映画評「かもめ食堂」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・荻上直子
ネタバレあり
「バーバー吉野」「恋は五・七・五!」と面白いものの定石的で物足りない部分があった荻上直子の最新作だが、一皮向けたのではないかと思う。原作は群ようこ。
フィンランドはヘルシンキ、日本女性・小林聡美が一人で食堂風レストランを切り盛りしているが、全くの閑古鳥状態。
日本贔屓の青年が最初の客となり「ガッチャマン」の主題歌歌詞を聞きたがるが彼女に記憶なく、ぶらっと当地を訪れた片桐はいりが歌詞を全て記憶していたのが縁で店を手伝うようになる。さらにこれまた訳ありらしいもたいまさこが「空港で無くした鞄が現れるまで」と遊びに来始める。
基本的にこれだけのお話だが、印象に残るのは豊かな人情の機微である。
三人の日本女性に関しては全くその背景が語られないが、その反面どこかに孤独を抱え、やはり交流する人間に救いを求めていることを漂わす。おいしいコーヒーの入れ方を教えた前の店主やヒロインの思い出でも父親が「人に出して貰ったものはおいしいんだよ」と言うのである。
長く一人暮らしをした経験があるので、この言葉に僕の胸は非常に熱くなった。これが人間の本質ではあるまいか。登場する日本人が同国人同士固まるというのではなく、かと言って日本人を拒むのでもないという自然体がこの思いを強くしないではおかない。
一方で、「ショコラ」のようなファンタジーの香りも感じさせ、北欧のイメージに反する町の豊かな色彩も魅力的。
演出面では、荻上監督はこれまでとタッチをがらりと変え大胆な省略法、具体的に言うならフィンランドの俊英アキ・カウリスマキに似た省略的タッチを駆使している。一見素っ気無い印象ながら行間から細やかな情味を生み出し、異国で交流する日本人を描く内容に適合した手法のように思う。
大げさに言えば、小津安二郎の孫みたいな作品であり、何度か挿入される主人公がプールで泳ぐショットは小津映画の<廊下>に相当する一種の捨てショットなのかもしれない。
海辺で確認の電話を入れているもたいまさこの傍をいつも猫をなでている中年男性が往復していて、最後に彼女に猫を預けて去ってしまう、といったオフビートなユーモアも良いアクセントになっている。彼女は健忘症?
カウリスマキ「浮き雲」姉妹編でございました。
他の方のレビュー⇒
「かもめ食堂」(風に吹かれて)
2006年日本映画 監督・荻上直子
ネタバレあり
「バーバー吉野」「恋は五・七・五!」と面白いものの定石的で物足りない部分があった荻上直子の最新作だが、一皮向けたのではないかと思う。原作は群ようこ。
フィンランドはヘルシンキ、日本女性・小林聡美が一人で食堂風レストランを切り盛りしているが、全くの閑古鳥状態。
日本贔屓の青年が最初の客となり「ガッチャマン」の主題歌歌詞を聞きたがるが彼女に記憶なく、ぶらっと当地を訪れた片桐はいりが歌詞を全て記憶していたのが縁で店を手伝うようになる。さらにこれまた訳ありらしいもたいまさこが「空港で無くした鞄が現れるまで」と遊びに来始める。
基本的にこれだけのお話だが、印象に残るのは豊かな人情の機微である。
三人の日本女性に関しては全くその背景が語られないが、その反面どこかに孤独を抱え、やはり交流する人間に救いを求めていることを漂わす。おいしいコーヒーの入れ方を教えた前の店主やヒロインの思い出でも父親が「人に出して貰ったものはおいしいんだよ」と言うのである。
長く一人暮らしをした経験があるので、この言葉に僕の胸は非常に熱くなった。これが人間の本質ではあるまいか。登場する日本人が同国人同士固まるというのではなく、かと言って日本人を拒むのでもないという自然体がこの思いを強くしないではおかない。
一方で、「ショコラ」のようなファンタジーの香りも感じさせ、北欧のイメージに反する町の豊かな色彩も魅力的。
演出面では、荻上監督はこれまでとタッチをがらりと変え大胆な省略法、具体的に言うならフィンランドの俊英アキ・カウリスマキに似た省略的タッチを駆使している。一見素っ気無い印象ながら行間から細やかな情味を生み出し、異国で交流する日本人を描く内容に適合した手法のように思う。
大げさに言えば、小津安二郎の孫みたいな作品であり、何度か挿入される主人公がプールで泳ぐショットは小津映画の<廊下>に相当する一種の捨てショットなのかもしれない。
海辺で確認の電話を入れているもたいまさこの傍をいつも猫をなでている中年男性が往復していて、最後に彼女に猫を預けて去ってしまう、といったオフビートなユーモアも良いアクセントになっている。彼女は健忘症?
