映画評「アマデウス」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1984年アメリカ映画 監督ミロシュ・フォアマン
ネタバレあり
昨年生誕250年で様々な催しがあったモーツァルト。昨年の師走にNHK-BS2で放映された時無視したのはハイビジョン版での放映があるものと決め付けていたからだが、予想通りになってゴキゲンでした。本作はLDでも持っているが、今回は3時間を超えるディレクターズ・カット版なので当然保存版を作った。
原作はピーター・シェーファーの舞台劇で、監督はミロシュ・フォアマン。二人で農家に缶詰になって相談しながら脚本を作り上げたという。
伝記映画は回想形式が圧倒的に多いが、本作ではモーツァルトという天才に対峙するイタリア人作曲家アントニオ・サリエリの懺悔的告白という形式で描かれる。本作の成功の半分以上がこのアイデアによると言っても過言ではない。
音楽好きのヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)の時代、神の恩寵を受けたと信じていた宮廷楽長サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は既に名が伝わっているモーツァルト(トム・ハルス)の天才を確認するが、彼が軽佻浮薄な青年であることが許せず、そんな青年に才能を与えた神を呪い、やがてモーツァルトが畏怖している亡父レオポルドを思わせる仮面の男を派遣して「レクイエム(鎮魂曲)」を依頼させ、モーツァルトを追いつめて行く。
史実・事実にフィクションを巧みに織り交ぜた時に物語は大変面白くなる。
本作は純然たる伝記映画とは言えないが、一度聴いた楽曲を全て記憶したり、オリジナルの楽譜に修正痕がないといったモーツァルトに関する史実が上手くエピソードに使われ、妻コンスタンツェ(エリザベス・ベリッジ)や父との関係も重要な要素として描かれているので、伝記映画としての価値も十分にある。コンスタンツェ悪妻説は必ずしも踏襲していない。
虚実の<虚>の部分ではモーツァルト毒殺犯人説もあるサリエリの視点により、天才と凡才を対立軸として物語が進められる点が優秀で、録音や著作権のなかった当時の作曲家にとって皇帝や大司教といった権威の庇護なしに生活出来なかった社会的背景(実の部分)もたっぷりと描き込まれて大変興味深い。
些か細かい点では、ノックの音の扱いが素晴らしい。映画の始まりもノックであり、仮面の男が現れる場面でもノックが響き、毒殺説を知っている観客にとってはノックの繰り返しが毒殺に相当する恐怖になっていくのである。見事と言うしかない。
薄暗い中帰郷する妻子の乗る馬車を捉えたショット(撮影ミロスラフ・オンドリチェク)の幽玄さ。
やがて、もはや立ち上ることの出来ないモーツァルトのハミングを音符に置き換える作業に夢中になってしまうサリエリの音楽家としての哀しさが充満する最終章に我々も感動につつまれる。
勿論サリエリのオペラを除いて全てモーツァルトの名曲で全編が彩られているわけだが、何十という音楽家の伝記映画がある中でもこれだけ巧みに物語の展開に合せて使われた例を僕は他に知らない。
配役陣も優秀で、サリエリを好演したエイブラハムはこれ以降主役級の活躍をすることになる。トム・ハルスもモーツァルトの奇人ぶりを好演したが、結局映画界では大成していない。
総合芸術としての魅力満載で、80年代以降作られた映画ベスト5に入れたい傑作。
1984年アメリカ映画 監督ミロシュ・フォアマン
ネタバレあり
昨年生誕250年で様々な催しがあったモーツァルト。昨年の師走にNHK-BS2で放映された時無視したのはハイビジョン版での放映があるものと決め付けていたからだが、予想通りになってゴキゲンでした。本作はLDでも持っているが、今回は3時間を超えるディレクターズ・カット版なので当然保存版を作った。
原作はピーター・シェーファーの舞台劇で、監督はミロシュ・フォアマン。二人で農家に缶詰になって相談しながら脚本を作り上げたという。
伝記映画は回想形式が圧倒的に多いが、本作ではモーツァルトという天才に対峙するイタリア人作曲家アントニオ・サリエリの懺悔的告白という形式で描かれる。本作の成功の半分以上がこのアイデアによると言っても過言ではない。
