映画評「ワイルド・バンチ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1969年アメリカ映画 監督サム・ペキンパー
ネタバレあり
サム・ペキンパーを愛する人は多く本作「ワイルド・バンチ」をベスト1に推すと思う。僕はスローモーションが余り好きではないし、ペキンパーに特にシンパシーを覚える方ではないので、ベスト1はジョン・フォード的な「ジュニア・ボナー」にしている。
1913年、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ベン・ジョンスン、ウォーレン・オーツからなる強盗団が元の仲間ロバート・ライアンが指導する賞金稼ぎに追われ、パンチョ・ヴィラの革命軍が暴れているメキシコに逃げる。
山賊同様の政府軍の将軍に気に入られた彼らは、依頼された米国軍武器弾薬輸送列車の襲撃を見事に実行するが、仲間に入れたメキシコ人を殺されたのが気に入らず、200人もの政府軍に4人で殴り込みをかける。
正確な記憶はないが、本作がペキンパーがスローモーションを駆使した最初の作品になるかと思う。スローの何が問題なのかと言えば、弱小映画に便利な手段、即ち一つは時間稼ぎとして、一つはアクション実技や実写の弱さを補う方法として使われることが多いことだが、本作のスローはB級映画とは全く違う。
例えば、馬に乗ったメキシコ人が倒される場面では客観ショットをスローで扱い、その間にノーマルスピードの主観ショットを挟んでいるが、時間稼ぎのB級映画ではこういうショットの組合せはまず見られない。下記に図示する。
客観ショット・スロー
↓
主観ショット・ノーマルスピード
↓
客観ショット・スロー
↓
主観ショット・ノーマルスピード
序盤と終盤の大々的な銃撃場面でもスローとノーマルを自在に組み合せて、凡百の監督とは違うことを示す。
SFX、CG、スローといった技法はコントラストとして使うべきであり、近年の作品のようにのべつ幕なく使えばそれがノーマルになって真の効果を発揮できないことは改めて指摘するまでもない。
さて、内容であるが、その暴力性と山賊もどきとの戦いによりマカロニ・ウェスタンとの類似性を指摘されてきた。しかし、本作は自動車が普及し、飛行機も飛ぶようになった1913年という開拓時代の残照期を時代背景としていて、ペキンパーとしては西部劇というジャンルの終焉を謳っているように思われる。スローで捉えられた無法者の倒れる姿に消えていく時代への哀傷を感じたのは僕だけではあるまい。
単独の映画としては、子供がサソリを焼き殺す序盤など思わせぶりでドラマ展開がルースな部分が散見されるのが些か気になる。
ペキンパーの 嘆き聞こゆる 無法者 消えて西部は 遠くなりにけり
1969年アメリカ映画 監督サム・ペキンパー
ネタバレあり
サム・ペキンパーを愛する人は多く本作「ワイルド・バンチ」をベスト1に推すと思う。僕はスローモーションが余り好きではないし、ペキンパーに特にシンパシーを覚える方ではないので、ベスト1はジョン・フォード的な「ジュニア・ボナー」にしている。
1913年、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ベン・ジョンスン、ウォーレン・オーツからなる強盗団が元の仲間ロバート・ライアンが指導する賞金稼ぎに追われ、パンチョ・ヴィラの革命軍が暴れているメキシコに逃げる。
山賊同様の政府軍の将軍に気に入られた彼らは、依頼された米国軍武器弾薬輸送列車の襲撃を見事に実行するが、仲間に入れたメキシコ人を殺されたのが気に入らず、200人もの政府軍に4人で殴り込みをかける。
正確な記憶はないが、本作がペキンパーがスローモーションを駆使した最初の作品になるかと思う。スローの何が問題なのかと言えば、弱小映画に便利な手段、即ち一つは時間稼ぎとして、一つはアクション実技や実写の弱さを補う方法として使われることが多いことだが、本作のスローはB級映画とは全く違う。
