映画評「スタンドアップ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督ニキ・カーロ
ネタバレあり
「クジラの島の少女」でマオリ族の現状を見つめたニキ・カーロ監督がニュージーランドからアメリカに仕事場を移してレディ・ファーストの国と思われているアメリカの女性の立場を描いたドラマ。
最近のアメリカと言えど保守的な地域の下層階級では女性蔑視は激しいであろうし、逆に戦前日本のインテリ階級では女性が相当強かったことが当時の小説や映画から伺えるので、日本は男尊女卑の国、アメリカはレディファーストの国という観念は一種の幻想であることが最近よく分ってきた。
1989年、家庭内暴力の夫に堪忍袋の緒を切った30代の女性シャーリーズ・セロンがミドルティーンの息子とまだ幼い娘を連れ故郷のミネソタの町に帰って来る。
独立する為に父親リチャード・ジェンキンズの勤める鉄鉱山で働き始めるが、まだ女性に開放されたばかりの職場故に男性たちは仕事を奪う対象として女性を追い出そうと強烈な嫌がらせを繰り出す。
やがて彼女は一人立ち上がって会社を訴える。
実話に基づくお話で、原作はクララ・ビンガムとローラ・リーディ・ガンスラーのルポルタージュ「集団訴訟」。
他の女性よりヒロインがひどい仕打ちを受けるのは彼女が少女時代の不幸な体験がベースになっていて、彼女の父親さえそれを憎悪の理由にしている。
「そして、ひと粒の光」と同じように社会的な問題に私的事情を絡めているわけだが、タッチ的に見るべきものがあった同作より技巧的にはこなれている。
本作で描かれるセクハラはホワイトカラーのレベルに比べると遥かに悪質で、男性である僕も相当腹が立ったが、実際に寒々とするのは精神的差別である。社長室での屈辱たるやトイレでの騒ぎ以上に言葉を失わせるものがある。
しかし、本作が必ずしもセクハラをメインテーマとしていないことは、男性のみならず女性たちも仕事を失うのを怖がっているのを描いていることから理解できる。限られた産業しかない地域での人間ドラマというのが作者の狙いだろうが、逆に焦点をぼかしてしまった感は否めない。
タッチは俯瞰撮影で始まる環境描写から即実的で優れているが、物語が進展するにつれてハリウッド的な甘さが顔を出し、裁判の幕切れは例によって例の如しとなり、がっかり。カーロ女史は前作もそうだったが、詰めが些か甘いようである。
シャーリーズ・セロンは何でもできる便利な女優になってきて将来の展望は大いに明るく今回もワンマンショー的な力演だが、母親役のシシー・スペイセクなど助演陣の好演が光る。そう言えばシシーはこの25年前に「歌え!ロレッタ愛のために」で<炭鉱夫の娘>ロレッタ・リンを演じたっけ。歌も上手かった。
炭鉱夫の娘鉄鉱婦の母となり
2005年アメリカ映画 監督ニキ・カーロ
ネタバレあり
「クジラの島の少女」でマオリ族の現状を見つめたニキ・カーロ監督がニュージーランドからアメリカに仕事場を移してレディ・ファーストの国と思われているアメリカの女性の立場を描いたドラマ。
最近のアメリカと言えど保守的な地域の下層階級では女性蔑視は激しいであろうし、逆に戦前日本のインテリ階級では女性が相当強かったことが当時の小説や映画から伺えるので、日本は男尊女卑の国、アメリカはレディファーストの国という観念は一種の幻想であることが最近よく分ってきた。
1989年、家庭内暴力の夫に堪忍袋の緒を切った30代の女性シャーリーズ・セロンがミドルティーンの息子とまだ幼い娘を連れ故郷のミネソタの町に帰って来る。
独立する為に父親リチャード・ジェンキンズの勤める鉄鉱山で働き始めるが、まだ女性に開放されたばかりの職場故に男性たちは仕事を奪う対象として女性を追い出そうと強烈な嫌がらせを繰り出す。