カウリスマキ「浮き雲」姉妹編でございました。
他の方のレビュー⇒
「かもめ食堂」(風に吹かれて)
この記事へのコメント
良い作品でしたね~!!
>「人に出して貰ったものはおいしいんだよ」と・・・
ひとり暮しの時期なんぞ、とっくに忘却のジェット・ヘリが
大旋回するほど過去形になり、わが3羽のツバメの旺盛な食欲を
満足させんがため日夜うまいメシ作りに励んで来たツバメの母と
いたしましては(前置き、長っ!)
人様に供していただいたお料理の“ありがたいこと!”(笑)
はじめて息子がステーキ丼なるものを作ってくれた時は
そのブ厚くデカ過ぎるステーキにむせ返り、
涙目になりながらも、
“わが子育ては、ここに完成せり!”
な~~~んて感慨にふけった思い出も。
>小津安二郎の孫みたいな・・・
わかります、そのニュアンス。(笑)
私も、おそらく時を同じくして本作をWOWOWで再鑑賞しておりました。で、思ったのです・・・「しまった! ★★★は過小評価だった!」と^^;
なにせ年頭一発目の映画鑑賞だったため評価は控えめ。第一競技者の得点を敢えて抑える審判のような心境だったのかもです(笑)
合気道の精神が「父性」、プールのショットは「母性」。母胎回帰を意味するものだと合点がいったのですが、今さらに自分の記事には書き加えられず^^;
つい先だって小津の「淑女は何を忘れたか」を観たのですが、これにはビックリ!
私は旧作初見映画を評価の対象にしていないのですが、本年度の実質NO.1は小津です(笑)
TB持参させていただきました。ツインズの兄をよろしくお願いいたします^^
「サウンド・オブ・ミュージック」にも妙に泣けましたが、引き続きこの作品でも泣きました。おにぎりを作っているところを見るだけでも泣けます。おにぎりが食べたくなってきたなあ。
ソウル・フード・・・日本語で言えば「お袋の味」ですかいな。私はグルメではないので、うまい味噌汁があればそれでOK。
本作を改題するなら「おにぎりの味」(小津の「お茶漬の味」「秋刀魚の味」に倣って)ですかね(笑)。
フィギュア・スケートやシンクロ、体操など最初の競技者は点数を抑えられてしまうんですよね。上手い譬えです。
採点に関しては、コメントで触れられていない時は黙って変えてしまうことがあります(笑)。一度だけやったかな。
父性と母性・・・なるほど。いずれにしても捨てショットですよね。小津の<廊下>や成瀬の<小道>みたいなもの。捨てショットとは言え、彼らはそこに人間の感情を沈み込ませていたように思いますが、これは父性と母性でしたか。言われてみればそうですわいな(笑)。
「淑女は何を忘れたか」は私の2003年ベスト1です。特に終盤がエルンスト・ルビッチみたいだったので感激してしまいました。この作品は相対的に評価が低いような気がします。必見ですよね。
やっぱり良かったでしたか♪
小津の「淑女・・・」を観て、こんなに感激するのは私だけかな・・・と不安に思っていたので、お墨付きをいただけて、すごくホッとしました^^