例えば、馬に乗ったメキシコ人が倒される場面では客観ショットをスローで扱い、その間にノーマルスピードの主観ショットを挟んでいるが、時間稼ぎのB級映画ではこういうショットの組合せはまず見られない。下記に図示する。
客観ショット・スロー
↓
主観ショット・ノーマルスピード
↓
客観ショット・スロー
↓
主観ショット・ノーマルスピード
序盤と終盤の大々的な銃撃場面でもスローとノーマルを自在に組み合せて、凡百の監督とは違うことを示す。
SFX、CG、スローといった技法はコントラストとして使うべきであり、近年の作品のようにのべつ幕なく使えばそれがノーマルになって真の効果を発揮できないことは改めて指摘するまでもない。
さて、内容であるが、その暴力性と山賊もどきとの戦いによりマカロニ・ウェスタンとの類似性を指摘されてきた。しかし、本作は自動車が普及し、飛行機も飛ぶようになった1913年という開拓時代の残照期を時代背景としていて、ペキンパーとしては西部劇というジャンルの終焉を謳っているように思われる。スローで捉えられた無法者の倒れる姿に消えていく時代への哀傷を感じたのは僕だけではあるまい。
単独の映画としては、子供がサソリを焼き殺す序盤など思わせぶりでドラマ展開がルースな部分が散見されるのが些か気になる。
ペキンパーの 嘆き聞こゆる 無法者 消えて西部は 遠くなりにけり
この記事へのコメント
私もちかく「ワイルド・バンチ」を鑑賞し直そうと思っていたところです(さてさて、いつになることやら・・・)。
生意気をいいますが、ハイスピードの画があまり好きではないプロフェッサーですが、さすがに冷静に評価されてますね。私も詳細は覚えていないのですが、
>本作のスローはB級映画とは全く違う。
このあとの解説など正におっしゃるとおりだと思います。決して時間かせぎや画を補う手法でなく、さすがペキンパー、非常に効果的な使い方をしていると思います。
でも大変失礼ながらプロフェッサーのこの記事で私は「ジュニア・ボナー」をペキンパーのベスト1にしているとの一文がとても嬉しかったです。
では、また。
スローモーション(ハイスピード撮影)が好きではないことは確かですが、正しい目的で正しく工夫のある使い方なら勿論OK。それはSFXもCG(VFX)も同じです。私は使い手の資質の問題だと思っております。その辺を今回は明確にしてみました。
今回見直してみて、ノーマルスピードとの間でかなり複雑な組合せをしているのに驚きましたね。特に写真までつけたあの場面は他に殆ど記憶がないです。
「ジュニア・ボナー」は喧嘩の場面などにジョン・フォード的な懐かしき香りがあり、かつ、人情味に溢れて大好きなのでありました。
「サムを愛する人」代表として、少し語らせてください^^
本作がスローモーションを駆使したペキンパー最初の作品というご指摘はその通りです。彼にとってのスローモーションは「水面に落ちる一滴の雨」だと私は考えています。
ノーマル撮影では単なる雨筋でしかありませんが、ハイスピード撮影では滴が水面に落ちた瞬間、美しい水の王冠が弾ける様子が見えますよね。ペキンパーはその王冠を撮影して見せたかったのだと思います。
飛び散る血しぶき、男の苦痛に歪んだ表情、大地に倒れ舞い上がる砂煙・・・ノーマルスピードでは一瞬の出来事も、スローなら複合的な情報として映像にダイナミズムが生まれます。スローで崩れ落ちる男の姿がダンスを踊るように優雅で美しいことから「死のバレエ」と称されたのも、私には納得なのであります。
ところが、この撮影法がペキンパー・タッチと評判を呼び、彼自身も本作の成功に味をしめたのか、その後はスローを過剰使用した作品もあり、私でさえ感心しないものも中にはございます^^;
「西部開拓時代の残照期に、西部劇の終焉を重ねて謳っている」のご指摘はまさにその通り。
本作の白眉は、ラストの銃撃戦ではありません。
例えば老ガンマン・パイクが馬のアブミを踏み外した後、よろける体を馬に運ばせ去っていく。その背中を長回しで追う「老いの哀しみ」。