やがて彼女は一人立ち上がって会社を訴える。
実話に基づくお話で、原作はクララ・ビンガムとローラ・リーディ・ガンスラーのルポルタージュ「集団訴訟」。
他の女性よりヒロインがひどい仕打ちを受けるのは彼女が少女時代の不幸な体験がベースになっていて、彼女の父親さえそれを憎悪の理由にしている。
「そして、ひと粒の光」と同じように社会的な問題に私的事情を絡めているわけだが、タッチ的に見るべきものがあった同作より技巧的にはこなれている。
本作で描かれるセクハラはホワイトカラーのレベルに比べると遥かに悪質で、男性である僕も相当腹が立ったが、実際に寒々とするのは精神的差別である。社長室での屈辱たるやトイレでの騒ぎ以上に言葉を失わせるものがある。
しかし、本作が必ずしもセクハラをメインテーマとしていないことは、男性のみならず女性たちも仕事を失うのを怖がっているのを描いていることから理解できる。限られた産業しかない地域での人間ドラマというのが作者の狙いだろうが、逆に焦点をぼかしてしまった感は否めない。
タッチは俯瞰撮影で始まる環境描写から即実的で優れているが、物語が進展するにつれてハリウッド的な甘さが顔を出し、裁判の幕切れは例によって例の如しとなり、がっかり。カーロ女史は前作もそうだったが、詰めが些か甘いようである。
シャーリーズ・セロンは何でもできる便利な女優になってきて将来の展望は大いに明るく今回もワンマンショー的な力演だが、母親役のシシー・スペイセクなど助演陣の好演が光る。そう言えばシシーはこの25年前に「歌え!ロレッタ愛のために」で<炭鉱夫の娘>ロレッタ・リンを演じたっけ。歌も上手かった。
炭鉱夫の娘鉄鉱婦の母となり
この記事へのコメント
光があれば当然、影もできる。
強い者がいれば・・・弱い者もいる。
なんですけれど、ね~~~。
女性を主人公にした社会的ドラマを観た後の
ドンヨリ感は年を経るごとに苦痛になります。
だって、何にも“良い方向に”
向かってないんですもの~。
人間自体の稚拙で雑駁化が顕著でイヤになります。
さ、気分を変えて!
唯一、ミッキーと日向ボッコボッコしている
“もすけ君”のスリーピー・アイが癒しですわ!(笑)
もすけ君の命名の由来は
やはりあの斎藤茂吉センセ、かしら?
姐さんほどのポジティブ・シンキングな方でもそうなりますか。
姐さんのお父上ではないですが、日本人に全部を見せては駄目でした。戦後アメリカのもたらした民主主義は日本人を破壊しましたね。どうにもならんところまで来たようにも来ているように私も思ったりもします。
物事には振り子の原理と言うか、自浄作用と言うか、があるものですが、日本の社会にそれがあるか期待しておるのですよ。
「宇宙戦争」で娘がトゲを放置して細菌による排出にまかせたように、宇宙人は細菌により滅亡しました。わが日本の荒廃もそうならぬものでしょうか。
斎藤茂吉・・・ご名答。
近年和歌に凝っていまして。先月も先生の句集を読んだばかり。
山の裾野にへばりつくような工場の捉え方などは、「おっなんかくるぞ」的な期待感を持たせてくれるのですが、その後がどうも…。姐さんも仰ってましたけど、映像にするということで表現を甘くしちゃったのかなあと。実際の裁判はあんな予定調和ではなく、もっと長く厳しい状況が続いたでしょうし。
アメリカ的民主主義が日本社会を壊してしまった…。自然界には、外から入ってきた異物を排除する自浄作用もありますが、同時に、強い外部個体によって生態系が根本から変えられてしまうということもあります。このような種を、俗に環境エイリアンと呼びます。アメリカ的民主主義は環境エイリアンだったのでしょうか。
…もう一回もすけ君のキュートなお顔を拝見してこーようっと!!