この頃、よく思うのですが・・・映画をたくさん観ている方とは、客観評価がほぼ似通ってくるもののようです。(むろん、好みの問題もありますから、かけ離れた評価になる監督、作品もあるわけですが)
「名作と言われるわりに、たいしたことない作品」 という文脈で語る時、私がよく引き合いに出していたのが 「カサ○○○カ」 だったりして、そんな辺りまで同じなのです。大っぴらに公言はしてないですよ^^;
また「シックス・センス」は「アクロイド殺し」という説も、前から思っていたことで「フライト・プラン」の記事でも驚きました。
でも、私なんぞは「未だ観ぬ強豪」がひしめいているわけで、ルビッチもその一人。「ニノチカ」、「生きるべきか・・・」以外にも、もっと観てみたい監督です。是非、お薦めを教えてくださいませ。
行間で見せる映画は、洋の東西を問わず好きですね。とぼけたお笑いも良いです。
何故フィンランドか? それは森です(爆)。
それから、小林聡美のフィン語はなかなか上手そうに聞こえましたね。
私は好みというものは当然あるものと思っていますが、その一方で追窮していった時に形成される審美眼というのはある程度範囲が限られるのではないかと考えます。最近の映画批評家が怪しからんのは<価値観の多様化>などといった便利な言葉に甘えて、切磋琢磨しないんですよね。だからベスト10選出作業などでも限りなく選出作品が出てくる。
「カサ要らんか」(笑)は、大衆映画としては最高ですが、映画芸術としては最高ではないと思っております。従って、昨年アメリカ脚本家協会がアメリカ映画史上No.1の脚本に同作を選んだ時「ほんまかいな」という気持になりましたね。
「シックス・センス」=「アクロイド殺し」説は私の持論ですが、優一郎さんもやはりそうでしたか。小説の場合はこんな無法の手を再度使ったら読者に糾弾されるでしょうが、映画では使える。これが悲劇の元ですね。
(続く)
他の作品も水準が高いですが、「極楽特急」などは如何でしょうか?
「結婚哲学」と「極楽特急」ですね。ありがとうございます。
いや~もの凄く観たくなります!
近頃は溝口もDVDになり、『祇園の姉妹』も観られました。これにも非常に驚いたわけですが、未だ観ぬ名作は山のように埋もれているものですねえ。
批評家はもっと広く公正な見地から映画について語って欲しいものです。<価値観の多様化>は作品評価より、個性的な語り口、斬新な切り口で発揮していただきたいと。
むろん、<価値観の画一化>によって、皆が同じ意見になってはツマラナく、既成の権威をまとった作品を右へ倣えで誰もが賞賛するのもどうかなと、私は懐疑的な視線を向けるようにしています。
私は「シックスセンス」を非難し続けてきましたが、それでも褒める人は多いのですよね。あのスタイルの追随があるのではと戦々恐々とし、純粋に映画を楽しめなくなるのは本当に困りものです。
ヒッチ先生が「映画のタブー10ヵ条」でも遺してくれていたら良かったのでしょうに。
問題が難しくなってきました(笑)。
私は学生時代、映画館だけでなくフィルムセンターや語学学校をはしごして古い映画を観たものです。それ以外に映画ファンが観たい名作は見られなかった!
