映画評「狂へる悪魔」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1920年アメリカ映画 監督ジョン・S・ロバートスン
ネタバレあり
ロバート・ルイス・スティーヴンスンの「ジキル博士とハイド氏」は子供の頃親しんだ小説。二重人格に注目した小説として人気を博したが、SF恐怖小説に分類しても良いものなので、映画界でも大人気で1908年に始まって何度も映画化されている。近年は女性に変身したりする変化球も少なくないが、本作は何本もあるサイレント映画化作品の中で決定版ということになるようである。
ジキル博士に扮するのは、現在ハリウッドでもトップ10に入る高給取り女優になったドリュー・バリモアの祖父ジョン・バリモアで、元来二重人格的だった小説と違って、類稀なる善人という設定。
その彼が恋人(マーサ・マンスフィールド)の父親が吐いた一言から、自らをモルモットに醜い心に相応する醜い人間ハイド氏を作り出す実験に取り掛かって見事に成功するが、やがてハイド氏の勢力に圧され、愛しい恋人まで手にかけようとする。
人間の二重人格的側面をデフォルメした物語と言って良いが、その人格的相克を象徴するのが恐ろしくも悲しい終幕部分である。昨今の露骨に<怖がらせんかな>というホラーと違ってそこはかとなく人間の愚かしい隠された性(さが)に迫るところに本質的な怖さが潜んでいる。それを感じる人は怖いと思うだろうし、表面的なところでしか映画を観なければ怖くも何ともないということになろう。
ディテールの差異は色々あるものの、どの作品でも見どころはジキル氏に扮する俳優がいかにグロテスクな人物になるかという一点に尽きる。
本作のジョン・バリモアは元来演劇的なオーヴァーアクトで知られていたようだが、まだまだ特殊メイクや特殊撮影に限界がある時代故にそうした演技が必要だったのも事実。それでも最初の変身場面では手の動かし方など余りの大袈裟ぶりに笑ってしまう。しかし、その後、特殊メイクだけではそう怖くないと思われたハイド像も、バリモアが目をむいて口を開くと圧倒的に不気味さが出て来るのは感心するほかない。
サイレント映画が急激に進歩し始めた1920年の製作だから原始的なところが多く、採点はハンディ付きと考えてもらって結構だが、ハイドが逃げる場面と追っ手を描く終盤のカットバックは充実していて手に汗を握らせる。
1920年アメリカ映画 監督ジョン・S・ロバートスン
ネタバレあり
ロバート・ルイス・スティーヴンスンの「ジキル博士とハイド氏」は子供の頃親しんだ小説。二重人格に注目した小説として人気を博したが、SF恐怖小説に分類しても良いものなので、映画界でも大人気で1908年に始まって何度も映画化されている。近年は女性に変身したりする変化球も少なくないが、本作は何本もあるサイレント映画化作品の中で決定版ということになるようである。
ジキル博士に扮するのは、現在ハリウッドでもトップ10に入る高給取り女優になったドリュー・バリモアの祖父ジョン・バリモアで、元来二重人格的だった小説と違って、類稀なる善人という設定。
その彼が恋人(マーサ・マンスフィールド)の父親が吐いた一言から、自らをモルモットに醜い心に相応する醜い人間ハイド氏を作り出す実験に取り掛かって見事に成功するが、やがてハイド氏の勢力に圧され、愛しい恋人まで手にかけようとする。
人間の二重人格的側面をデフォルメした物語と言って良いが、その人格的相克を象徴するのが恐ろしくも悲しい終幕部分である。昨今の露骨に<怖がらせんかな>というホラーと違ってそこはかとなく人間の愚かしい隠された性(さが)に迫るところに本質的な怖さが潜んでいる。それを感じる人は怖いと思うだろうし、表面的なところでしか映画を観なければ怖くも何ともないということになろう。
ディテールの差異は色々あるものの、どの作品でも見どころはジキル氏に扮する俳優がいかにグロテスクな人物になるかという一点に尽きる。
本作のジョン・バリモアは元来演劇的なオーヴァーアクトで知られていたようだが、まだまだ特殊メイクや特殊撮影に限界がある時代故にそうした演技が必要だったのも事実。それでも最初の変身場面では手の動かし方など余りの大袈裟ぶりに笑ってしまう。しかし、その後、特殊メイクだけではそう怖くないと思われたハイド像も、バリモアが目をむいて口を開くと圧倒的に不気味さが出て来るのは感心するほかない。
サイレント映画が急激に進歩し始めた1920年の製作だから原始的なところが多く、採点はハンディ付きと考えてもらって結構だが、ハイドが逃げる場面と追っ手を描く終盤のカットバックは充実していて手に汗を握らせる。
この記事へのコメント
この作品を取り上げてくださったのがめちゃくちゃうれしくて(^^ゞ、TBを飛ばしてみました。現在エキサイトがボロボロよれよれ状態ですので(爆)、うまく飛んでるかどうかわかりませんが…。
念のため、名前のところに記事を直結させておきました。
まさしくおっしゃる通りで、製作された時代を考えても、スリリングな展開とバリモアの渾身の演技はかなり強烈でした。人間の悲しいサガに触れる物語でもありましたし。
バリモアの演技をじーっと見てますとね、彼、ちゃんとセリフをしゃべってるんですよね。ごく自然な感じで。変身してないジキル博士のときなど、それがよくわかります。サイレントだからといって、演技に手を抜かない彼がいとしくもあり(笑)。
もっとも、彼がやたらと横顔を見せるのもどうかと思いましたが(^^ゞ。
そちらへ行って書き込みしてきたんですが、その直後からアクセスできなくなって書き込みも多分できていないような気がします。実際ボロボロのようです、エキサイト。
科学の二面性を二重人格と重ねるとは、スティーヴンスンさんもやりますね。しかし、それを本文で指摘しない私は粗忽者。
>バリモア
横顔に自身があったんでしょうねえ(笑)。コインの王様みたいですね。
やがて凄味が出てくるんですが、最初は手振りには笑いましたね。
もっと古いサイレント映画を何本も観ておりますが、あそこまで大袈裟なのは、目玉の松ちゃん(尾上松之助)くらいかなあ。彼の「忠臣蔵」を観たことがありますが、とにかく目玉を剥くの(笑)。だから目玉の松ちゃんと言うんですが。