極端に意見が分かれる場合もありますが、主題が明確な作品というのは案外観る人が観れば同じような印象を覚えるようですね。
カーロさんは法廷劇には余り関心なかったのでしょう(笑)。
豆酢さんも、アメリカ的民主主義が日本社会を破壊した、と思われますか? 子供時代には封建主義=善、民主主義=悪と思ってきましたが、そんな単純なものではありませんでしたね。
個人主義と利己主義の区別も付かない日本人は糸のない凧状態になって勝手なことをし始めました。私の感覚では80年代以降それが急加速したように思います。少なくとも成人式のあの騒ぎは90年代以降の特徴でしょう。
(続く)
日本人は神仏を同時に崇拝するといった節操のなさが数千年間続いているます。
弥生時代、縄文人が南から水田稲作をもたらした南中国人と仲良くやって弥生人が生まれたという過程に日本人の良い面も見出せますが、そこには事なかれ主義という、事をマイナスに働かせる面が早くも覗いていたように思います。
結果的に、アメリカ的民主主義は日本人の悪い面を助長したのでは?
個人主義は、元来新教的な発想ですから、宗教心の薄い日本人には理解しにくい概念ではないでしょうか。
過程がとても好ましいですね。
ブログの最大の魅力のひとつですね。
毎日、読む聖書の、どの書物でしたか失念しましたが
“信念は熱いか冷たいか、そのどちらかである、ぬるいのは
口から吐き出される”という聖句があります。
(あ、私はクリスチャンではありませんからね。誤解なきよう)
日本人は自らすすんでぬるま湯に浸かり続け肉体も精神ももう
すでにふやけてボワボワになっているのに、依然として
その“ぬるま湯”から出てこようとはしません。
なぜなら・・・
外へ出ると風邪を引くからです。(笑)
風邪は万病の元、ですからね。
つづきます。
自らを律する力がある社会においてのみ、と考えます。
ごもっとも!!
彼らの民主主義は“銃”を構えての民主主義ですからね。
1昨年の新書ベストセラーになった「ケータイをもったサル」という
興味深い本がありました。学生時代には「裸のサル」というのも
読んだ記憶がありますが、内容は全く意味合いが異なります。
垂れ流し情報の洪水の中で、判断・選択・決定・行動・見極め・
反省・再構築、そして自己統制の欠如している多くの日本人が
ろくにキチンとした日本語で意見も述べられず、議論・討論
する基礎的マニュアルも教えてもらえず、5・6歳児並の
極端な二元論のまま社会に放り出されるありさま。
やはり厳然たる男社会。(善悪の問題ではなく、事実のこと)
その男を育てる「女」にも私はかなり前から幻滅しています。
若い男もそうですけど、あの若い娘たちじゃ、
この国の将来なんか“たかが知れたもの”(笑)
ーー相変わらずのシビア・コメントでごめんなさい!
