>久里子亭
いや、案外知らない方が多いのではないかと思いますよ。
市川監督は器用な方で、「おとうと」「細雪」「古都」「ビルマの竪琴」といった文芸畑でも良い味を出しています。きちっと映画を撮るので私は大好きですね。
>シリーズ
おおっ、私も最初の二作が好きです♪
結末を知っていても見られる本格推理は珍しいのですが、途中のプロセスの面白さと市川さんの凝った演出のおかげでしょうね。