映画評「アンダーワールド:エボリューション」
☆★(3点/10点満点中)
2006年アメリカ映画 監督レン・ワイズマン
ネタバレあり
【映画】は芸術である。芸術はどんな形であれ人間を描くものである。つまり、【映画】は人間を描く。
ゲーム感覚と言われることもある「スピード」もアンドロイドを主人公にした「AI」も人間を描いた立派な【映画】である。ところが、本作には人間は出て来ない。人間を描けてもいない。観客は人間にとってその存在がマイナスにしかならない怪物同士の闘いを傍観するだけである。よって本作はもはや【映画】ではなく、観客のコントロールできない一方的ゲームと言った方が良い。今後この類の作品をゲーム感覚映画ならぬゲーム映画と呼ぶことにする。
もう少し具体的に参ろう。
吸血鬼一族の殺し屋ケイト・ベッキンセールが、前作で一族の親玉を殺した為に吸血鬼と狼人間との混血児スコット・スピードマンと逃避行することになり、やがて狼人間グループを撃退するまでのお話で、その間に二つの種族が誕生した由来が判明して来るが、そんなことはどうでも宜し。作者が用意したおためごかしに過ぎない。
人間というのは不思議なもので、悪漢であろうと怪物であろうと主人公に感情移入する習慣がある。作者はそれを上手く利用した形だが、吸血鬼も狼人間も本来人間の恐怖心が生み出した影に過ぎない。ご存知のように人間の影というのは人間(と太陽)があって初めて出来るものである。基本となる人間がいないのにどうして影が出来るのか。
確かにこの作品の登場人物(?)の醜い争いは人間の功名心や征服欲を投影したものである。しかし、そんな類型的な醜さをわざわざ怪物たちの争いの間に見せてもらって(=単純な擬人化で)有難がるほど当方寝ぼけておらぬ。【映画】なら彼らの争いの中から人間のもっと絶望的な醜さを照らし出すレベルまで行かねばならないはずだが、実際には人間の醜さを形式的に借りているだけで、面白くも何ともない。60年代の黒人運動を投影した「猿の惑星」シリーズの猿の暴動の如く。
作者の【映画】に対する考え方はひどいが、観客によっては映像的に楽しめる部分もあるのではないかと想像されるので出血大サービス。描写の為ではなくCGそのものを見せるCGなど評価に値しないと思ってはいるが。
これを古い考え方と批判するのは結構だが、【映画】が第七芸術と言われてきたことを考えると、その批判は【映画】を時間つぶし的に利用される他の遊戯・娯楽と同一線上にまで貶めることになる。その先にあるのは【映画】の衰退である。
タイトルはエボリューション、オールドファンが覚えるのはディシリュージョン
息子曰く、これはレボリューション、小生曰く、それはイリュージョン
2006年アメリカ映画 監督レン・ワイズマン
ネタバレあり
【映画】は芸術である。芸術はどんな形であれ人間を描くものである。つまり、【映画】は人間を描く。
ゲーム感覚と言われることもある「スピード」もアンドロイドを主人公にした「AI」も人間を描いた立派な【映画】である。ところが、本作には人間は出て来ない。人間を描けてもいない。観客は人間にとってその存在がマイナスにしかならない怪物同士の闘いを傍観するだけである。よって本作はもはや【映画】ではなく、観客のコントロールできない一方的ゲームと言った方が良い。今後この類の作品をゲーム感覚映画ならぬゲーム映画と呼ぶことにする。
もう少し具体的に参ろう。
吸血鬼一族の殺し屋ケイト・ベッキンセールが、前作で一族の親玉を殺した為に吸血鬼と狼人間との混血児スコット・スピードマンと逃避行することになり、やがて狼人間グループを撃退するまでのお話で、その間に二つの種族が誕生した由来が判明して来るが、そんなことはどうでも宜し。作者が用意したおためごかしに過ぎない。
人間というのは不思議なもので、悪漢であろうと怪物であろうと主人公に感情移入する習慣がある。作者はそれを上手く利用した形だが、吸血鬼も狼人間も本来人間の恐怖心が生み出した影に過ぎない。ご存知のように人間の影というのは人間(と太陽)があって初めて出来るものである。基本となる人間がいないのにどうして影が出来るのか。