あるいは、美しいメキシコの村を去る男たちの行列は「葬列」にも似て、ワインを全身に浴びるゴーチ兄弟の生き生きとした姿は、後に血まみれで倒れる「壮絶な死の予感」を浮かび上がらせます。そうした「終焉の美学」にこそ、ペキンパー・ファンは胸熱くするのです。
また蛇足ながら、冒頭のシークエンスですが、猛毒を持ったサソリはガンマンとしてしか生きられぬ者たち、群がるアリはメキシコ軍、それを無邪気に焼き払う子供の姿は、来るべき新しい時代、つまりアメリカ合衆国という近代国家の影をシンボライズしています。
本作はそうした暗喩が多様されているのも特徴で、「原罪をいかにして償うか」という宗教的なテーマはギドクの「サマリア」と驚くほど似ていることも指摘させてください。
ジャンルに奉仕することを嫌ったペキンパーですが、彼ほどに西部の男たちにシンパシーを感じていた人もいなかったのではないか・・・という気もします。
ちなみに本作は、私のアメリカ映画ベスト・ピクチャであります。
詳説、有難うございます。
本作を愛する人の気持ちもよく解っているつもりですが、私の好みと合わない部分もあるので、評価は中の上の上くらいです。すみません。
例えば、例のサソリの部分ですが、勿論暗喩であることはすぐに解りますが、それに道徳家の演説を並行して語り、来る嵐の予兆を匂わせる。私には思わせぶりすぎるんですね。これは好みだから、自分でもしようがないなあと思います。恐らくは<西部劇>という固定観念が入りすぎているんでしょう^^;)
「サマリア」にはそういう固定観念の入る余地がないので、多少評価が上がっているのだと自己分析致します(笑)。
「荒野のガンマン」「昼下りの決斗」「ダンディー少佐」「砂漠の流れ者」「ワイルド・バンチ」・・・彼の西部劇の遍歴を見ますと、腕前を着実に上げてきたのが判ります。この順番でまた見直してみたいものですね。
それから今回のWOWOW放映版は画質・画調が大変宜しかったです。
長々と書いて本当にすいません。なにせ、三度の飯よりペキンパーが好きなもので(笑)
「荒野のガンマン」は撮らされ作品といった感が色濃く、かなり拙いフィルムですが、それ以外はそれぞれに味があると思います。
「昼下りの決斗」で、なぜだかフェリーニへのオマージュと思われる酒場のシーンがあったり、「砂漠の流れ者」では復讐劇のセオリーを覆し、西部劇の終焉を皮肉で牧歌的な形で締めくくっております。ペキンパー自身は「砂漠の流れ者」が一番のお気に入りだったとか。
「ワイルドバンチ」が最後の西部劇というのが通説ですが、製作順は「砂漠の流れ者」が後になります。
ちなみに私は、本作と「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」を最上位の作品と評価しております。「ビリー・・・」はより賛否両論に分かれる作品だと思いますが^^;
TBを持参いたしました。
いつか、ペキンパーは全作レビューをものしたいと思っております。
「荒野のガンマン」以外は随分昔観ただけですので大分忘れましたが、「砂漠の流れ者」は「ワイルドバンチ」と関連付けられる作品でしたよね。一時期、ジェースン・ロバーズはご贔屓でした。「ジュリア」のダシール・ハメット役など痺れました。
ビリー・ザ・キッドものでは、アーサー・ペンの「左ききの拳銃」などというのもありましたが、ペキンパー版が一番ですかね。しかし、こちらも若い時代に観ただけなのでそう深い印象がありません。そろそろ見直す時期ですかな。
「昼下りの決斗」はアメリカで絶賛されたのですが、日本では篤志家以外には無視され、ずっと後になり再評価された形ですね。私は四半世紀くらい前に観ましたが、いつものランドルフ・スコットだったなあ(笑)。
フェリーニへのオマージュですか。それは是非確認したいところだにゃん。
フェリーニと言えば、監督作をブログ開設以来一本も扱っていないことに気付きました。全部観ているのに。とほほ。
プロ野球シーズン開幕で、映画鑑賞より野球優先なこの頃であります^^;
私もジェースン・ロバーズが大好きでして、「ジュリア」でのハメットは本当に良かったですよね!
