映画評「万事快調」

☆☆★(5点/10点満点中)
1972年フランス=イタリア映画 監督ジャン=リュック・ゴダール
ネタバレあり

ジャン=リュック・ゴダールは1968年商業映画から一旦手を引く。「ワン・プラス・ワン」が最後の作品だったと思う。本格的に商業映画に復帰するのは79年の「勝手に逃げろ/人生」だが、日本での復帰作は82年の「パッション」だった。しかし、元来苦手な監督だが、復帰後の作品はマンネリの極みで僕は殆ど評価していない。これはその中間期にぽつっと発表した商業映画。

米国出身のジャーナリスト、ジェーン・フォンダと夫であるCM監督イヴ・モンタンが食肉加工会社社長の取材中に工場の労働争議で社長と共に監禁されてしまう。
 社長は資本主義の理屈で共産主義を批判し、監禁した労働者は権利を主張するが、労組の代表は中間的な立場で弱々しい。

いつもは底流程度に留めている共産主義・社会主義へのシンパシーを前面に押し出した内容と言って良いだろうが、フランス映画人にも多大な影響を及ぼしたはずの68年の5月革命に思いを馳せつつ、共産主義的な立場から市場原理を語っているのであろう。通俗的な映画ファンに過ぎない僕は、かかる政治的・思弁的・経済的なところはかなり適当にしか理解出来ないし、そもそも映画評は映画的に観て映画的に語るべしと思っているのでそれ以上追究する気もない。

画面外の男女が映画の予算について語る場面から始まる。映画も市場原理に委ねられるという立場から映画を外側から見せようとしている作品だといきなり主張するゴダールである。

それよりもっと面白いのは序盤社長が監禁された会社の縦断面をゆっくりと往復しながら捉えた横移動撮影が再度繰り返されるスーパーマーケットの長い場面である。
 3往復くらいする間に共産主義に関する本を資本主義的に売っている矛盾を諧謔的に描いた後「商品は全て無料だ」という声と共に現場がまるで革命闘争現場のように変ってしまうのだ。

こういう政治的なお話を当時政治的活動に燃えていたジェーン・フォンダとイヴ・モンタンを起用して映像化したのも大変意味深長で興味深い。が、やはりゴダールは苦手です。

この記事へのコメント

トム(Tom5k)
2007年01月23日 22:36
オカピーさん、連続のコメントすみません。
彼は『ヌーヴェルヴァーグ』でドロンを使うまで、理解不能の作家でした。
現在わたしは、ヴァルダの『百一夜』での風刺やデビュー当時の作品を再見して、純情、真面目なお坊ちゃん、案外ユーモラス、政治思想に関しては本物ではない、という印象です。
しかしご指摘されている、画面外の男女のシークェンスでの異化効果、スーパーでの移動撮影の長回し、「共産主義に関する本」の商品化のモンタージュ・音声の主張、社会派のジェーン・フォンダ、イヴ・モンタンの起用等々、作家主義の独創は、映画の可能性を前向きに最大限に模索しているようで、応援したくなります。そして、何より凄いと思うのは、創る側でなく、観る側において、種々の想像力が泉のように湧き上がってくることです。オカピーさんは、ご経験がないでしょうか?ゴダール作品のあるワンショット・ワンシークェンスから、もう忘れていたような過去の記憶が映像として頭に突然湧き上がってくる不思議な経験なんですが・・・。彼の作品にはそいう不思議なエネルギーがあるように思うんです。
トム(Tom5k)
2007年01月23日 22:37
P.S.
ところで
>そもそも映画は映画的に観るべし語るべしと
というオカピーさんの考え方と合い入れない更新記事を書いています(笑)
私の場合、映画を観るとゴダール作品だけでなく、思考があっちこっち飛躍するクセがあるのかもしれません。
では、また。
オカピー
2007年01月24日 03:08
トムさん、こんばんは。
通俗派の私は、ゴダール特に復帰後のゴダールにはどれも同じようなパターンで拷問に遭わせられているような気になって余裕がないのですが、そうですね、映像と音声の複雑なるコラージュは確かにそうした現象も引き起こすかもしれません。きっとトムさんがセンシティブなんですよ。私は典型的な左脳人間ですから...。

>そもそも映画は映画的に観るべし語るべし
ちょっと変えました。いや、トムさんのような映画研究は外へ中へとどんどん広がって良いと思います。映画評はあくまで映画評で、物語と技術のバランスを問うものです。
nessko
2012年09月06日 22:36
今日DVDで「パッション」を見返しました。リアルタイムで観た唯一のゴダール作品で、映像がとにかくきれいで観てる間は引き込まれた記憶がありました。でもそれが、悪魔のように編集がうまいと言われるゴダール先生にだまされてしまったような余韻を残すんですけれども、あらためて観返してみると、おもしろかったですよ。

最初から最後まで映像と音楽が淀むことなく流れて、ゴダールの分身のような監督が映画を作ろうとしてスムーズにいかない様子をコミカルに描いていて。台詞も哲学的というよりは詩的なんですね。その場の絵とシンクロするとキンと響いて聞こえるような。場面によっては哲学的にもとれる意味合いの台詞が吐かれると、登場人物の置かれた状況のずっこけぶりとのギャップから笑えたりするような、そんなかんじでね。

スプラスティックに場面を処理する手際がよくて、88分で終わるところがいいです。こういうのは長いと観るのがしんどいかもしれませんね。

あと、台詞なんですが、いかにもフランス映画というか、フランス映画の中でしか聞きたくないような台詞だらけな気もします。字幕で観るのはいいんだけれど、吹き替えで観ると殴りたくなるような映画になりそう。

私はゴダール映画、そんなに数を観てないんで、オカピーさんみたいにうんざりするところまでいってないんでしょうね。
オカピー
2012年09月07日 17:21
nesskoさん、こんにちは。

>「パッション」
厳密な意味でリアルタイムで観たゴダールは僕もこれが最初。
とにかく、ゴダールの久しぶりの商業映画というので、楽しみに観に行ったのですが、当時ゴダールについてそれほど知識がなかった僕にはピンと来なかったですね。
映画館若しくはそれに準ずるところで観たゴダールは多少あって、「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「男性・女性」「ワン・プラス・ワン」「女と男のいる舗道」etc.
いずれにしても、ゴダールが商業映画と称するものは大体観ています。

一旦商業映画を停止するまでのゴダールは案外変幻自在というか、一作ごとに色々試みていて結構面白く、一か所か二か所訳の解らん議論のようなシークエンスを入れる変な癖以外はそれなりに買っていましたが、復帰後は余り変わり映えがしないような。
僕がそういう固定観念をもって観ているから余計そう思えるのでしょうが、「映画史」以外は観なくても良いという感想を持っています。

とは言え、nesskoさんの「パッション」評を伺うとこれは再鑑賞してもいいかなと思えてきますし、アラン・ドロン・ファンたるトムさんの映画「ヌーヴェルヴァーグ」への見解も興味深いのでこれも再鑑賞する候補に上げてはいます。しかし、なかなかこの手は最近やってくれないので、DVDを買うとか何かしないといつになるか解らないですよね(苦笑)。

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