映画評「アメリカの影」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1960年アメリカ映画 監督ジョン・カサヴェテス
ネタバレあり
以前NHK-BSがジョン・カサヴェテスの特集を組んだ時に見逃したので、今回はしっかり観た。
歌手ヒュー・ハードは歌で名前を上げたいのに踊子を紹介する司会業で食い繋ぐしかなく、弟のベン・カルーザスはトランペッターだが芽が出ず、ぐれてチンピラの群れに身を投ずる。妹のレリア・ゴルドーニは一見白人で、白人男性と恋仲になるが、黒人とのハーフであることが判明した途端に相手が引いてしまう。
しかし、人生は同じように続いて行く、という三人兄弟の閉塞的な現実をニューヨークの実景を生かしながら人種問題を絡めて描くドラマ。
本作が映画史に名を残すのは、メジャー系列以外の作品は映画ではないというムードがあったアメリカ映画界において即興演出・低予算という反ハリウッド的な手法により初めて芸術的に成功したインディ映画という理由による。
しかし、日本で公開されたのは製作から5年後の65年ということもあるし、本作に影響を与えたであろう「勝手にしやがれ」(1959年)の洗礼を浴びている日本の高級ファンには、アメリカの映画ファンが受けたような衝撃はなかったと思う。
既に述べたように即興演出の為ゴダール同様同時録音で、文学論のような会話が出て来るのもゴダール風。台詞は台本による方が好みだが、そのぎこちない感触とざらざらした映像はまさに現実を切り取る、ドキュメンタリー以上に現実感のある劇映画という印象を生み出す。映画的表現としては極北に近いだろう。ただ物語として面白いかは別問題。
ジム・ジャームッシュは商業映画デビュー作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」にゴダールの「はなればなれに」へのオマージュをこめたと伝え聞くが、ブラックアウトの使い方やジョークには本作からの影響を感じる。本作はゴダールとジャームッシュを繋ぐ架け橋のような作品と言って良いのかもしれない。
1960年アメリカ映画 監督ジョン・カサヴェテス
ネタバレあり
以前NHK-BSがジョン・カサヴェテスの特集を組んだ時に見逃したので、今回はしっかり観た。
歌手ヒュー・ハードは歌で名前を上げたいのに踊子を紹介する司会業で食い繋ぐしかなく、弟のベン・カルーザスはトランペッターだが芽が出ず、ぐれてチンピラの群れに身を投ずる。妹のレリア・ゴルドーニは一見白人で、白人男性と恋仲になるが、黒人とのハーフであることが判明した途端に相手が引いてしまう。
しかし、人生は同じように続いて行く、という三人兄弟の閉塞的な現実をニューヨークの実景を生かしながら人種問題を絡めて描くドラマ。
本作が映画史に名を残すのは、メジャー系列以外の作品は映画ではないというムードがあったアメリカ映画界において即興演出・低予算という反ハリウッド的な手法により初めて芸術的に成功したインディ映画という理由による。
しかし、日本で公開されたのは製作から5年後の65年ということもあるし、本作に影響を与えたであろう「勝手にしやがれ」(1959年)の洗礼を浴びている日本の高級ファンには、アメリカの映画ファンが受けたような衝撃はなかったと思う。
既に述べたように即興演出の為ゴダール同様同時録音で、文学論のような会話が出て来るのもゴダール風。台詞は台本による方が好みだが、そのぎこちない感触とざらざらした映像はまさに現実を切り取る、ドキュメンタリー以上に現実感のある劇映画という印象を生み出す。映画的表現としては極北に近いだろう。ただ物語として面白いかは別問題。
ジム・ジャームッシュは商業映画デビュー作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」にゴダールの「はなればなれに」へのオマージュをこめたと伝え聞くが、ブラックアウトの使い方やジョークには本作からの影響を感じる。本作はゴダールとジャームッシュを繋ぐ架け橋のような作品と言って良いのかもしれない。
この記事へのコメント
カサヴェテスが即興演出的で即実的なのは最後まで一貫していましたが、作品を経るに従いどんどん長廻し的になっていき演劇的な要素を取り込んできた印象があります。これは後の作品に比べると、ゴダール的という気がしますね。
ブラックアウトはジャームッシュほど徹底したものではないですが、影響を受けた可能性が高いと思います。
あくまで私の勘です。
カサヴェテスのド素人のトムです(笑)。
わたしのこの作品の印象は、まさにヒューマニズム作品の典型というものでした。
わかりやすくてまるで黒澤作品やデュヴィヴィエ作品を観ているようでしたが、しかし技法は映画新時代という感じで新しい説得力があります。
ハリウッド作品も、こういった作品に立ち返ってほしいですよ。
初期の大島渚とも共通のものを感じますね。
では、また。
この作品のラスト・シークエンス、下積みの生活にいらだつ友人のマネージャーに主人公の兄が「おまえはおれにとって、世界一のマネージャーだ」と言うところで、何だか涙が出てきましたよ。
そのとき、わたしが浮かんできたのが、意外にも(失礼)、オカピーさんと用心棒さんであったわけです。
映画ブロガーとしての情報交換、貴重な体験だと思っています。
>カサヴェテス
いいですねえ。
では、また。
思い出して戴き光栄です。
私も日常的に交流させて戴いているブロガーの皆様の存在が大いに励みになっている今日この頃です。
時代的にも大島渚と重なりますし、彼も演劇的な要素を持ち込んだ上に即興演出的なところもあった(「日本の夜と霧」)ように思いますから、似ているかもしれませんね。
これ以降カサヴェテスは現実を切り取るという目的の為に、演劇的手法とでも言うべき長廻しに拘り、冗長気味になっていくのが残念なんです。それが新しい演出たる所以なのでしょうけどね。
他の作品も試しに観てください。変わっては居ないけど、印象がちょっと違うはずです。
>イリュージョン
プラス人間だと思います。
ゲームそのものみたいな映画にもイリュージョンはあり、ある種の人間には想像力を喚起することもあると思いますから。
映画は観賞(鑑賞にあらず)ゲームとドラマに二分されていくと思います。我々はドラマだけ観ていれば不愉快にならずに済みますが、その割合が減っていく可能性が強いのが問題。
おっと、また例の心配性が出ました。