でも、私は何せ西部劇ファンなので「ウエスタン」でのブロンソンとの共演も忘れられません。「砂漠の流れ者」では復讐相手に遺産を託し、自動車の下敷きになって死んでいく西部の男を熱演しています。
「左ききの拳銃」は、いかにもアーサー・ペンらしいニヒリスティックな青春西部劇になっていますが、習作といった感は否めず。後にこの作品がモチーフとなってペキンパーの「ビリー・ザ・キッド・・・」が作られたと言って間違いないと思います。私は「ビリー・・・」を観る度に、なぜか「木枯らし紋二郎」を思い出します^^;
不出来な「荒野のガンマン」を別にすれば、「昼下りの決斗」が最もオーソドックスな西部劇の文法にのっとって作られた作品で、ペキンパー嫌いな王道西部劇ファンは、これを褒める場合が多いよう^^;
ランドルフ・スコットは、まさにいつも通り(笑)
ただし、本作が最後の映画出演。文字を読むのに老眼鏡をかけなければならない老ガンマンと往年の西部劇スターの姿を重ね合わせ、さらに西部の時代の終わり、西部劇というジャンルの終焉を何重にもダブらせたペキンパーの演出が冴えております。
また、後の「わらの犬」でのモチーフがそのまま内包されているのですが、あまり語られることがないようです。
私も自称フェリーニ信者であるのに、ブログでは取り上げておりません^^;
本当に好きな監督は、後々の楽しみにしようかとも(笑)
私も野球ファンですから、3月4月は特に忙しい。高校野球もかかさずに観ますし、最近は大リーグ中継もありますし、勿論日本のプロ野球も。そのうち有料放送でしか観られない時代がくるかなあ。15キロ四方に映画館のないこんな山奥では、実際に野球を観戦するのも夢の夢。東京で暮していた頃日本ハムに移籍した江夏がじかに観られたのが財産かな。
>ジュリア
1979年前後、淀川先生主催の「映画友の会」東京支部に参加したことがあり、その時最近気に入った役者の演技というお題で各人発表することになった時のこと、私は「『ジュリア』のジェースン・ロバーズ」と心に決めたのですが、その前に数名上げられる方がいたので、「ファミリー・プロット」のブルース・ダーンに急遽変えました。恐らくその辺りを指して、「変わった趣味の人もいるね」と先生が総評したのが印象に残っています。
おっと、今日は思い出話になってしまいましたね(苦笑)。
(続く)
TV「水戸黄門」並みの勧善懲悪西部劇みたいなもんでしたが、何だかんだ言いながらよく観ました。それに比べれば、ペキンパーの西部劇はインテリ向きですよ(笑)。
「昼下りの決斗」と似た趣向では「ラスト・シューティスト」に涙を禁じえなかった私です。正にデューク死して西部劇死すと思いましたねえ。
>わらの犬
あれから三十○年の年月が流れ、ホフマンは老け、スーザン・ジョージは完全に銀幕から消えました。公開時は相当話題を呼んだ記憶がありますが、「時計じかけのオレンジ」の暴力性が批判を浴びた時代(1972年)ですよね。方や再三語られ、方や忘れ去られようとしている。当時「わらの犬」のほうが実は良い<娯楽映画>ではないかとすら思ったのですが。
私は江夏・田淵の時代にタイガース・ファンになったもので、この「黄金バッテリー」への思い入れは特別なものがあります。田淵は球場で現役の勇姿を見ていますが、江夏には間に合いませんでした。江夏がタイガースを追い出された時の新聞の切り抜きが、今も実家にあるはずです。「ナポレオン」を見たと自慢話をしましたが、江夏の方がずっと羨ましいです^^;
それに、淀川先生の「映画友の会」参加は、もっと自慢吹聴してください。「僕は双葉・淀川、両先生の直系の弟子だ!」と(笑)
私が思い出すのは・・・10代の頃に大島渚監督と束の間、お話させていただいたこと。「大島渚特集」で劇場挨拶された監督と飲み屋で出逢い、「今日、監督の映画観ました!」と声をかけましたら「おおっ! 君のような若者にボクの映画を観て欲しいんだなぁ!」と感激くださり、瞳をウルウルさせて握手してくれたのでした。
ってペキンパーの話題が・・・
「わらの犬」は必見! ってことで一応、コメントを締めさせていただきます^^;
<ハンカチ王子>ブームで、昨今ひどく冷たい扱いを受けていた大学野球放送がBSとは言え、久しぶりに始まりましたねえ。東大相手とは言え、今日の結果を見ると大した新人です。今のまま成長すれば、プロ野球各チームの垂涎の的となるでしょう。
>双葉・淀川両先生
お二人は双葉先生が一つ年下の朋友の間柄。但し、映画に対する考え方は大分違うところがあり、どちらを選んだものか難しい。淀川先生は「一つの映画を何回も観て、映画と格闘しなさい」と主張し、双葉先生は「同じ映画を観る位なら、他の映画を観たほうが良い」と仰り、同じ映画を何度も観ないそうです。直感を大事にするのだとか。勿論双葉先生は他人に自身の考えを押し付けることは殆どしないのですが、結果的に双葉流に近くなっております。
私は監督と話したことはないんですよ。大島さんはいかにも激情タイプですから、その場面が想像できるようですねえ。良いなあ!