音楽好きのヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)の時代、神の恩寵を受けたと信じていた宮廷楽長サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は既に名が伝わっているモーツァルト(トム・ハルス)の天才を確認するが、彼が軽佻浮薄な青年であることが許せず、そんな青年に才能を与えた神を呪い、やがてモーツァルトが畏怖している亡父レオポルドを思わせる仮面の男を派遣して「レクイエム(鎮魂曲)」を依頼させ、モーツァルトを追いつめて行く。
史実・事実にフィクションを巧みに織り交ぜた時に物語は大変面白くなる。
本作は純然たる伝記映画とは言えないが、一度聴いた楽曲を全て記憶したり、オリジナルの楽譜に修正痕がないといったモーツァルトに関する史実が上手くエピソードに使われ、妻コンスタンツェ(エリザベス・ベリッジ)や父との関係も重要な要素として描かれているので、伝記映画としての価値も十分にある。コンスタンツェ悪妻説は必ずしも踏襲していない。
虚実の<虚>の部分ではモーツァルト毒殺犯人説もあるサリエリの視点により、天才と凡才を対立軸として物語が進められる点が優秀で、録音や著作権のなかった当時の作曲家にとって皇帝や大司教といった権威の庇護なしに生活出来なかった社会的背景(実の部分)もたっぷりと描き込まれて大変興味深い。
些か細かい点では、ノックの音の扱いが素晴らしい。映画の始まりもノックであり、仮面の男が現れる場面でもノックが響き、毒殺説を知っている観客にとってはノックの繰り返しが毒殺に相当する恐怖になっていくのである。見事と言うしかない。
薄暗い中帰郷する妻子の乗る馬車を捉えたショット(撮影ミロスラフ・オンドリチェク)の幽玄さ。
やがて、もはや立ち上ることの出来ないモーツァルトのハミングを音符に置き換える作業に夢中になってしまうサリエリの音楽家としての哀しさが充満する最終章に我々も感動につつまれる。
勿論サリエリのオペラを除いて全てモーツァルトの名曲で全編が彩られているわけだが、何十という音楽家の伝記映画がある中でもこれだけ巧みに物語の展開に合せて使われた例を僕は他に知らない。
配役陣も優秀で、サリエリを好演したエイブラハムはこれ以降主役級の活躍をすることになる。トム・ハルスもモーツァルトの奇人ぶりを好演したが、結局映画界では大成していない。
総合芸術としての魅力満載で、80年代以降作られた映画ベスト5に入れたい傑作。
この記事へのコメント
お言葉に甘えてまた来ました!
自分にとって、生涯ベスト10の一本です。
モーツァルトの天才を見抜いていたサリエリは、今でいう批評家的な才能に恵まれていたのかもしれません。その自分を素直に認められたら。モーツァルトも違う時代に生まれていたら。
人間の運命、宿命といったことを考えさせられます。
もちろん、映画として抜群に面白い。
>ノックの音の扱い
これは気づきませんでした。確かにそうですね。名作は何度みても新しい発見があります。今度観るときの楽しみが増えました。ありがとうございます。
今、手元にないのですが、生前のトリュフォーと親交のあった山田宏一さんと淀川先生の対談本「映画は語る」のなかで、ミロシュ・フォアマンとロバート・ベントンがトリュフォー好きだというのを知って、うれしかったのを覚えています。
ベントンは「クレイマー、クレイマー」で「野性の少年」と同じヴィヴァルディの音楽と撮影のアルメンドロスを使っているのでわかっていましたが、ミロシュ・フォアマンは意外でした。
トリュフォーについて語りだすと止まらなくなりそうなので、このへんで。
蛇足ですが、先日お伝えした荻さんの「映画批評真剣勝負」、2012年に2冊分冊で復刊されたのですが、これには双葉先生の推薦の文章は載っていないようです。もしご購入される場合はご注意を。それではまた
>生涯ベスト10の一本
その価値は十分にあるでしょうね。
お話も、音楽も、撮影も、演技者も充実、素晴らしい作品でした。
>運命、宿命
僕のように何の才能もない人間は、どの時代に生まれても大して変わらないだろうなあと思いますが、才能のある方は色々と変わるでしょうね。
生まれるのが早すぎた人、遅すぎた人、強力なライバルがあって不運をかこつ人(スポーツ選手に多い)、才能がいくつもある人・・・
>ノックの音
映画館は勿論そうですが、高級オーディオを通してTVで見た場合も音の印象は強くて、こういう感想が出てきたのだと思います。
やはりTVそのものの音声ではなかなか無理です。
>ベントン、ヴィヴァルディ
「マンドリン協奏曲」ですね!
