映画評「バベル」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2006年メキシコ=アメリカ=フランス映画 監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ネタバレあり
なかなか映画館に行けないのだが、周囲がかまびすしくなったので(笑)家族の協力を得て出かけることにした。
「アモーレス・ぺロス」で三つのエピソードを交差させ最後に関連づける手法が話題を呼んだ監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥと脚本ギジェルモ・アリアガのコンビ作第3弾。
モロッコの山岳地帯、父親からジャッカル狩りを託された兄弟の弟が試し撃ちと称して猟銃を観光バスに向けて発射する。それがぎくしゃくした関係を改善しようと同地を訪れたアメリカ人夫婦の妻ケイト・ブランシェットの肩を射抜き、重傷を負わせてしまう。夫ブラッド・ピットはガイドの力を借りて救助に東奔西走する。
夫婦が自宅に残した子供二人はメキシコ人乳母アドリアナ・バラーザに預けられている。彼女が二人を連れて息子の結婚式に出席する為に甥ガエル・ガルシア・ベルナルの運転する車で越境するが、帰る時執拗なチェックにいらついた甥が検問所を強行突破、子供と共に残された彼女は砂漠で一夜を過ごした挙句に誘拐容疑で逮捕されてしまう。
遠く離れた日本では母が銃で自らの命を奪って以来父・役所広司と不和に陥り、情緒不安定になった聾唖の高校生・菊地凛子が懸命にもがき、無軌道な行動に突破口を見出そうとする。
タイトルの元になった旧約聖書で有名な逸話<バベルの塔>は、一つの言葉を有していた人々が神の怒りに触れ、民族ごとに違う言葉を話すことになり混乱が生れる、という民族誕生の由来に関するもの。従い、人々が運命の渦に巻き込まれていく不思議を通して、完全なコミュニケーションが取れれば民族・国家間の悲劇は起るまいという作者の願いを具象化したものと理解して大方間違いない。
<事件>即ち銃がバラバラだった家族の絆を修復する模様には皮肉な色彩もあるが、これを言い出すと本稿のテーマが拡散しすぎて収拾がつかなくなるので、これ以上詳説はしない。
この監督&脚本コンビは複数のエピソードを並行して(時間は相前後し、時系列は挿話ごとに違う)描くという変化球で観客に言わば<カタルシス>を与え、話が本質的に持っている力以上のインパクトを与える方式に拘っている。
「アモーレス・ぺロス」はそれが大いに効果を発揮したが、続く「21グラム」は並行進行というより時系列操作に陥った印象ばかりが浮き上がり、映画を感動的にする効果は殆どなかった。理由は近接・隣接する人々を並行描写したからで、今回はスケールを三つの大陸に一気に広げてその弱点が回避できている反面、挿話同士の親和力は極めて弱い。
例えば、モロッコの親子とアメリカ人夫婦の関係が軸と考えた場合、メキシコでの結婚式の様子をあれほど詳しく描くのは不要と言わないまでも、描写のバランスを欠く。ただ、そこで乳母の甥がピストルを空に向けて撃ち子供が怯える場面を設定、銃(武器)が恐怖と悲劇の根源であることを示し、大陸ごとの相似性を演出することで帳尻を合せてはいる。
さらに問題なのが日本編で、役所が猟銃の元持ち主というだけで他の三組と結び付けるのはいかにも強引。しかし、この日本編の高い独立性には明確な狙いがあるのではないかとはたと思い至った。他の二つの大陸での出来事が命題提示編で、日本編が言わば主題を要約した解答編なのだという気がするのである。
ブログ仲間【SCREEN】の十瑠さんによれば、イニャリトゥは「言語は障害ではない」と述べたようだが、これがヒントになる。
まず、モロッコで救援のヘリコプターが遅れるのはモロッコ政府が上空を飛ぶのをなかなか許さなかったからであるし、米墨国境で子供二人が砂漠で生命のピンチを迎えるのも国境そのものが原因である。