3年前ですか、熱いコメント話が展開していたのですね。
以前から、なんだか好きな映画です。渋くて、若くなくて、でも多分それゆえに、かっこいい。
西部劇の歴史やらペキンパーにも詳しくはないですが、映画として面白いですよね。
>熱いコメント
優一郎さんはペキンパーのファンで、僕の映画評を高く評価してくれていた(お世辞の部分もあるでしょうが)ので、盛り上がりましたね。
しかし、この数カ月自身のブログも何故かストップしてしまって、それ以来音信不通になり非常に大ショックを受けたものです。
1967年にニューシネマが始まり、68年は一番映画が変わった年と言われますが、そうした時代に作られたリアリズム西部劇。スタイリッシュでファンの多い作品ですね。^^
オカピーさんのおっしゃるように、西部劇への鎮魂歌の趣がありました。映画の中で男が無邪気にいいかっこができた時代の葬送曲のようにも見えました。
暴力描写のえげつなさは、日本だと「仁義なき戦い」のような実録ものヤクザ映画、またオカピーさんの指摘しているマカロニウエスタンを思い出させますし、女や子供までが反撃してくるあたりは、ベトナム戦争のエコーも感じます。
でも、西部劇はやっぱりいいなあ、とも思いましたね。
レスするのが遅れました。申し訳ありません。<(_ _)>
1960年代終りというのは、アメリカ映画史上でも1920年末のトーキー化にも匹敵しようかという変革が行われた時代と思います。
先の時代が技術革新なら60年代末は映画観の革新でしたが、結局アメリカ映画に引きずられる形で世界中の映画が変わりましたね。
尤も、恐らく大映時代劇がマカロニ・ウェスタンに影響を与え、マカロニが本場西部劇や日本の時代劇に逆輸入される・・・といった形で映画界のグローバル化が進むのもこの時代。
ベトナム戦争がアメリカ映画の作り方、内容への変化に影響を与えたのも間違いないところで、古き良き時代のアメリカ映画が抑え込むには、現実がベトナム戦争、公民権運動を抱えて飽和しすぎてしまい、変わらざるを得なかったのでしょう。
当時“新しい”とされた映画であっても、「ワイルド・バンチ」はそれ以前の西部劇ファンをも熱くするものがありましたね。
子供の頃にテレビで、この映画を見ました。
エンジェルが馬に引きずられる酷いリンチを受ける。そして将軍に喉を切られて惨殺されるトラウマになりました・・・。
数年前に見た時は別の感想を持ちましたが
>I'm so tired とか Sexy Sadie
ジョンが、まさに疲れて人間不信・・・。
>葉加瀬太郎
朝の連ドラ「てっぱん」のテーマが良かったです
>やはり文学畑の人間
文学部のオカピー教授ですね。
>子供の頃
映画を観始めたローティーンの頃、作られて大して経っていないのに既に伝説的な作品になっていて、観たいなあと思いましたが、実際に見たのはそれから何年も経ってから。
当時映画館以外では唯一の鑑賞手段である地上波放映でした。実際に観たらさほどでもなかった気がしましたが、当時の鑑賞力では当てになりません。今の若い人が「パルプ・フィクション」を観る感じなんでしょうね。
>I'm so tired
勉強不足で、
Curse Sir Walter Raleigh
の意味が当初、解らなかったのですが、映画「エリザベス」を見て一気に解りました。
ウォルター・ラリー(ローリー)卿は煙草を英国にもたらした人で、いらいらして煙草をぷかぷか吸っていたジョンが「こんなもの持ってきやがって」という意味合いで言ったようですね。
>>葉加瀬太郎
全員がクラシック畑、19世紀若しくはそれ以前の人の中で、ビートルズ。嬉しかったなあ。評価は音楽以外のところが多かったですけど、「世界を変えた音楽家」という選択基準なので、まあしようがない^^;
>朝の連ドラ「てっぱん」
父親が入院と入所を繰り返している時期につき、母親と二人で観ていました。
そして番組を見終えるのを待っていたかのように、その終了翌日に母親が発症、たった八日後に亡くなりました。
良い思い出でもあり、(自責の念が強いので)苦い思い出でもあり、食事をしながら「てっぱん」を見ていた情景は忘れられません。
この映画のラスト。男達が笑う場面を一人一人映す(笑い声も日本語版)。今でも思い出します。
>ジョンが「こんなもの持ってきやがって」
「ローリーのお陰でニコチン中毒になったじゃねえか」って感じですか?