上記の文章でとんでもない間違いをしていました。
封建主義=悪、民主主義=善
と書いたつもりでしたが、とほほ。逆になっておりました。
よくお読みになればお解かりになられたかと思いますが、あはは。
いずれにしてもそんな単純なものではありませんでしたね。
子供時代から・・・って書いていらっしゃるから
あらま、プロフェッサーって・・・なのね~~~(笑)
とか思ったり。
でも、ナンカ、ヘン、とは思いましたけど
もしかして私の伺い知れない隠れたる根拠が
おありなのかと思い、私にしては珍しいことに
“だまって”おりましたの。(笑)
はい、これで論旨の流れがスムーズに
まいりますことよ。
この映画で話題が盛り上がっていたとは意外。私も遅ればせながら参加させてくださいませ~。
本作、私は評価してます。
まあ、そもそも、セクハラ訴訟っていうのはスキャンダラスな話題の割りに、映画的な素材じゃない。本作はどうやって観客の興味を惹こうかと考え、法廷劇の要素を少なくして、群像劇として構成しようって狙いですよね。実話に即して描くと法廷闘争自体がパッとしないので、そんな構成になったのでしょう。私は社会派映画というより、娯楽性の強い作品として、ドラマの面白さを感じながら観ました。
フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、ショーン・ビーン、シシー・スペイセクなど豪華な脇役陣の演技も評価したいところ。
シャーリーズ・セロンがオスカーを獲った 「モンスター」 は映画的な面白い素材なのに、それが活かさていないという印象を持っています。
何より、本作の長所はハリウッド的な 「頭の悪い作り」 だと私は思います(笑)
考えてもみてくださいよ。元々リベラルな人たちは、これを見て「底が浅い! 描写が甘い!」と非難しますよね。当然だと思います。
鉱山のセクハラ訴訟が題材なのに、裁判のほとんどが高校時代のレイプ事件ってのも、なんとも始末が悪いですし^^;
ただし、こういう映画を本当に観て欲しいのは、今でもセクハラなんぞ当たり前と考えているような頭の悪い人たちなわけです。頭悪く作らないと、頭が悪い人たちは理解できないでしょうに(笑)
ほら、特にマニズム信仰で、今でも西部劇が好きなバカオヤジとかですね(笑)
よく文部科学省推薦なんて有り難味の薄い箔がつく映画がありますが、これなんぞは 「女性は子供を作る機械」 発言をした柳沢大臣の 「厚生労働相推薦」 をつけて、国会本会議でジイさん議員たちに見せてはどうか、なんて思います(笑)
彼らって股間は硬くならないくせに、頭ばっかり固いですからね(笑)
もちろん、男前なviva jiji様のサイトなら大丈夫かと思いますが
<(_ _*)> 陳謝
いやあ、いくら何でも封建主義=善とは思ったことはありません。ただ、核家族社会になって日本社会が荒廃したのは否定しようのない事実。
>5・6歳児並の
>極端な二元論のまま社会に放り出されるありさま。
全くもって。
「ヒトラー」のところで、戦争は嫌だなあと書いたら、「気持悪い左翼」という中傷が入りましたよ。右翼でも左翼でもいいけど、私は自分の好きな人や物を失い、好きなことも禁じられる戦争は嫌だと言っただけで、政治思想とは関係ない。
平和主義=左翼というのは実に程度の低い考え。確かに幼稚園なみです。
姐さんの怒りも絶望もよく解ります。
極めて正論です(笑)。
私の持論に「映画は自分のレベルより高くても、低くてもつまらない」というのがあるのですが、映画の想定したレベルに合わせて映画を批評すると、みんな満点になってしまう。映画批評にならないです(笑)。
しかし、私の尊敬する双葉さんが、一般的な映画ファンに記憶されるのは、映画的に穴の少ない傑作ではなく、それより少し落ちる(私の7点、8点のような)作品が多いのではないか、という意味合いのことを仰っています。例えば「カサブランカ」のような作品を指していると思われますが、さすがに私の師匠、良いことを言うなあ(笑)。
その意味では本作もそういう印象のある作品です。
簡単にまとめてしまってすみません。
まず、プロフェッサーさまへ。
プロフェッサー、ごめんなさいね~。(ペコっ)
このような格調高い、知的にかつまた真摯に紳士的に
映画を愛し、語っていらっしゃる方々ばかりのお集まりになる
高貴な御宅にガヤガヤと、アタマッコに雪のっけて、
約2名ばかし、押しかけているような
今日このごろ・・・・
プロフェッサー、誤解なさらないで下さいまし。
札幌在住の方々は皆、このようにド髪天に元気過ぎる私や
バカオヤジ、とか
股間、とか
硬い、とか
堅い、じゃなく、(うううぅ)、固い、とか
揉み手をしながら、ウヒャヒャしている(あの方のような)
男性ばかりでは決してあ~りませんからね!(笑)
・・・・
しかし、彼は
こと本作に限らず映画に関しては至極「正論」を
ぶっち切っておるので
「おぬし、なかなか、やるなあ~!」と
私、心では常に感じ入ってはおるのですが
口が裂けては言えない(?)ので、言わないでおるの。(笑)
では、この場を拝借して、
“ウヒャヒャ”にちょっとご挨拶をば。
(あ、声、裏返っちゃったーー)(笑)
姐さん、あれほど言ったでしょ?