旧約聖書が言及した【言葉が通じないことによる人々の混乱】は、物質文明を極めた現在【言葉は通じても意思疎通ができない人々の混乱】に変質しているのであり、国家間や民族間の溝は、言わば役所と菊地の親娘関係みたいなものなのである。言葉は通じても意思疎通が出来ない。そこには最初から理解し得ないという思い込みもある。娘の聾唖であるが故の苦悩は開発途上国のいらだちに見えてくる。
結局、作者は親子の意思疎通する最後の姿に、世界的規模での意思疎通が為されてほしいという希望を投射するのだ。
こう考えているうちに鑑賞直後より印象が強くなっている。だからこそ、カタルシスに頼ったまやかし的な印象を与えかねない並列描写型の構成は止めて欲しかった。「21グラム」のように無用に観客を混乱に導く印象はないとは言え、もともと親和力の弱い挿話群なのであるから夫々の関係を維持した三話オムニバス形式のほうが見通しが良くなり、主題も明確になったのではないか。
演技的にはメキシコのアドリアナ・バラーザが抜群。
日本の菊地凛子が高く評価されたのは、確かに好演ではあるが、大昔からアル中、薬物中毒、障害者演技を過剰に評価するアカデミー賞の傾向を考えれば、本当の聾唖者のように見えたからであろう。
モロッコも砂漠、メキシコも砂漠、日本はビルの林立する砂漠・・・心の中の砂漠。
2006年メキシコ=アメリカ=フランス映画 監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ネタバレあり
なかなか映画館に行けないのだが、周囲がかまびすしくなったので(笑)家族の協力を得て出かけることにした。
「アモーレス・ぺロス」で三つのエピソードを交差させ最後に関連づける手法が話題を呼んだ監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥと脚本ギジェルモ・アリアガのコンビ作第3弾。
モロッコの山岳地帯、父親からジャッカル狩りを託された兄弟の弟が試し撃ちと称して猟銃を観光バスに向けて発射する。それがぎくしゃくした関係を改善しようと同地を訪れたアメリカ人夫婦の妻ケイト・ブランシェットの肩を射抜き、重傷を負わせてしまう。夫ブラッド・ピットはガイドの力を借りて救助に東奔西走する。
夫婦が自宅に残した子供二人はメキシコ人乳母アドリアナ・バラーザに預けられている。彼女が二人を連れて息子の結婚式に出席する為に甥ガエル・ガルシア・ベルナルの運転する車で越境するが、帰る時執拗なチェックにいらついた甥が検問所を強行突破、子供と共に残された彼女は砂漠で一夜を過ごした挙句に誘拐容疑で逮捕されてしまう。
遠く離れた日本では母が銃で自らの命を奪って以来父・役所広司と不和に陥り、情緒不安定になった聾唖の高校生・菊地凛子が懸命にもがき、無軌道な行動に突破口を見出そうとする。
タイトルの元になった旧約聖書で有名な逸話<バベルの塔>は、一つの言葉を有していた人々が神の怒りに触れ、民族ごとに違う言葉を話すことになり混乱が生れる、という民族誕生の由来に関するもの。従い、人々が運命の渦に巻き込まれていく不思議を通して、完全なコミュニケーションが取れれば民族・国家間の悲劇は起るまいという作者の願いを具象化したものと理解して大方間違いない。
<事件>即ち銃がバラバラだった家族の絆を修復する模様には皮肉な色彩もあるが、これを言い出すと本稿のテーマが拡散しすぎて収拾がつかなくなるので、これ以上詳説はしない。
この監督&脚本コンビは複数のエピソードを並行して(時間は相前後し、時系列は挿話ごとに違う)描くという変化球で観客に言わば<カタルシス>を与え、話が本質的に持っている力以上のインパクトを与える方式に拘っている。
「アモーレス・ぺロス」はそれが大いに効果を発揮したが、続く「21グラム」は並行進行というより時系列操作に陥った印象ばかりが浮き上がり、映画を感動的にする効果は殆どなかった。理由は近接・隣接する人々を並行描写したからで、今回はスケールを三つの大陸に一気に広げてその弱点が回避できている反面、挿話同士の親和力は極めて弱い。