>「世界を変えた音楽家」という選択基準
まあ、しょうがないでしょう。
>その終了翌日に母親が発症、たった八日後に亡くなりました。
本当に悲しいです
閑話休題。
ロジャー・ムーアさん、長い間お疲れ様でした・・・
「黄金銃を持つ男」が僕は一番好きです
>この映画のラスト
人それぞれにそれぞれの思いである。良いですね。
>「ローリーのお陰でニコチン中毒になったじゃねえか」って感じですか?
僕の勝手な推測ですが、そう読めます。
続けて「とんでもない馬鹿野郎だった」と言っています。「馬鹿なことをしやがって」ということですよね。
>本当に悲しいです
有難うございます。
ジョン風に言えば、I was such a stupid get.
>ロジャー・ムーア
多分最年長の007でしょう。
ショーン・コネリーから観始めたので、ジェームズ・ボンドはコネリーなんですけどね。
>「黄金銃を持つ男」
僕は色々な要素を詰め込んだ「私を愛したスパイ」が好きで、これと「死ぬのは奴らだ」だけ二回観ています。
チャンスがあったら再鑑賞してみましょう。主題歌はルルでしたよね。
そうです。パワフルな歌です
そして映画はエキゾチックな面白さがあります。有名な(?)空手道場の場面もあるし
>「馬鹿なことをしやがって」ということですよね。
ジョン・レノンらしいです
>ウォーレン・オーツ
ペキンパー作品によく出ますね。大スターではなく、中スターぐらいですが、いい味出しています割と早く亡くなったのが残念です・・・
>エンジェル
演じたジェイミー・サンチェスはそれほど有名な役者さんではないですが、「セルピコ」で警官役で出ていますね。
現在78歳。まだ健在です
>ルル
と言えば、僕は「シャウト」が真っ先に思い浮かべます。
彼女より前に、アマチュア時代のビートルズもカバーしていましたよね。
>ウォーレン・オーツ
中スター・・・その通りだと思います。
しかし、ひげのない若い時の彼を見ますと、恐ろしく貧相なんです。
やはりひげがあってこそのオーツであります。
意外な人が意外に早く亡くなりますね。
>ジェイミー・サンチェス
すみません。余り記憶に残っていません。
「セルピコ」ではクレジットに乗らず。クレジットになくとも網羅されているのがIMDbの凄いところ。日本の映画サイトにこんなに徹底したところはありません。
蟷螂の斧さん、マニアックですよ(@_@)
>と言えば、僕は「シャウト」
何と今youtubeで見ました。
ビートルズも歌いました。教えて下さってありがとうございます
>ひげのない若い時の彼を見ますと、恐ろしく貧相なんです。
僕はむしろこの頃の彼はイケメンでエリック・クラプトンに似てると思いました。
>意外な人が意外に早く亡くなりますね。
「ゲッタウェイ」の悪役とか。
>蟷螂の斧さん、マニアックですよ
オタクですから
>子供がサソリを焼き殺す序盤
これも気になりますね。
>ルル
ルルの「シャウト」は英国ポップス史を語る時に結構重要なカバーだったと思います。多分彼女の出世作でしょう。
オリジナルはアメリカのアイズリー(アイズレー)・ブラザーズ。
多分ルルは、モンキーズがビートルズの米国版として作られたのと逆に、ブレンダ・リーの英国版としてデビューしたのではないか、と「シャウト」を聴くと思います。僕の勝手な推測で、当たっていたら、何か貰いたいです(笑)
>エリック・クラプトンに似てる
なるほど。しかし、僕は髭ありが好きです(笑)
何と、この映画でもまだ髭なしでしたか。
それは失礼しました。
>オタクですから
一応褒めたつもりです^^
僕はオタクを評価しているのですよ。オタクが暗いというのは誤解で、明るい人が大変多い。僕自身、誰も読まない大昔の本を読む変わり者。
>>子供がサソリを焼き殺す序盤
「砂漠の流れ者」でも冒頭にサソリのアップが出てきました。「またやっとる」と思いましたよ(笑)
すみませんその後Google画像検索したら髭ありでした失礼しました。
>アメリカのアイズリー(アイズレー)・ブラザーズ。
ビートルズも他のアーティストも多大な影響を受けています
>一応褒めたつもりです^^
>僕はオタクを評価しているのですよ。
ありがとうございます
>「砂漠の流れ者」でも冒頭にサソリのアップ
監督の好みでしょうか?