確かにこの作品の登場人物(?)の醜い争いは人間の功名心や征服欲を投影したものである。しかし、そんな類型的な醜さをわざわざ怪物たちの争いの間に見せてもらって(=単純な擬人化で)有難がるほど当方寝ぼけておらぬ。【映画】なら彼らの争いの中から人間のもっと絶望的な醜さを照らし出すレベルまで行かねばならないはずだが、実際には人間の醜さを形式的に借りているだけで、面白くも何ともない。60年代の黒人運動を投影した「猿の惑星」シリーズの猿の暴動の如く。
作者の【映画】に対する考え方はひどいが、観客によっては映像的に楽しめる部分もあるのではないかと想像されるので出血大サービス。描写の為ではなくCGそのものを見せるCGなど評価に値しないと思ってはいるが。
これを古い考え方と批判するのは結構だが、【映画】が第七芸術と言われてきたことを考えると、その批判は【映画】を時間つぶし的に利用される他の遊戯・娯楽と同一線上にまで貶めることになる。その先にあるのは【映画】の衰退である。
タイトルはエボリューション、オールドファンが覚えるのはディシリュージョン
息子曰く、これはレボリューション、小生曰く、それはイリュージョン
この記事へのコメント
あんまり深く考えて映画見てないので、単純にバンパイア系ダーク・ファンタジー・アクションとして見ていました。
主演女優がひらりん好み・・・というのもセレクトポイントですが。
私は逆に考えないで映画を観ないと退屈してしまうほうなんです。^^;
本文にも記したように、吸血鬼なるものは、人間の恐怖なるものが生み出したものです。吸血鬼が主人公でも全く問題はありませんが、そこに吸血鬼を怖がる人間の視点がなければ、恐怖も存在しないです。従って本作は恐怖映画とは全く言えません。
残念ながら一生懸命作ったCGも絵に描いた餅。遂に食べられませんでした。
確かにケイト嬢は魅力的な女優ですね。
人間の喜怒哀楽を描くより、手っ取り早く金を巻き上げることしか興味を持っていない投資家達とモノ作りの魂をとっくに失っている映画業界全体の地盤沈下をまさに今われわれは見せ付けられています。
おっしゃるように、参加型、そしてヴァーチャルな娯楽がさらに進化していくであろう、ここ10年から20年が映画にとっての最後のチャンスでしょうね。合掌!
わたしもこの作品を観ていないのですが、
>あらゆる点で人間を描いていない
とのことで、そのことを踏まえると、映画を観ても思索することがなくなってしまいますよね。というかする必要がなくなる。
まず、映画は他の何でもなく、映画であり、オカピーさんがおっしゃられているように「ゲーム」ではない。
映画特有の表現が無くては、映画の精神、つまり観客も含めて映画に関わったすべての者たちの魂もないということになりかねません。
ただ危機的なことは映画特有の時間とスクリーン、そこに映し出される立体等、空間的拡がりや特有の音響(リズム)は、第六までの芸術は持っていなかったのに、「ゲーム」においては持ちうるように思うのです。
「ゲーム」すなわち魂のない映画が一般化すること、またすでにし始めていることを考えると、背筋がぞっとします。
ただ、間違えなく言えることは「映画」は美しいものであり、「ゲーム」にそれはないということです。
観客は「美しさ」という基準を、もっと突きつめそれを欲するべきです。美しさに飢えるべきです。
では、また。
早速のお越し、有難うございます。
用心棒さんのブログでのコメントを借りれば、【映画マニア】の言う<面白い>と【映画ファン】や【一般人】の言う<面白い>は違うでしょうね。
前者は、映画が人間を描くという条件の下に<面白さ>を見る。つまり、人間を描かないものは面白くない。
後者は、とにかく記号Aが記号Bと戦ってそれが絵として面白ければ<面白い>ということになるのでしょう。人間の介在は関係ない。即ち必ずしも映画である必要はない<面白さ>です。
生意気にも映画ファンを啓蒙しようと考えている私らですが、(イエローストーンさんが反発した様に)対象は全員ではなく、愛好者と自称しているくらいの方にはもっと映画を映画として観る鑑賞眼、審美眼を養って貰いたい、という意識。用心棒さんもきっと同じはずです。