オトコはんの賞味期限に伴う<「硬」「柔」反比例の法則>は
めったやたらに“公表”しちゃあいけんよーーーーって!
>こういう書き込みを女性主催のサイトにすると
セクハラでしょうかね^^;
もちろん、男前なviva jiji様のサイトなら大丈夫かと・・・
優 ~ ち ~ ゃ ~ ん~~!
雪かきは、もう、済んだの~?
済んだらチョッとね、ウチにおいで~~~、ねっ?
きのう、イギリスから直で仕入れた超美味しい“イングリッシュ・
ブレックファースト”紅茶と超塩っぱいブルー・チーズで
もてなしてあげるからさ~~~、
厚着して、雪こいで、お~い~で~^^^^^^(笑)
※ プロフェッサーさま、
私の、お耳苦しい発言、切にご容赦願います。
失礼しました。
<TBよりコメントが多いのは良いブログ>という格言はございません(笑)が、最近コメントが多くて嬉しいのであります。
何しろ本文が硬くて面白味がないのですから、ご贔屓様が柔らかくしてくれるのは大変結構です。
一方で硬い話でも熱く語るのもまた結構。
viva jijiさんにはそのはじけた文章により人を惹き付ける力があります。
優一郎さんは文章に掛けてはプロ。さすがに読ませます。主旨は同じでも雲泥の差。
私にはそうした力がないので、短い文章の中でなるべくその映画の本質を付くという持ち味を強化していくしかありません。
ご声援よろしく。
あはは、また硬くなっちゃった。
私の書き方に不備があったと気がつき、戻ってまいりました!
そうしたら、なにやら背筋がゾクリとするような書き込みがございましたので、読まなかったことにしてですね・・・^^;
私のコメントに関して一言。
「西部劇好き」 とは私自身のことで、西部劇ファン一般を揶揄するものではございません <(_ _*)>
また、西部劇をマニズムやら、ネイティヴ・アメリカンの虐殺映画という観点でなく 「ロマン」 という甘い枠で捉えていただきたいと、私は常々思っております^^;
「芸術の香り」を嗅ぎ分ける鼻の良い私は、ブルーチーズが何よりも苦手だったします!^^;
す、すいません! それだけ言って、逃げます!
後は、プロフェッサー、よろしくです!(笑)
全く問題ありましぇ~ん(笑)。
かつて「駅馬車」がインディアンを悪者扱いして民族差別だと騒がれたことがありますが、そう批判をする人間こそある意味不純なんです。作者をそうした差別主義と決め付けている可能性すらあります。
勿論作り手に鈍感だと批判されても仕方がない部分がありますが、余り映画の中に深く潜って語るのもどうかと思いますよ。
そして、インディアンがあのように白人の開拓過程において銃に倒れ、白人の婦女子がその反対にインディアンに惨殺されたこともあり、その背景となったのもまた白人の<死の商人>の強欲。歴史的事実の反映でもあるわけです。
映画によって鑑賞者は立場を変える必要があります。表面的に観れば良い作品は敢えて深く探らず、深く探る必要がある作品はそうする。そうしないと映画の価値が芸術性ではなく道徳観により左右されてしまいますよね。これはまずいと思います。
西部劇を語る時にはインディアンをネイティヴ・アメリカンと呼称しないことにしてします。西部劇における長い間の呼称ですし、私にとっては彼らに対する親愛の表現です。
仰るように、ニキ・カーロはローチ風のセミ・ドキュメンタリー・タッチですが、前作でもそうだったのですが、終盤ファンタジー的になるというか、観照に徹しきれず観客と妥協してしまうところがあるような気がします。裁判場面の扱い次第では完全な秀作扱いできるところでしたが、惜しいです。