>ロバート・ライアン
この映画では生き残りますが、私生活では愛妻の後を追うように死去(この映画の4年後)。
「ダラスの熱い日」にも出ていました。
>髭ありでした
余り当てにならない僕の映像記憶も、たまには当たりますか(笑)
>アイズリー・ブラザーズ
「ツイスト・アンド・シャウト」もそうですよね。
>ロバート・ライアン
彼の死去のニュースは記憶しています。僕が憶えて何年も経っていなかったので、余計に印象に残っていたのでしょうね。
あれは音楽史に残る名曲です
>彼の死去のニュースは記憶しています
テレビですか?あるいは新聞。
名優ですね。
>余り当てにならない僕の映像記憶も、たまには当たりますか(笑)
僕なんぞ、もっと適当です
閑話休題。
長女が3年前から飼っていた猫が昨日失踪。たぶん戻って来ないでしょう。悲しいです・・・
>あれは音楽史に残る名曲です
そうですね。
ジョンのボーカルがまた圧巻。ジョンは他人の曲をいとも簡単に自分のものにしてしまう。
シュレルズの「ベイビー・イッツ・ユー」など、オリジナルはただの良い曲だけど、ビートルズ・バージョンはジョンの名唱をもって名曲となる。
>ロバート・ライアン
どちらかと言えば知る人ぞ知るバイプレーヤーだったので、テレビはなかったですね。新聞と雑誌です。
全く同じ頃「ピラミッド」「戦場にかける橋」「ベン・ハー」のジャック・ホーキンズも亡くなったのではないかな。
>長女が3年前から飼っていた猫が昨日失踪
うちでは・・・
東京での仕事を辞めて帰郷していた長女がいなくなりました。後で解ったことに、東京でまた仕事を探しているらしい。黙って出ていきやがって。
10年前彼女が「斎藤もすけ」と名付けた猫が家を飛び出ていなくなったまま帰らず。ブログで紹介した僅か半年後のことです。もう10年も経つのか。
先輩の猫タビは、今年の春に15歳で亡くなりました。
長生きだったんですね。悲しかった事でしょう
我が家の猫。帰って来ました。良かった・・・
>東京での仕事を辞めて帰郷していた長女がいなくなりました
僕はオカピー教授は独身かと思っていました。
奥様や子供さんの話を全くしないので。失礼しました
>黙って出ていきやがって。
お父さんとしては辛いでしょう。
>「ベイビー・イッツ・ユー」など、オリジナルはただの良い曲だけど、ビートルズ・バージョン
素晴らしいです勿論「ロックン・ロール・ミュージック」も
アメリカ式の発音だと「ラックン・ラアル」
「コンプリート・ビートルズ」で気付きました。
>長生き
でしたねえ。
良いものを食べて太っていて、晩年は人間でいう生活習慣病みたいになっていました。
死ぬのは、仕方がないですね。
それが嫌なので、新しい猫を飼う予定なし、です。
>我が家の猫。帰って来ました。良かった・・・
グッド・ニュースですね。良かった、良かった。
>独身かと
まあ、そういう風に見せていますから。
多分2006年頃、期間限定で娘とのツーショットを、たしかプロフィール欄に掲載したことがあります。顔がよく解らないように小さ目の画像にしましたが。
これをご存じなのは、常連のvivajijiさんくらい。
>お父さんとしては
生意気なんですよ。
猫が死んだ時には泣いたのに、母親(彼女にとっては祖母)が死んだ時は、涙を見せないので、「なんで泣かないんだ」と叱ってやりました。そしたら答えて曰く、「(猫が死んだ時は)ガキだった」と。
>「ロックン・ロール・ミュージック」
このジョンも良いですねえ。
ジョンのように歌える人は二人といない。
何年か前に「ローリング・ストーン」誌による企画(音楽評論家やアーティスト200人が選んだらしい)で歴代ボーカリスト第5位。個人的には1位ですけどね。
1位はアレサ・フランクリン、2位はレイ・チャールズ、3位エルヴィス・プレスリーだったと思います。
ポール・マッカートニーの11位は思ったより健闘。
同感です「スロー・ダウン」も素晴らしいです
>ポール・マッカートニーの11位は思ったより健闘。
あはは・・・ある評論家は彼が一番才能があるのはベーシストだと言ってました。
>「(猫が死んだ時は)ガキだった」と。
それも成長の過程?
