映画評「フライトプラン」
☆☆★(5点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督ロベルト・シュヴェンケ
ネタバレあり
解説なしで始めましょう。
夫に墜落死された航空設計士ジョディー・フォスターが娘マーリーン・ローストンと夫の棺と共に帰国する為に自ら設計したジャンボ・ジェット機に搭乗するが、その直後に娘が消失してしまい、乗客は見ていないと言い、搭乗者リストにも名前がなく娘が死亡した証拠まで突きつけられる。
ははあ、これはヒッチコックの「バルカン超特急」ですな。
この作品を書いた脚本家ピーター・A・ダウリングとビリー・レイのどちらかが好きなのに違いない。列車が飛行機に代わり、老女が少女に代わった以外の基本設定がほぼ同じで、しかも、窓ガラスに残った存在の証拠というアイデアまで踏襲している。
それは結構なのだが、「シックス・センス」以降の作品故に素直に楽しむことができない。あの映画がどんでん返しの為に主観ショットを客観ショットと思わせるインチキを通してしまって以来、サスペンス映画を見る観客はスクリーンに映し出されたショットを素直に客観ショット即ち事実と信じるのが難しくなっている。本作はその疑念を排除すべきだったのに、その流れに乗って意図的に視点の主を曖昧にしたショットが目立つ(厳密に言えば、ジョディーの主観ショットの扱いが非常に悪い)。設計図が逆ではないか?
その状態では真のサスペンスを感じられるわけもなく、観客の関心はどんでん返し一点のみになりがち。従って、本作はどんでん返しより過程のサスペンスが眼目であるはずなのに、自らの曖昧さが災いし、また時代性故に中盤までの騒ぎはまるでうつろにしか映らないのである。「バルカン超特急」では手に汗を握った素晴らしい設定も<絵に描いた餅>に終ってしまった。
真相が判ってきてからやっと素直に楽しめるが、この終盤はジョディーの旧作「パニック・ルーム」の二番煎じとなり抜群に面白いとまでは言えない。
乗客の無関心や人種差別を絡めたのは最近のハリウッド作品らしく、それに関してジョディーが誘拐犯と疑ったアラブ人に謝るべきだというご意見が多いが、彼女は謝れる状態にあっただろうか。当のアラブ人はそのことに気付いている。もしリアリティを求めるなら彼女に謝らせるのは寧ろ不都合である。
2005年アメリカ映画 監督ロベルト・シュヴェンケ
ネタバレあり
解説なしで始めましょう。
夫に墜落死された航空設計士ジョディー・フォスターが娘マーリーン・ローストンと夫の棺と共に帰国する為に自ら設計したジャンボ・ジェット機に搭乗するが、その直後に娘が消失してしまい、乗客は見ていないと言い、搭乗者リストにも名前がなく娘が死亡した証拠まで突きつけられる。
ははあ、これはヒッチコックの「バルカン超特急」ですな。
この作品を書いた脚本家ピーター・A・ダウリングとビリー・レイのどちらかが好きなのに違いない。列車が飛行機に代わり、老女が少女に代わった以外の基本設定がほぼ同じで、しかも、窓ガラスに残った存在の証拠というアイデアまで踏襲している。
それは結構なのだが、「シックス・センス」以降の作品故に素直に楽しむことができない。あの映画がどんでん返しの為に主観ショットを客観ショットと思わせるインチキを通してしまって以来、サスペンス映画を見る観客はスクリーンに映し出されたショットを素直に客観ショット即ち事実と信じるのが難しくなっている。本作はその疑念を排除すべきだったのに、その流れに乗って意図的に視点の主を曖昧にしたショットが目立つ(厳密に言えば、ジョディーの主観ショットの扱いが非常に悪い)。設計図が逆ではないか?