現在のように一般人に迎合しすぎていれば、メジャー会社は【愛好者】以上の観客の鑑賞に耐える映画を作らなくなる。間違いないです。
その昔「スピード」はゲーム感覚で鑑賞に堪えないという投書を読みました。犯人の心理も描かず、社会性がないというんです。確かにゲーム感覚かもしれないが、人間の恐怖を描くという目的においてあれほど巧く出来た映画はそう滅多にあるものではないので、大いに反発しました。大いにバランスを失した意見だと思った次第。
ゲーム感覚映画は構わない。が、映画をゲームそのものにして貰っては困ります。
映画が【娯楽】であると主張するのも問題ではない。しかし、それは映画は娯楽的であって良いという意味であり、遊園地やお化け屋敷やコンピューターゲームと同じ・・・では我々映画マニアや愛好者は困るのです。
これまで歴代の大ヒットを飾ってきた映画はどんなに娯楽的であっても、時にくだらなくても、紛うことのない【映画】でありました。
「アンダーワールド」は愛好者が考える【映画】と言えない。吸血鬼と狼男を出しながらそこに【恐怖】がないなんて、絶句してしまいます。
トムさんの仰る様に美しさは映画の大きな要素。それが「CGが綺麗」といった無機質な美しさではいけませんよね。
清濁併せ呑む人間の本質を描き(真)、より高く正しいレベルに観客を導き(善)、美しい映像と感情を誘導する(美)。
まさに武道ですね。ゲームは道に成りえない。時間つぶしでしかない。
>『スピード』
第二作目はともかく、一作目は『暴走機関車』『新幹線大爆破』を下敷きにしてるだけあって、スリリングで良く出来た映画だと思いましたよ。キアヌ・リーブスやサンドラ・ブロックについての話題や「速度」そのもののギミックのみが話題になりましたが、一本の作品としてしっかりと成立していました。
歴史に残る名作かと問われれば「否!」ですが、十分に楽しめる作品だったと記憶しております。
スピルヴァーグ監督の大ヒット作を低俗だとし、ヨーロッパ・アート系の映画を神聖視する向きもあるようですが、そういう人は映画を分かっていませんね。
ハリウッド作品にも膨大な数の名作があり、ヨーロッパ映画にも膨大な数の駄作がある。逆もまた、真ではないでしょうか。
ただその比率は昔は「80対20」で駄作が多かったのが、いまでは「90対10」以下に成りつつあるような気がします。しかも良貨は年々減ってきている。絶滅危惧種、それは良い映画かもしれません。
ではまた。
あたしは邦画ファンです。外国映画は、吹き替えで見たい方です。だから、外国映画では、こういう、何も考えないで見られるのばかり見ています。
先日も「ゾディアック」見ましたが、ぜんぜんおもしろくなかったし、、、
この映画は「強い美女」であって、吸血鬼、狼男といっても、ホラー映画ではないですね。強い美女の映画は、大好きです。
>スピルヴァーグ監督の大ヒット作を低俗だとし、ヨーロッパ・アート系の映画を神聖視する向きもあるようですが、そういう人は映画を分かっていませんね。
何故、お二人はいつも、わたしの言いたいことを「一」言えば「十」わかっていただけるのか、今の時代に不思議なくらいですよ。
ただ、わたしは展望を持つ楽天家なのが、お二人と違うところかもしれません。
きっと、良い時代は来るのです。
>「90対10」
確かにそうです。
しかし、豆酢さを見てください。ジューベさんを、にじばぶさんを、オタクイーンさんを、FROSTさんを、ブースカさんを・・・・次から次と出現している。
わたしのお気に入りをご覧になってください。きりがないほど優れた映画ブロガーがわんさと存在していることも実態なのです。
これで展望を持てないわけがない。
きっと、未来は明るいんですよ。
では、また。
何だかお気に入りみたいだったので「しまった」と思ったのですが、結局TBが届いていないということ。そのままにしておきましょう。
そうです、これは恐怖映画ではありません。恐怖映画なのに怖くないのが問題なのではなく、吸血鬼と狼男を形式的に擬人化し、なおかつ、そこに血の通った人間を反映させなかったのが110年の歴史を重ねた映画として問題なわけです。