>>独身かと
>まあ、そういう風に見せていますから。
たまに思いますね。「独身時代に戻りたい」と
>グッド・ニュースですね。良かった、良かった。
ありがとうございます
>それが嫌なので、新しい猫を飼う予定なし、です。
同じ事を仰る方が結構います。
>ポール・マッカートニー
個人的にはポールのボーカルも好きなんですが、専門家的にはどうかと思っていたものですから。
「ヘイ・ジュード」におけるバラードな部分と、エンディングのハード・ロックな部分との歌い分けなど、絶品だと思います。
>ベーシスト
66年~67年頃のベースラインが好きです。こういうのはそれ以前は殆どなかったと思います。
初期では「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」の速弾き的ベース。歌っているのだからあんな難しそうなベースにしなくても良いと思いますよ(笑)
>それも成長の過程?
どうですか(笑)
>ベスト1はジョン・フォード的な「ジュニア・ボナー」にしている。
一度見たいです。
>ブラウン管時代からというのであれば、フィルムの傷でしょう。
なるほど。
https://www.youtube.com/watch?v=O9xn12pggJY
「トムとジェリー」の中編「へんてこなオペラ」にもそういう場面がありました。1分07秒あたりからです。ウィキペディアにも書いてあります。
>24コマ/秒のフィルムはそのままでは30コマ/秒のTVでは流せないので、テレシネ化して流します。
これまた僕が全く知らない世界です。
>庶民一人一人にとってはずっと良い事ですよね
庶民の僕にとってはホッとする言葉です。
>日本の保守と見なされている人は、アメリカを天皇のように崇めていて、国連のリベラル派を敵視していますね。
日本人は崇める相手を探して生きていく民族なのでしょうか?
>インチキ保守が反米的なのは、日本国憲法だけでしょう。
日本国憲法にノーベル平和賞を与えるべきだと言う人もいました。
>「ダンディー少佐」
ブログを始めてからは観ていないですねえ。
ジェームズ・コバーンが好きなので、また観たいですね。
>>「ジュニア・ボナー」
>一度見たいです。
最近TVには出て来ないですねえ。
>「トムとジェリー」の中編「へんてこなオペラ」にもそういう場面
ほこりか傷かと思われたら、登場人物が取り上げるというのが面白いですね。
>日本人は崇める相手を探して生きていく民族なのでしょうか?
村社会と言うか、本当の個人主義がなかなかできない国民なのかもしれませんね。
>日本国憲法にノーベル平和賞を与えるべきだと言う人もいました。
いましたね。厳密には日本国憲法9条でしょう。
まあコスタリカの憲法も似ているので、同時に与えるべきでしょうね。
多分その心は、その権威によって、9条改定を阻止しようということなのかもしれまん。
>ジェームズ・コバーンが好きなので、また観たいですね。
「戦争のはらわた」好演でした。「黄金の指」(Harry in Your Pocket)の最後は哀しかったです・・・。
>ほこりか傷かと思われたら、登場人物が取り上げるというのが面白いですね。
優秀なスタッフが揃っていたのでしょう。
>本当の個人主義がなかなかできない国民なのかもしれませんね。
「お前は自分で考える力がない!」と僕が若い頃に上司や先輩に言われたのを思い出します。他人に考えてもらう、決めてもらうが楽ですから。
>厳密には日本国憲法9条でしょう。
そうでした(苦笑)。40年ぐらい前に竹村健一氏が「日本ほど平和な国はない。他にありまっかあ?感謝せなアカンでえ!」と言ってました。
>「レッドオクトーバーを追え!」
保存版を作ってありますが、なかなか観る順番が回ってきません。
そろそろ新しい映画をぐっと減らす時期に入っているかもしれませんねえ。
>「黄金の指」(Harry in Your Pocket)
この間「白い指の戯れ」というロマン・ポルノの映画評でこの映画に言及したばかりです。大昔に観たばかりで大方忘れてしまいました。
>40年ぐらい前に竹村健一氏が「日本ほど平和な国はない。他にありまっかあ?感謝せなアカンでえ!」と言ってました。
若い頃テレビにラジオによく出ていましたね。
湯川れい子が、ビートルズを騒がしいだけの音楽と思い込んでいた竹村氏に「エリナー・リグビー」が孤独な老人を扱った歌として紹介、ビートルズについて教示したと述べていたのを憶えています。