その状態では真のサスペンスを感じられるわけもなく、観客の関心はどんでん返し一点のみになりがち。従って、本作はどんでん返しより過程のサスペンスが眼目であるはずなのに、自らの曖昧さが災いし、また時代性故に中盤までの騒ぎはまるでうつろにしか映らないのである。「バルカン超特急」では手に汗を握った素晴らしい設定も<絵に描いた餅>に終ってしまった。
真相が判ってきてからやっと素直に楽しめるが、この終盤はジョディーの旧作「パニック・ルーム」の二番煎じとなり抜群に面白いとまでは言えない。
乗客の無関心や人種差別を絡めたのは最近のハリウッド作品らしく、それに関してジョディーが誘拐犯と疑ったアラブ人に謝るべきだというご意見が多いが、彼女は謝れる状態にあっただろうか。当のアラブ人はそのことに気付いている。もしリアリティを求めるなら彼女に謝らせるのは寧ろ不都合である。
この記事へのコメント
すべてに無理があるようなストーリーに思えて仕方がありませんでした。それからジョディーの演技。子供を失ってパニックになるのだから理解は出来ますが、なんだかどうにも一本調子に見えてしまって。
子供を見失う恐怖は、私も母親ですから充分わかっているつもりです。でもあえて言います。あのジョディー母のアラブ人に対する態度は最低でした。映画表現だといえ、非常に気分が悪くなります。まあだからといって、彼女に謝らせるわけにもいかないでしょうけどね。あれ?てことは、あえてああいうネガティヴなシーンを入れるのは、逆に挑戦的なことなのでしょうか?
ずうずうしく(相変わらず2コで)お持ちしました。(笑)
穴だらけの脚本と緻密さに欠ける演出で
ツッコマれるのは必須の作品でした。
でも細かい部分を抜きにすれば
これはTV画面で観ては可哀想な映画ですわ。
マイ記事ではホメていますが、最近の
ジョディ・フォスターは力み過ぎの感多し。
ごめんなさいね。BIGLOBEとは相性悪くって、2個行ってしまうのです、、、
ジョディーは謝る必要がない。
あたしもそう思いますが、あたしが記事書いた時には、ほとんど孤立状態でした。
てか、あたしは、相手がアラブ人だから、と言う意見ですが、、、
いやあ、是非TB付けて欲しかったです。
さっき探したけどついぞ記事にありつけなかったのでした。後でこっそりどこで読めるか教えてね(笑)。
私はハリウッドの作る純娯楽映画レベルの人種・民族差別的な扱いは、あくまで幾つかある材料・要素の一つと捉えております。作者たちも余り真面目に考えていないと思いますね。白人と黒人がコンビを組むのと同じくらいのパターンと考えて良いでしょう。
今はアラブ人が住みにくい世の中であるという事実の反映かもしれませんね。優しい豆酢さんに次の歌詞を捧げます。但し、youは英国人限定です。
If you had the luck of the Irish
You'd be sorry and wish you were dead
You should have the luck of the Irish
And you'd wish you was the English instead!
うぇ~ん、またいじめられちゃった(笑)。
この辺り、映画料金より駐車料金が高いくらい! 遠くから歩く場合は別ですが。
しかし、デパートと映画館が一体になったもの(専門用語で何と言うんじゃ?)が出来るとか出来ないとか。そうなればかなり安く観られそう。しかし、混むな。
まともなサスペンス映画が作れない変な時代に生まれた不幸な映画です。だって私が死ぬほど興奮した「バルカン超特急」にそっくりなのに興奮できないなんて不幸だあ!
私は人に「どのジャンルが好きなの?」と訊かれると「全て」と答えているのですが、本音を言えば「サスペンス」! ああそれなのにそれなのに。シャマランのバカヤロー!
ジョディーは確かに奮闘しすぎ。題名は「パニックプラン」にすればよかったのに(笑)。
Livedoorのバカヤローですね(笑)。Don't mind!
