映画評「悪い男」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2001年韓国映画 監督キム・ギドク
ネタバレあり

キム・ギドクはこれでやっと3本目の鑑賞。
 今回は一種の宗教的匂いは消えたものの、やはり厳しく人間を見つめたものとして強烈な印象を残す。

女子大生のソ・ウォンに引き付けられたヤクザのチェ・ジェヒョンが白昼堂々彼女の唇を奪い、怒った彼女は軍人が押さえ付けた彼に唾を吐きかける。復讐に燃えるチェは彼女を罠に嵌め借金漬けにし、飾り窓の女(娼婦)として自分の仕切る売春宿に売られるように仕向ける。しかし、男は経験を積んで一人前の娼婦になって行く彼女をひたすら見つめるだけだのだ。

実に屈折した愛である。男は彼女を激しく愛するが、彼女が好きでもない男を迎え入れる時に味わう屈辱を見ることによってその愛情が充足され、同時に好きな女が蹂躙される彼自身の屈辱感がその歪んだ愛を補完するようだ。
 常識的に考えれば変態的な愛であるが、彼女の体を求めない一種の無償の愛であり、ひどく純粋なものを感じるのは僕だけだろうか。
 憎悪から始まった憎悪という名の歪んだ愛と言っても良い。それは彼がその屈折した愛情で庇護してくれていることを知る彼女も同じで、屈折した愛が屈折した愛に応えるようにドラマは進行して行く。

ギドクはこれまで観たいずれの作品においても常識的な道徳観念を超えたところでドラマを構成しているが、常識を否定しているわけではない。常識そのものの否定は人間を探究しようとする彼のモチーフ自体を瓦解させてしまう。常識という枠があるからこそ通常の善悪の概念では扱い切れない人間の本質に迫ることができるのではないか。つまり、登場人物はギドクの実験材料で、本作以外にも実験的に無償の愛を描いた作品は少なくないが、類似内容の記憶はない。

タッチとしては北野武に近い。実はそれは主人公が終盤で僅かに二言三言喋る以外全く無言を通すという設定が「HANA-BI」の岸本加世子を短絡的に思い出させたにすぎないが、たむろする登場人物たちのロングショットを本流の中に捨てショット的にカットインする手法はそのものである。
 主人公が無言に徹するのは演出というより、その声が彼の人生を象徴するものであることが終盤判明する。結果として効果的な構成となった。

さて後半、落ち着いた水面に投げ込まれる石の役目をウォン嬢をストレートな形で愛するようになったチェの子分の一人が演じてなかなか予想しにくい展開になるが、些か気に入らないのは、宿を一旦抜け出した彼女が浜辺で(未来の)彼女自身を見出すという、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」幕切れのヴァリエーション的趣向である。些か匠気が出過ぎて、作品を些か運命論的方向に流し、視点がぶれたように思えるのだ。

最後は憎悪という名の歪んだ愛が愛そのものに昇華し、無償の愛が勝利する。しかし、彼が他の男に抱かれる彼女を、彼女がそれを待つ彼を愛するという状態は当たり前のように続くのである。

作る側が常識を超えて作っているのであるから、作者が常識を否定していないことを理解した上で、観客も通常の善悪観に縛られずに観る必要がある。さもなくば、人間喜劇を超えたギドク人間劇の凄みは味わえない。

この記事へのコメント

viva jiji
2007年02月10日 22:16
不具合なPCに振り回されましたこの数日間、
やっと、なんとか戻って(笑)まいりましたわ。
ほんのちょっとばかし、“あのうるさいオバサン”が
来ないね~と、皆さん、のんびりしてたかしらん?
プロフェッサーは、どう?(笑)

うふふん、
私好みの映画に復帰第1弾TBさせていただきました。
(WOWOWで放映してましたね、確か。)

でも、面白いわね~、文章って。

言葉というのはそれ自体、無個性に近いのに、
それらを選択して集めて文章に連ねると
書き手の個性が生き生きと如実に立ち現れる・・・

特に本作記事に関しては、プロフェッサーと、
不肖、私の述べるところは、かなり“同じ”なのです。
(笑)
オカピー
2007年02月11日 02:22
viva jijiさん
とんでもない。斎藤もすけ(猫)だけではなく、私も寂しかったですよ(笑)。