そのサントラ盤がカセットテープに入っていて、好きな曲です。
そう言えば「クレイマー、クレイマー」にはトリュフォー的な香りがあるかも?
>ミロシュ・フォアマン
作品傾向からはちょっと解らないですね。
ウッディ-・アレンの「それでも恋するバルセロナ」にはトリュフォーの「突然炎のごとく」から拝借しているところがありますよ。
もしご覧になっていなかったら一つどうぞ。アレンですから例によって例の如くですが、それを感じたので実力以上に楽しんでしまいました。
>「映画批評真剣勝負」
情報、有難うございます。
「アマデウス」にコメントが1件しかないって・・・?
素晴らしさはオカピー先生が全て書いてしまってるからでしょうか?
私もこれは公開バージョンとディレクターズカット版と両方所有しています。今回長い方を再見しました。
>何十という音楽家の伝記映画がある中でもこれだけ巧みに物語の展開に合せて使われた例を僕は他に知らない。
私も知りませんです。
コンスタンツェの母親のマシンガントークから「魔笛」の「夜の女王のアリア」に変わるところなんかよくぞ思いついたなぁ、と感心しました。座布団3枚進呈!
クスクス笑わせておいてあのラストになだれ込んでいくユーモアの匙加減が絶妙ですね。
モーツァルトもサリエリも実に人間臭くて好感度高いです。
同時代で接点や交流のあったハイドンもベートーベンもサリエリから乗り換えてきた弟子(毒殺説に絡んでるとか?)も登場せず、父親とサリエリとコンスタンツエに絞っているところも成功の要因でしょうね。あと、ちょっと出てくるシカネーダがいい味出してました。
久しぶりにサー・クリフォード・カーゾンのピアノコンツェルトを聞きました。サントラのマリナーのもいいけれどカーゾン&ブリテンも素晴らしいです。録音が古いので音圧は低いように思いますが。
>「アマデウス」にコメントが1件しかないって・・・?
余りうるさ方で人気のないブログですからねえ^^;
>モーツァルトもサリエリも実に人間臭くて好感度高いです。
そうですね。そういう人間臭い人を嫌う観客も最近は多いですが(以前にも申しましたね)。
>父親とサリエリとコンスタンツエに絞っているところも成功の要因でしょうね。
ふむふむ。確かにそうです。
その他、細かいことの数々はよく憶えていないので、レスできません。悪しからず。
>カーゾン&ブリテンも素晴らしいです。
ブリテンは音楽の教科書で知っています(名前だけ)が、カーゾンなるは知らなかったです。今、YouTubeで聴きながら書いています^^
前回のコメントはカーゾン&ブリテンを聞きながら書きましたが、今日は内田光子&ジェフリー・テイトを聞いています。
昨日音圧が低いと思ったらアンプの左右のバランスがほぼ片側に行ってました。プロジェクターで観る時に暗闇でボリュームと間違えて触ったようです。
>ドアの音
20年くらい前のオンキョーのトールボーイ(高級品じゃなくて2本10万くらいでAV対応らしいです)はドアの音や足音がリアルに立体的に響いて、慣れるまでは思わず振り向いてしまうほどでした。(ホラーを観たら怖さ倍増・・・観ませんけど)
今は70年代の小さなタンノイにつないでいますが、トールボーイのような臨場感はないです。やはりAV対応のスピーカーがいいんでしょうか?