今はどの時代のどの国の作品も大方観られますから、幸せなような不幸せなような。「遂にこの名作を見た!」といった感動は薄いでしょうから、どちらかと言えば不幸だと思っているのですけどね。
昔の映画批評家は、<映画を映画として見る>という価値観を共有していたと思いますね。しかし常に新しいものを求めていましたから意外と画一化しなかったことが充分伺われます。今はプロの映画批評が余りにも文芸批評的になってはいませんか。
(続く)
>映画のタブー10ヵ条
ヒッチコックは「映画術」でそれに近いことは幾つか述べていますね。
その中でも<映像のトリックは使ってはいけない>というのが印象的です。
「シックスセンス」はヒッチコックが懸命に作り出したサスペンスの法則を破壊した罪深い作品と言わねばなりません。「セルラー」のような正統派が今一つ評価されないのは、とにかく<どんでん返しの強烈さ><華美な演出>で評価を決める人が増えてしまったからです。
ショック演出ばかりでサスペンスなどのないホラー映画がそれなりに高い評価を受ける時代。ヒッチコックは天国で泣いているでしょう。
確かに、そういったものは私くらいの世代から薄れてきています。私がベルイマンを観たのだって、ほとんどTVでしたから^^;
一時、民放東京ローカルでノーカット字幕スーパーCM中断無しで深夜映画が盛んにオンエアされていた時代があったのです。その番組で名画をたっぷり観た経験は、非常に不幸な映画との出逢いだったと今は思います。
「社会性は新聞を見ればいい。物語性は小説を読めばいい。映画は映画にしか表現できないものを観せてくれ!」
と、私はいつも考えています。
映画評論が文芸批評的だったり、社会性のみで語られたり、人間のドラマだけを取り上げたり・・・そうしたものが評論家の「個性」とみなされ、珍重されている可能性もありそうですよね。
「ダイ・ハード」を「国家に代わり企業が社会を牛耳っている現状を初めて映像化した資本主義的アクション」と評論されると、お笑い草でしかない^^;
「10年に一本の痛快アクション大作!」みたいな伝え方をしてもらった方が、余程に気が利いていますよね。
映画から何らかのメッセージを読み取ろうとしすぎて、逆に演出家の映画的目論見、映画の本質を見失わないよう私は努めているつもりです。
そういえば・・・いわゆる本格ミステリーと呼ばれる小説、パズラーなどと称される小説を今は全く読まなくなりました。若い頃は名作と言われるミステリーを片っ端に読破したものですが、ある時期から「どんでん返し」を味わうためだけに、退屈な経過を読み続ける作業がバカらしく感じられるようになったせいです。
そんな映画、増えましたね。本当に嘆かわしいです^^;
小説は一行一行にカタルシスが感じられるような、あるいは行間で読ませるような味わいがなくては魅力がありません。
映画もまさにそうなのだと、つくづく感じるこの頃です。
よく出来た脚本だと思いましたが、一方で明らかな欠点をいくつか感じました^^;
それについては、また別の機会に。
(朝から、長々とすいません! お目こぼしください)
フジ系列ですね。あれは画期的でしたなあ、民法なのにCMによる中断がないのですから。映画の放映で何が一番問題なのか言えば、短尺化以上にCMによる中断だと思っております。
踏み切れた理由として考えられるのが、アベル・ガンスの大作「ナポレオン」の完全ノーカット放送が大反響を呼んだことです。
とにかく、その後から深夜の洋画は字幕と相場が決まりましたよね。
>「ダイ・ハード」
いやいや全くその通りです。
そもそも作者たちはそんな社会性など知ったことではないでしょう。あくまで構成要素に過ぎません。勿論背景としてきちんと勉強していることは伺えますが、アクション映画はあくまでサスペンスとアクションが如何に優れているかを評価すべきです。
文学者・ジャーナリストが多かった「キネマ旬報」は映画批評家だけで固められていた「スクリーン」に比べ、ヒッチコックの評価が著しく低いという現象が思い起こされます。従って昔から私はアンチ「キネマ旬報」(笑)。
「モナリザ」は「ゲルニカ」のような社会性はないが名画です。映画も同じ扱いで良いはずですよ。
>行間を読ませる
映画や文学で大事なのは、省略・簡潔であり、そこからもたらされる余韻と思っています。台詞劇でもないのに台詞で滔々と状況を説明する映画作家は才能を疑われても仕方がないわけです。
最近のハリウッド映画を観ますと、絵で説明して台詞で説明して、さらに音楽で盛り立てる作品も珍しくありません。シリーズものを私は映画のTV化と言っておりますが、その点から鑑みるに、こうした傾向は説明に慣れたTVファンにレベルを合わせたという背景も多分にあるのでしょう。
>「セルラー」
なぬなぬ、欠点ですと?