例えば、モロッコの親子とアメリカ人夫婦の関係が軸と考えた場合、メキシコでの結婚式の様子をあれほど詳しく描くのは不要と言わないまでも、描写のバランスを欠く。ただ、そこで乳母の甥がピストルを空に向けて撃ち子供が怯える場面を設定、銃(武器)が恐怖と悲劇の根源であることを示し、大陸ごとの相似性を演出することで帳尻を合せてはいる。
さらに問題なのが日本編で、役所が猟銃の元持ち主というだけで他の三組と結び付けるのはいかにも強引。しかし、この日本編の高い独立性には明確な狙いがあるのではないかとはたと思い至った。他の二つの大陸での出来事が命題提示編で、日本編が言わば主題を要約した解答編なのだという気がするのである。
ブログ仲間【SCREEN】の十瑠さんによれば、イニャリトゥは「言語は障害ではない」と述べたようだが、これがヒントになる。
まず、モロッコで救援のヘリコプターが遅れるのはモロッコ政府が上空を飛ぶのをなかなか許さなかったからであるし、米墨国境で子供二人が砂漠で生命のピンチを迎えるのも国境そのものが原因である。
旧約聖書が言及した【言葉が通じないことによる人々の混乱】は、物質文明を極めた現在【言葉は通じても意思疎通ができない人々の混乱】に変質しているのであり、国家間や民族間の溝は、言わば役所と菊地の親娘関係みたいなものなのである。言葉は通じても意思疎通が出来ない。そこには最初から理解し得ないという思い込みもある。娘の聾唖であるが故の苦悩は開発途上国のいらだちに見えてくる。
結局、作者は親子の意思疎通する最後の姿に、世界的規模での意思疎通が為されてほしいという希望を投射するのだ。
こう考えているうちに鑑賞直後より印象が強くなっている。だからこそ、カタルシスに頼ったまやかし的な印象を与えかねない並列描写型の構成は止めて欲しかった。「21グラム」のように無用に観客を混乱に導く印象はないとは言え、もともと親和力の弱い挿話群なのであるから夫々の関係を維持した三話オムニバス形式のほうが見通しが良くなり、主題も明確になったのではないか。
演技的にはメキシコのアドリアナ・バラーザが抜群。
日本の菊地凛子が高く評価されたのは、確かに好演ではあるが、大昔からアル中、薬物中毒、障害者演技を過剰に評価するアカデミー賞の傾向を考えれば、本当の聾唖者のように見えたからであろう。
モロッコも砂漠、メキシコも砂漠、日本はビルの林立する砂漠・・・心の中の砂漠。
この記事へのコメント
バベル観られたんですね。私もTBさせていただきます。
この映画、予告編で言われている言語を分かたれた人間というのは、言語そのものは関係ありませんよね。ただ観た人はそういう眼でこの映画観るから、予告編も考え物だと痛感します。見る前に先入観もって余計に混乱するような気がします。さて本作。ただ監督と脚本家のコンビ。この手法はアモーレス・ぺロスだけでいいと思う。21gではこれが効果的だったかというとどうも…。今回も必要以上に混乱したような。一つ一つの話が良かっただけに残念な気が…。私は終わりはそれぞれ感動的な画だった割には胸にしみてこなかったんです。もう一度観たほうがいい映画だという気も最近してますが…。こういう映画って、一度ではつかみきれない。私はアモーレス・ぺロスの続編という印象をまず持ってしまったので、もう一度、今度は素直にもう一度観たいと思ってます。今度はテレビ画面で。案外テレビでみると画面の迫力に引きずられずに映像が観れるので、こちらの方がつかみやすいところがあるように思います。
>言語
現代では言語ではなく、コミュニケーションが問題なんですね。
>並列進行
私も「アモーレス・ペロス」だけで結構と思います。
「21グラム」は近すぎる関係でそれを描いたものだから、不必要な混乱を招いただけだと断言してしまいます。
本作は、「21g」で鍛えられたのか、意外とすんなり理解できました。ただ、日本編のああした独立性を考えると、互いを関連付けた3話オムニバス形式で観たかったものです。
夫々の挿話はなかなか良かったですね。
>TV