タンノイはジャズボーカルなんかはすごく良いんですけど、トールボーイは音楽を聴いても特に良いことはなくて一長一短でしょうかね。
>今日は内田光子&ジェフリー・テイトを聞いています。
今、YouTubeでK466を探し出して聞いています。
>タンノイはジャズボーカルなんかはすごく良いんですけど、
>トールボーイは音楽を聴いても特に良いことはなくて一長一短でしょうか
仰るように、経験の教えるところによると、映画はそれほど高くないAV用スピーカーの方が良いようですね。大分以前近所の家でトールボーイで聴かせてもらいましたが、純オーディオとは違う迫力を感じました。
で、僕は純オーディオ・システムから音を出して映画を観ることがありますが、ソフトの音質の限界に軽く到達してしまうのか、どうも物足りない。餅は餅屋ということですか。
僕のスピーカー(ヤマハの大型)はピアノ(に限りませんが)の音が生々しい。自作の「アマデウス」CDは、ラジカセで既に聴きましたが、明日初めて二階のオーディオ・システムで聴いてみる予定。
昔JBLの小型スピーカーを持っていました。音の切れが良いので、モダン・ジャズには合っていましたが、艶がなくてクラシックや歌謡曲は全然ダメでしたね。その点ヤマハは万能。
>ソフトの音質の限界に軽く到達してしまうのか、どうも物足りない。餅は餅屋ということですか。
そういう事だったんですね。 実はうちはトールボーイを単なるTVの横に置けるかさばらないSPとして買いました。AV対応だというのも昨日検索して知りました。夫も知らなかったです。
配線とかは一応やってくれるのでそこまでオーデイオ音痴ではないはずなんですが・・・
プロジェクターで観るときはアンプ→SPと通さないといけないのですが、かなりボリュームを上げないと音がでないです。
半世紀も前のアンプやSPにそこまで望むのも無理という事ですね。
JBL、昔のジャズ喫茶によくありました。
大学の近くの店に巨大スピーカーがあってJBLのパラゴンだと教えられました。
ジャズ喫茶って喧しすぎて、喋ろうと思ったら相手の耳元に口をくっつけて大声を出すか、ピアノソロを狙わないと喋れませんでしたね。
今は昔の学生街の喫茶店の一コマでした。
>かなりボリュームを上げないと音がでないです。
スピーカーの音圧レベルが低いんですね。大型の高能率スピーカーに変えれば解決します。例えば、現在87dBのスピーカーを90dBのスピーカーに変えれば、2倍くらいの大きな音になります。10dB違うと10倍、20dB違うと100倍になります。
映画館はバカでかい音がしますが、スピーカーが100dBを超えるものを使っているので、小さなアンプでも、あんな大きな音がするのです。
>大学の近くの店に巨大スピーカーがあってJBLのパラゴンだと教えられました。
おおっ、昔の名器ですね。
憧れでしたが、個人て買うタイプのスピーカーではなかった。
>ジャズ喫茶って喧しすぎて
そういうものですか。音楽喫茶って、実は行ったことがないのですよ^^;
オーディオは難しいですね。
調べましたらオンキョーもタンノイも90dbでした。
トールボーイは諸事情ありまして(単に部屋が狭くてスピーカーを2セットは置けないのと、無理に置いたとしてもトールボーイ用のアンプを別に置かないといけないという住宅事情がありまして)現在未使用なんです。 プロジェクターからタンノイに有線でつないでいますが、この辺に問題があるのかもしれません。
ジャズ喫茶・・・あの頃の5年?の違いは大きいかもしれません。
70年代後半くらいからジャズ喫茶は衰退していったんでしたかね?
私の学生時代はジャズ、ロック フォーク、カントリー、ブルースりのジャズ、クラシックなジャズ、と専門分野も色んな店がありました。
当時は特になんとも思いませんでしたが、今思えば面白かったですね。色々ありました。(遠い目・・・笑)
>オーディオは難しいですね。
>プロジェクターからタンノイに有線でつないでいますが、
>この辺に問題があるのかもしれません。
難しいです。詳細は解りませんが、再生機の出力が小さいのかな?
モカさんちのスピーカー2種、90dBというのは中型の平均的なところです。
>ジャズ喫茶・・・あの頃の5年?の違いは大きいかもしれません。
大学からの帰りに友達とつるんで、色々な喫茶店に行きましたが、ついぞ音楽喫茶なるものに至らず。