映画評「邂逅(めぐりあい)」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1939年アメリカ映画 監督レオ・マッケリー
ネタバレあり
ウォーレン・ビーティとアネット・ベニング共演の「めぐり逢い」は57年の同名映画のリメイクとして紹介されることが多いが、57年作自体が本作のリメイクなので、できればこちら39年作のリメイクと紹介して欲しい。本作の方が57年作よりメロドラマとして芯があり、上手いからである。監督はどちらもレオ・マッケリー。
また、トム・ハンクスとメグ・ライアン共演の「めぐり逢えたら」は本作の設定を流用した佳作であります。
婚約者に会いに行くプレイボーイとして有名なフランス人シャルル・ボワイエが欧州からニューヨークに向う豪華船に乗り、アメリカ人女性歌手アイリーン・ダンと知り合い、アフリカ沖にあるマデイラ島に住む祖母に二人して会いに行った時に情を深めて行く。
中盤の核を成すこのシークェンスでは祖母のピアノに合せて歌を歌う場面にしっとりしたムードがあり、祖母のショールも終盤を盛り上げる布石となる。
二人は過去を清算し半年の猶予期間の後にエンパイア・ステート・ビルの展望台で再会することにするが、当日彼女が自動車にはねられて行けなくなってしまう。それを知らない彼は失意のうちに帰国を決意、出発の日であるクリスマス・イヴの夜に彼女の部屋を探し当て会いに来る。
この幕切れが圧倒的に素晴らしい。
雪降りしきる中ボワイエとしては半ば当てこすりにやって来たのだが、やがて彼が売った特別の絵が彼女の部屋にあるのを見て事情を察するのである。彼女の事情は本人と観客しか知らないわけで、これがドラマとしてのサスペンスを強烈に呼び起こす。
この映画が最初というわけでもないだろうが、本作の大成功に倣って交通事故で会えなくなるというパターンは未だに(特に韓国映画で)使いまくられている。しかし、昨今の作品はどこかに現実的な扱いを加え、メロドラマ的なムードを壊してしまうので、こうしたすれ違いが馬鹿らしく感じられがちになる。中途半端なのである。
今時こういう作品を楽しめる人は少ないとは思うが、純然たるメロドラマがお好きな方にはお薦めしたい秀作。
1939年アメリカ映画 監督レオ・マッケリー
ネタバレあり
ウォーレン・ビーティとアネット・ベニング共演の「めぐり逢い」は57年の同名映画のリメイクとして紹介されることが多いが、57年作自体が本作のリメイクなので、できればこちら39年作のリメイクと紹介して欲しい。本作の方が57年作よりメロドラマとして芯があり、上手いからである。監督はどちらもレオ・マッケリー。
また、トム・ハンクスとメグ・ライアン共演の「めぐり逢えたら」は本作の設定を流用した佳作であります。
婚約者に会いに行くプレイボーイとして有名なフランス人シャルル・ボワイエが欧州からニューヨークに向う豪華船に乗り、アメリカ人女性歌手アイリーン・ダンと知り合い、アフリカ沖にあるマデイラ島に住む祖母に二人して会いに行った時に情を深めて行く。
中盤の核を成すこのシークェンスでは祖母のピアノに合せて歌を歌う場面にしっとりしたムードがあり、祖母のショールも終盤を盛り上げる布石となる。
二人は過去を清算し半年の猶予期間の後にエンパイア・ステート・ビルの展望台で再会することにするが、当日彼女が自動車にはねられて行けなくなってしまう。それを知らない彼は失意のうちに帰国を決意、出発の日であるクリスマス・イヴの夜に彼女の部屋を探し当て会いに来る。
この幕切れが圧倒的に素晴らしい。
雪降りしきる中ボワイエとしては半ば当てこすりにやって来たのだが、やがて彼が売った特別の絵が彼女の部屋にあるのを見て事情を察するのである。彼女の事情は本人と観客しか知らないわけで、これがドラマとしてのサスペンスを強烈に呼び起こす。
この映画が最初というわけでもないだろうが、本作の大成功に倣って交通事故で会えなくなるというパターンは未だに(特に韓国映画で)使いまくられている。しかし、昨今の作品はどこかに現実的な扱いを加え、メロドラマ的なムードを壊してしまうので、こうしたすれ違いが馬鹿らしく感じられがちになる。中途半端なのである。
今時こういう作品を楽しめる人は少ないとは思うが、純然たるメロドラマがお好きな方にはお薦めしたい秀作。
この記事へのコメント
57年版のほうは昔に観たのでむしろ大分忘れておりますが、物語はほぼ同じですね。チャンスがあったらもっと精密に見比べて見ます。
>トリュフォー
そうですか。それは嬉しいお話ですね♪
「緑色の部屋」はヘンリー・ジェームズの映画化ですが、地味な作品でした。一方「黒衣の花嫁」はヒッチコックへのオマージュに満ちた傑作スリラー。これはなかなか好きなんです。「水の話」はオムニバスですが、私も未見です。
気が向いたらどの作品と言わず、コメントください。
それでは。