人の考えは色々ですが、普段リアリティ云々を仰る方々があの場面でヒロインに謝れとは奇妙な言説。それこそ現実感を殺ぐ予定調和(哲学用語なのに、近年は変な意味で使われますね)ですよ。
但し、彼女が人間的にどうなのかというのは別問題。でも、考えなしのブエナヴィスタ(ディズニー)映画ではあんなものです。
今読み返してみると、私、言いたい放題です(苦笑)。
しかもW杯真っ最中の時期に書いてます。なので、おそらく常軌を逸した状態で書いてます(爆)。お読みになっても怒らないでくださいね。
いやあ、別に怒る理由などありません。
優しい真面目な人なんです。豆酢さんがジョディーにぶつぶつ言っている間私はシャマランを呪詛しておりました(笑)。
それでは、また。
う~ん、主観ショット、客観ショットの件はおっしゃる通りかもしれませんね。
私は勝手に妄想パターンかとへんな部分で逆にドキドキしてみていました。
アラブ人への謝罪の件、おしゃる通りだと思います。謝れる状態ではない、そう思います。
では、また。
そちらへいつお伺いしようかと思っていたところです。先を越されました。
私はどうもどんでん返しの一点で勝負するのは評価しないので、どういう結末であろうとこれはまずい作り方だなと思っておりました。
勿論過程があれやこれや楽しめればOKですが、これは正統派のサスペンスとして扱える内容だけに寧ろ観客を悩ませようとするショットの扱いは気に入らなかったですね。
正統派サスペンスはもう作れないのでしょうかねえ。「シックス・センス」で使われた第三者的主観ショットはあの映画の独占にすべきであって、この発想によるどんでん返しを映画界は封印したほうが良いとクラシックな映画ファンである私は思います。そうすれば観客もまた素直にサスペンスが楽しめると言うもの。
主観ショットの件、正にそうですね。素直にその内容で勝負すべきだと私も思います(といってもそれに惑わされた私ですが)。
この主観ショットについて、私は非常に疑問に思う作品があります。北野版「座頭市」です。プロフェッサーは鑑てないですか?ちょっと気になって急遽記事にしたのですが、まあ私のブログのアクセスでは返答は望めないと思いますが、もしご覧になっていたら是非、感想をお聞きしたいのですが。
(http://toridestory.at.webry.info/200702/article_7.html)
先のコメント、「座頭市」の件。厳密にはオカピーさんの記事内容とはズレているのは承知しています。しかし、私は真っ先にこの件が頭に浮かんでしまったのです。記事にも追記しました。
すみません。
いや、お構いなく。TBされても良かったですよ。
そう言えば「そんなショットも台詞もあったなあ」といった程度しか記憶していませんが、北野武が従来の発想(座頭市は見えない)を逆手に取ったとも思える一方で、本当は見えないのだけど観客を惑わしてやれといった悪戯心とも思えたり、悩ましいですよね。
検討材料としておきます~。
実は、驚いています。私もプロフェッサーと全く同じ感想を持って観ていたのです。
「シャマランのせいで、こういう映画を純粋に楽しめなくなった!」と、本作を観ながら妻に愚痴をこぼしていました。私もシャマランを呪い続けている一人^^;
冒頭、少女の存在を私たち観客は目撃している。だから「誰が信用しなくても、ぼくたちは分かっているからね。ジョディ母さん、がんばれ!」と共感で観たいところ。しかし「このお母さん、ちょっとオカシイんじゃないかな?」と思わされてしまう。
ちなみに、シャマランはラジー賞を受賞しましたね! 愉快(笑)
アラブ人に対するジョディの態度は、確かに「最低」です。しかし、子供を失った母の心理状態を加味すれば情状酌量の余地あり。
酷い扱いを受けたアラブ人が最後にジョディの荷物を持って手渡す。
あれは「全てを水に流し、あなたをリスペクトします」という敬愛表現ですから、民族、宗教、政治を超え「母の子を思う情」は世界共通に人を感動させるという優しい結末。
ジョディが選んだ作品なのだから、そうそう大きくは外れないだろうという甘い考が、本作を観ようと思ったモチベーション。内容が「母は強し!」だから、この脚本を選んだのでしょうね。
