映画評「ナイトウォッチ/NOCHINOI DOZOR」
☆☆★(5点/10点満点中)
2004年ロシア映画 監督ティムール・ベクマンベトフ
ネタバレあり
棺桶に足を突っ込むのはまだ多少間があるとしても余生が大分短くなってきた人間には、こういうファンタジーは余り楽しめない。理由は述べるまでもないだろう。
長い間光の戦士と闇の戦士が闘いを繰り広げていたが、約1000年前に互いの異種(超能力者と言ったところ)を互いに見守りましょうという協定が出来る。これがプロローグ。戦士は人間でなく、異種は人間であると理解したほうが良いようだ。
人類の歴史は有史に限っても5000年前に遡れるのに何故1000年前から始まるのか推測すれば、ロシアの元になったキエフ公国がキリスト教(ギリシャ正教)を受け入れたのが約1000年前だからであろう。
1992年、妻の腹の中にいる子供を殺して欲しいと闇の異種に依頼した青年アントン(コンスタンティン・ハベンスキー)が自ら異種と判明、光の側に付き、さらに12年後、生き延びた少年イゴール(ディマ・マルティノフ)にも異種の力をあることに気付いて、闇の異種から守るべく少年に接近する。その間に、闇側に組みするという<災いを招く乙女>のエピソードが絡んで来る。
と、書くと明快に思えるだろうが、実際には、原作者でもあるセルゲイ・ルキャネンコが監督のティムール・ベクマンベトフと共同で行った脚本(脚色)が整理不足、ごちゃごちゃしていてかなり解りにくい。こういう話に興味がある若い方ならそう感じないかもしれないが、固有名詞を憶えるのが難儀になりつつあるおじさんにはかなりきついのである。
ロシア映画らしさが殆ど感じられないのも映画ファンとしてつまらない。CGは製作国の個性を奪い、味も素っ気もない作品を増やす。
一人も尋常な人間が出てこないのも困りますな。本来、映画や文学は鑑賞者を人間に触れさせるものである。しかし、昨今はその原則を無視、つまり、映画をゲームと同一線上に置く作者が増えつつある。
2004年ロシア映画 監督ティムール・ベクマンベトフ
ネタバレあり
棺桶に足を突っ込むのはまだ多少間があるとしても余生が大分短くなってきた人間には、こういうファンタジーは余り楽しめない。理由は述べるまでもないだろう。
長い間光の戦士と闇の戦士が闘いを繰り広げていたが、約1000年前に互いの異種(超能力者と言ったところ)を互いに見守りましょうという協定が出来る。これがプロローグ。戦士は人間でなく、異種は人間であると理解したほうが良いようだ。
人類の歴史は有史に限っても5000年前に遡れるのに何故1000年前から始まるのか推測すれば、ロシアの元になったキエフ公国がキリスト教(ギリシャ正教)を受け入れたのが約1000年前だからであろう。
1992年、妻の腹の中にいる子供を殺して欲しいと闇の異種に依頼した青年アントン(コンスタンティン・ハベンスキー)が自ら異種と判明、光の側に付き、さらに12年後、生き延びた少年イゴール(ディマ・マルティノフ)にも異種の力をあることに気付いて、闇の異種から守るべく少年に接近する。その間に、闇側に組みするという<災いを招く乙女>のエピソードが絡んで来る。
と、書くと明快に思えるだろうが、実際には、原作者でもあるセルゲイ・ルキャネンコが監督のティムール・ベクマンベトフと共同で行った脚本(脚色)が整理不足、ごちゃごちゃしていてかなり解りにくい。こういう話に興味がある若い方ならそう感じないかもしれないが、固有名詞を憶えるのが難儀になりつつあるおじさんにはかなりきついのである。
ロシア映画らしさが殆ど感じられないのも映画ファンとしてつまらない。CGは製作国の個性を奪い、味も素っ気もない作品を増やす。
一人も尋常な人間が出てこないのも困りますな。本来、映画や文学は鑑賞者を人間に触れさせるものである。しかし、昨今はその原則を無視、つまり、映画をゲームと同一線上に置く作者が増えつつある。
この記事へのコメント
私も早速リンクに登録致しました。
2年ほど前に始めた頃は私もTBもできずにうろうろしましたよ。寧ろリンクのほうが簡単でした。
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