不勉強の私はギドクが迎えたいう危機などは今日まで全く知らなかったので、ここで書いたのは私の心の叫びです。

右翼も左翼も信心深い人も異様に道徳的な人も映画を純粋に観られない。不幸とは言わないまでも、つまらないですよね。
従来の道徳を否定しなくても超えて観て欲しい作品です。

姐さんと趣旨がほぼ同じということで、大変うれしく思う私であります。
優一郎
2007年02月11日 04:46
おはようございま~す!
こんな時間に寝起きです^^;
私もプロフェッサーと時を同じくして本作を観ました!
近日中に記事をUPしようと思っていたら先を越され、実はショック受けてます^^;
というのも、プロフェッサーが書かれている内容は、私の観方とほぼ同じでして・・・男女の愛憎劇の捉え方、後半の構成がすっきりしないことなど、まさにその通りだと。
特に北野武の影響がモロだなという印象があったので、それを先に書かれてしまうと、私は書くネタに詰まりますぅ~^^;
とにかく、近々、「悪い男」は取り上げますので、その節はまたTBに参ります <(_ _*)>

追伸
猫の「斎藤もすけ」君・・・絶妙のネーミングに、思わず頬が緩んでしまいます^^
どこかで、もすけ君のお写真を拝ませていただけると幸いなのですが。
ちなみに、我が家のニャンコたれは「ちゃん太郎」と申します。
オカピー
2007年02月11日 15:09
優一郎さん、こんにちは。

同じでも違ってもご自由にお書きください。
優一郎さんのプロならではの名文で、私の痒いところに手の届かなかった部分をカバーして戴ければ、嬉しいです。

斎藤もすけは、1歳くらいのオス猫です。ブログのプロフィールに貼り付けますね。皆さん、猫を飼っているんですね。ブロガーは猫好きが多い?(笑)
優一郎
2007年02月15日 17:19
こんばんは^^
拙い記事ですがTBを持参いたしました。
(例によって、二重投稿になっております)

本作、後半の展開に減点材料がある・・・
海岸でのシーンもそうですが、主人公ハンギが刺されるシークエンスが繰り返されるのも、どうかなと思いました。
作者というのは欲張りで、思いついたアイデアを全部、入れたくなってしまうもの。ギドクほどの才人でも、ガラスのアイデアと、ナイフを埋めるアイデア、両方を活かしたかったのでしょうね。
とはいえ、本作のパワーは★6つ相等。★を1つ減じても、私にとっては満点でございました。
オカピー
2007年02月16日 02:48
優一郎さん、こんばんは。

Livedoorは相性の問題でこちらからは入らないし、そちらからは二重になるし、折角貰ってもすぐには受け付けてもらえないこともあるし、本当に厄介。しかも私のご贔屓、私をご贔屓にしていらっしゃる方にLivedoorが多いのは何とも皮肉でござります。

拝読致しました。相変わらず格好良い文章ですね。
名前が名前だけに毒があるギドクです(笑)が、凄い馬力ですよね。我が邦の今村昌平も同じ意味で凄い人でした。
昨年亡くなった時に追悼せねばならなかったのに遂に出来ず、今のところ昔観て軽い記事を二本UPしているだけ。今年は観ます、きっと。
ほんやら堂
2008年06月11日 23:04
オカピー様
TB&コメント有り難うございました.
僕もキム・ギドク監督は「サマリア」「春夏秋冬…」に次いで3作目です.
この「悪い男」,主人公の一途な純愛にはまりました.
脇役陣もいい顔してますね.ウィレム・デフォーの若い頃を思わせる様な,ハンギの子分の顔が良かった.
オカピー
2008年06月12日 02:42
ほんやら堂さん、こんばんは!

>ギドク
最近はギミックを使いすぎてどうもこの頃の凄味がないような気がしております。

>純愛
純愛であっても純情ではないところがギドクですね。
名前通り毒がある(笑)。

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