私は未だに携帯電話を持たないので、それに絡むプロットについては関知しません(笑)。
元来パーフェクト・ゲームとは思っていませんが、ああいう直線的な映画は今は多少の問題があろうとも評価すべきです。評価の分かれる「コラテラル」にもそんな印象を持ちましたよ。
「かもめ食堂」からどんどんと話が遠ざかっていますね^^;
今日は少し自慢に来ました!(笑)
私、アベル・ガンスのナポレオンを観てます!
もちろん、三分割映写、フルオーケストラで、指揮はあのカーマイン・コッポラでした。
まだ高校生だったのに、当事、一万円を越すチケットを買って無声映画を観たわけで、考えてみれば昔から映画バカだったというか、バカ映画青年だったのです^^;
「モナリザ」と「ゲルニカ」の喩えは、とても解りやすいです!
さすがプロフェッサー!
ヒッチコックを「深みがない」などと評価する人は、映画をある狭い一面からしか観ていない人で、同じ映画ファンとしては残念に感じます。逆に「あれこそ映画だ!」と反論したいところですが、それもまた一面的になるので、私は言いませんけれど^^;
何でも結構! 連想ゲームみたいなもんです。
「ナポレオン」を御覧になりましたか。それは凄い! 私はさすがにテレビ版しかないです。
映画は総合芸術ですから、基本的にはバランスが大事でしょうね。文学性ばかりで映像が駄目ならそれは書物と大して変わらないと言って良いでしょうし、映像ばかりで話が全く駄目ならそれもやはり空しい。
>ヒッチコックこそ映画だ
その通りでしょう。他のタイプを排他しなければ、その措辞も大いにOKではないですか。
「バーバー吉野」「恋は五・七・五!」から一皮剥けたに同感です。
急に洗練されたというか、すごく良かったと思います。
見終えたときの満足感があったというか。
オカピーさんの感想と記事に付いてるコメントも、
とても深く掘り下げてあって興味深く読ませていただきました。
私には難しい部分も多かったのですが・・・^^;
またお邪魔させてください。
TBできないと不便です(泣)。
そうなんです、前の二作には不満が些かありましたが、今回はぐっと良くなりました。
途中からコメントが本作に関連なくなって、話がちょっと難しくなりましたが、映画仲間であれやこれや話すのは大変楽しいですね。ブログができて本当に良かったと思います。
また遊びに来てください。
>小津安二郎の孫
>カウリスマキ「浮き雲」姉妹編
私がこの映画をこんなにも好きなのは、こういう理由が隠されていたのですね。
とにかく雰囲気に酔ってしまった映画でした。
いやいや、良いんじゃないのでしょうか。
カカトさんは気張って<映画評>を書いているわけではないのですから。
自身の生活との比較で映画を観るのも重要なことです^^)v
小津と黒澤と溝口では、誰が一番世界の映画人に影響があったか。目に触れる作品の数だけで判断すれば小津ですね。
お膝元の日本では、それこそ毎年何本で観られますし、“継承者”は何人も出てきます。竹中直人もその一人ではないかと思っています。
カウリスマキの中でも「浮き雲」は小津スタイルを最も踏襲した作品ではないでしょうか。素晴らしい作品でした。
美味しいコーヒーを出す店でゆったりとした時間を過ごしたい。私にそんな気分にさせてくれる映画だったというくらいでしか表現できない(涙
書くということは難しいです。
どちらかと言えば、書きにくいタイプの作品ではありますね。
私なんかは過去見た作品との比較などして色々と書いていますが、思ったままを綴れば良いでしょう。^^
私みたいに【映画評】を標榜して偉そうなことを言うと、段々責任が重くなってきます。
片桐はいりは躁鬱症ではないでしょうかね。
で、たぶん小林聡美も、日本では父をなくし、相当な閉じこもりの時期をすごしたんじゃないかな、と勝手に想像しました。
>もたいまさこ
あははは。わざとぼかしておいたのに(笑)。
>片桐はいり
まあそんなところでしょうかねえ。
>小林聡美
過去に問題があるのは間違いないところですね。
外国に居場所を求めるというのがそもそも【訳あり】、それでいて自然体である、というのがポスト・フェミニズム、と言っては言いすぎですか。