観終わった後の感想は 「ジョディの映画選びも、これからは信用できんな」 というものでした(笑)
「不慮の事故(?)で夫を喪った上に、幼い愛娘までも失いかねない状況」が、あの錯乱状態だと考えれば、ジョディの芝居は決してオバーではないでしょう。
責められるべきは役者でなく、常に作り手のゴマカシ。「監督さん、観客をみくびってないかい?」と私は言いたくなるのです。ジョディにあの芝居を求めたのも演出家。そう私は考えて映画を観ています。
シャマランの罪は大きい。とにかくサスペンス映画を墓石もとい破壊し、観客にいらん智恵を注入、多くの観客もどんでん返し一点にびっくりしてしまって、途中が大して面白くないにも拘らず絶賛してしまった。
私もあの映画を最初に<やった>映画としては評価しますが、あれは一回ぽっきりでないと、面白い映画を期待する本格映画ファンは困ってしまうのであります。推理小説で言えば「アクロイド殺人事件」。しかし、さすがにあれを繰り返すミステリー作家はいない。それを見ても小説と映画は違いますね。
アメリカだけではないですが、映画監督で映画を観る時代は終ったようですよ。特にアメリカは新人か若手ばかりでしょう。昔は10本観れば9本は知っている監督でしたよ。今は逆。名前を憶える気もしない。
そもそもCMやMTV畑から監督を抜擢したって良い映画を作れるわけもないっちゅうの。映画は連続性の世界。30秒若しくは4,5分の世界とは違って感性だけではどうにもならんですよ、映画は。
事前に期待しすぎて、実際観たら拍子抜けしてしまった映画です。
「バルカン超特急」を観ていなければ、もっと楽しめたかもしれないと考えてしまいました。
機内のいろんなところを観察出来たのは楽しかったです。社会見学みたいで。
カカトさんは「シックス・センス」を御覧になったでしょうか?
映画ファン度が深いほど失望する可能性が高い作品と言っても良いでしょう。
私などはそこに理屈がつきますから、もう序盤から駄目でございました。折角の「バルカン超特急」も、作者自身がサスペンスを否定してしまっているのかですから、絵に描いた餅です。
つまり、序盤に感情的になったヒロインの主観ショットを入れてしまったものだから、とにかく客観ショットなのか実はそれに見せかけた主観ショットなのではないかと不安がある。つまり、映画が引き起こす不安というよりは観客が勝手に不安になるのです。これはまずい。
「シックス・センス」の類を全く観ていない方は、一般的な意味でのサスペンスを感じることもできるでしょうが。
>飛行機内部見学
なるほど、そういう印象もありますね。
「バルカン超特急」のリメイクと言いたいほどアイデアを借用していますが、それならきっちり描写に曖昧さのない作り方であれば素直に観られたのですけどね。
正統派のサスペンス映画が作りにくい時代になりましたね。作ったとしてもどんでん返しや意外な結末ばっかりに関心が行って、ストレートな展開に「な~んだ」と言われかねません。困ったことです。
最新鋭旅客機とジョディ・フォスターを観る映画でしたね。
「バルカン超特急」へのオマージュを感じる場面もありましたが、もうああいう映画は作れないんだろうなあというのも感じました。「バルカン超特急」は、じつは国家絡みの壮大なおはなしだったんですよね。
>最新鋭旅客機を舞台にした「ダイ・ハード」と受け取りました。
>「バルカン超特急」へのオマージュを感じる場面もありましたが、もうああいう映画は作れないんだろうなあというのも感じました。
同時代的に見ますと、これは「シックス・センス」の悪影響ばかりが気になって楽しめない映画なのでした。サスペンス映画の画面が信じられない時代が10年くらい続きました。最近はそういう作り方はほぼなくなりました。
今観れば「ダイ・ハード」を引用したかもしれませんね。
「シックス・センス」もある意味はったりだったわけですが、現在の映画ははったりばかり。正攻法に作ると馬鹿にされかねない時代です。
>ジョディ・フォスターを観る映画でしたね。
彼女が出るとそういう風な作り方がされる時代でした。僕にはどうもそこが億劫でしたが。