そう、TVのほうが客観的に見られることも多いのは確かでしょう。
しかし、映画館の音はでかい(笑)。
>人々が運命の渦に巻き込まれていく不思議を通して・・・
人間が乗っている乗り物に向かって銃を撃ったり、冷静に対処すればすんなり通れたであろう国境を強行突破したりと、運命と言うには、些か愚かすぎる行動が発端なのが気に入りませんでした。直球勝負のスタイルだと意外に気にならなくなったりする部分なんですがネ。
>結局、作者は親子の意思疎通する最後の姿に、世界的規模での意思疎通が為されてほしいという希望を投射するのだ。
そういうことなんでしょうね。
しかし、あの女子高生を追体験する事によって、そういう思いに至るのはなかなか容易ではないようにも思いますね。
「アモーレス・ロペス」が予定リストに入りました。
>運命と直球
仰るとおりですね。
直列に繋いでいけば、割合自然に気持ちの中に取り込めるのでしょうが、こういう変化球ですとどうもあざとさが鼻につきますね。
尤も、<人間は愚かなもの>という考えを通奏低音としているのかもしれません。ブラッド・ピットの当然と言えば当然、傍若無人と言えば傍若無人な振舞いにもそうした気配がないわけではないです。
>女子高生追体験
この二人組の作品は、やはり寓話なんでしょう。そこそこリアルな寓話。その辺の匙加減をどう考えるかによって評価も変わるのでは。
しかし、最近の日本の女子高生はあんなものだと思いますよ。それほど大昔ではないのに純朴なものでしたなあ。現在のように異性間で名前の呼び捨てなどなかった。
楽天サイトにTBありがとうございました。
せっかくTB頂いたのに、昨日から5回以上トライしていますがいっこうにTBが反映されません。自分のウエブリブログへ楽天からTBしてもいつの間にか反映しなくなって来ています。編集画面のスパムの中に紛れ込んで保留になって居るかもしれませんので、一度確認よろしくお願いします。応急措置で去年の秋からメインブログにしているFC2サイトのほうからTBさせて頂きました。
オカピーさんの解説は、相変わらず読みが深くて大変参考になります。
言葉が違うからと言うことのせいにして、心から向き合うことを忘れてしまっている現代人に、偏見や差別などで人の価値を計る事の愚かさを見せてくれたように感じました。
どうぞどうぞ、ご遠慮なく。
私も少なくともTB戴いた作品はURL貼付で対処しようと思っております。
それにしても直らないでしょうかねえ。
昨日はwebryが修正に大わらわだったらしいの、余計に駄目だったかもしれませんね。
こちらはFC2とは駄目なんです。とほほ。相性の問題は本当に悩ましい。
私が深いなんてことはとんでもないですが、そう仰られると悪い気はしませんので、今後ともその調子でお願い致します(笑)。
>言葉が違うからと言うことのせいにして、心から向き合うことを忘れてしまっている現代人に、偏見や差別などで人の価値を計る事の愚かさを見せてくれたように感じました
人間の行動の愚かさは、無理な国境突破や猟銃試射も象徴的ですよね。
さすがですねぇ。
オカピーさんのレビューは、細かく分析されておられますよね~!
この監督さんの他の作品はまだ観てないので、是非鑑賞してみようと思っています。
コメントなしで済みません。
余り細かくもないのですが、他の記事に比べると時間は掛けました。「てにをは」も結構神経を使いますね。時分のメモとして長く書いてきた癖がなかなか抜けず、いい加減になっているのですが、これはそれなりにきちんと書いたつもりです。
イニャリトゥは「アモーレス・ペロス」が断然お奨め。
???
映画に関係ないことかもしれないけど、これ、なんか前段があるの?(笑)
>前段
いや、大したことはないんです。
kimionさんほどではないですが、こんな僕にも固定ファンがいらっしゃまして、感想を聞かせてほしいということで、1年も待たせては申し訳ないと出掛けたという次第。
だから、大俯瞰のオカピー(笑)が、いつもよりは内容にも深く言及していますでしょ?
それに値する内容でもありましたしね。