何も考えずに観られる映画は良いでしょう。私も大好き。そうでない映画も大好きなんですけど(笑)。
しかし、これは私や用心棒さんの考える【映画】ではなく、ただの遊園地的趣味で終っているんです。
2000年以前なら、「何も考えずに観られる映画もまたOK」と答えられたのですが。
私は国もジャンルも製作年も関係なく・・・映画なら何でもOKです・・・【映画】なら。
意見も凡そ出尽くした感じですね。
以前なら良い映画か悪い映画かを見究めれば良かったのが、その前に映画であるか否かを見究めることも必要になった時代ということですかね。
映像作品が全て映画であるわけではないように。
楽観的になりたいのですが、作られている映画の質が下がっているのは火を見るより明らかな気がするものですから。
そもそもブログで映画の記事を書いている人は、見ただけでは満足しないわけですから、その時点で既に「映画は面白ければ良い」を一歩抜き出ています。私としては一般ファンまで映画について考えろなどとは言いませんが、自分の映画好きを自認している方くらいは映画が悪くならないように努力することを考えて欲しいものです。
彼らには、彼らを含めて一部のファンが面白いといっているものの中に既に映画ではなくなっている作品があることに気付いてもらいたい。既に映画の何たるかを知らずに映画を作っている人もいる。これは怖いです。
「ローレライ」で長髪の日本人兵士が出てきても、allcinemaの投稿者は誰もそれを変だと指摘しなかった。単に知らないだけとも思えず、悄然としました。
給食費を払わないのが当たり前と思っている人間が親として子供を育てているような現実が映画界にも訪れているという思いが致します。
き、厳しい評価ですね。^_^; ただその圧倒的文章力で丁寧に解説されると同意せざるを得ません。(というかそんなに僕もこのシリーズ好きじゃないですけど。笑)
最後の太文字部分、巧いですね。小生曰く、それはイリュージョン。素敵な言葉だ。
映画批評というより映画論になってしまいましたが、中身に人間がなくては映画とは言えないと思いまして。主人公が吸血鬼でも狼人間でも人間は描けるはずなんですがね。
私は退屈しましたが、面白いとしても映画として楽しんでいるのかどうか、という疑問が依然として残ります。今日挙げた「キング・コング」とはその辺が大違い。一見どちらも単純な娯楽映画なんですが。
>最後の太文字
言及する方は殆どいらっしゃらないので、大変嬉しいお言葉でございます。^^
書いた甲斐がありました。
すいません。僕は女戦士のコスチュームをみると、それだけで、胸が高まってしまい、にやついてしまうんです。こんな僕は、ハイヒール(戦闘用ブーツ)で踏まれた方がいいですね(笑)
僕は単純な娯楽映画が大好きなんです。
何故なら単純な娯楽映画こそ最も【映画芸術】たる純粋性を保ちえる可能性を持っているから。
ところが、実際には殆どの娯楽映画は不純物に満ちているので、評価も上がって来ない。
本作のケイト・ベッキンセールは容姿は好みですし、確かに格好良い。
しかし、僕が応援するとしたら、彼女は【人間】でなければならない。そうでなければカタルシスがない。
小難しいことを言っていますが、実はそれだけなんです。
3点以下も滅多に出さないオカピーさんのことですから、よほどお気に召さなかったようですね。
私は結構、買っているので、「スパイダーマン3」より低いというのは、少々悲しいです。(笑)
出来栄えではないんですね。
人間を出そうと出すまいと、どんな形であろうと、人間をベースにしたものが自然ドキュメンタリー以外の【映画】であると考えた時に、これは【映画】未満であると思ったものですから。
僕は21世紀になるまで、映像で構成されているものはTV用であろうと何だろうと、全て【映画】と捉えてきましたが、銀幕に映写するものにそう思えない作品が出てくるとは思いませんでしたよ。
その一方で映像処理の感覚には優れたものがあるので、★3つ分を進呈致しました。ただ、映画は映像の品評会であってはならないはずですので、些か空しい思いもするのです。