映画評「時をかける少女」(2006年版)
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・細田守
ネタバレあり
筒井康隆の「ラベンダーの香り」をベースにしたアニメで、83年の大林宣彦監督作の続編的リメイクと考えられる。その時から凡そ20年後という設定だからである。
巧いのは「魔女おばさん」としてオリジナルの主人公・芳山和子を何気なく登場させていることで、余り露骨に彼女が前作でタイム・リープの経験をした女性ですと紹介したのでは味も素っ気もなくなってしまう。この辺りの脚本家(奥寺佐渡子)のデリカシーは大変素晴らしい。
実写版「タッチ」宜しく、幼馴染の同級生・千昭と功介とキャッチボールをして余暇を楽しんでいる高校2年生の真琴は、理科室で転倒してしまう。放課後叔母の和子に届け物をしに行く途上ブレーキの故障で列車が接近している踏切に飛び込んでお陀仏、と思った瞬間彼女は数十秒前に戻っている自分に気付く。この事件を不思議と思って叔母に告げると、こともなげに「タイム・リープよ、年頃の女の子にはよくあること」と言われてしまう。
千昭にモーションを掛けられた真琴は照れてその能力を積極的に使って告白を回避しようとする一方で、功介に憧れる後輩の思いを叶えようと懸命にぶつかり転げ回る。
オリジナルではヒロインが過去に戻る能力を積極的に使うのは実験室に戻る一回だけだが、このアニメ版では許された回数(制限があるとはつゆとも知らず)を積極的に使って、印象が大分違う。時をいじるに慎重さが足りないのが些か残念であるし、昔に戻ることで制限された回数は永久に減らないのではないかと言う矛盾が出てくる。恐らく自分で戻った場合はこれだけは元に戻らないといった設定はあるのだろう。慎重に観ていた人はそうした説明があったか確認してください(笑)。
SF的には「バタフライ・エフェクト」に似て、過去を変えようとするうちに別の不具合が出てくるが、同作と違って同じ瞬間に何度も戻る辺りの執拗さにコミカルな面白さがある。一人の人間は同時に存在しないという設定なので、過去に戻った彼女は常にその時の彼女であり、バッティングしない。そうしないと何度も戻れませんしね。
一方、オリジナルの精神を踏襲して、SF的設定の下に少女の心情を描いているのは宜しいが、喜怒哀楽が激しくて、これが現代若者気質かと鼻白むところもある。世代の違いと言えばそれまでだが、僕らの世代の心情では登場人物の行動も作者の扱いもナイーブ至極だった83年版に比べると調子が良すぎて却って気分的に乗れないところが多いのである。
例えば、僕らは同級生を呼ぶ場合は男性同士では【君】付け、女性同士では【さん】付け、男性が女性を呼ぶ場合は【さん】づけ、女性が男性を呼ぶ場合は【君】付けとほぼ決まっていた。オリジナルではその通りだった。
いつ始まったか知らないが、今では女生徒が同級生の苗字を敬称なしに呼ぶ。敬称なしなら下の名前だけの方が感じが良い。
映画の出来栄えとは直接関係なくてもどうも感じが良くない。膝が見えなかったスカート丈も今では超ミニである。男女共学の学校でもあれほど短いのだろうか。目のやり場に困る。
(若い時は特に)今を大事にしようね、というメッセージはなかなか感じ入るものがある。
♪青春時代が 夢なんて 後から ほのぼの 思うもの~
他の方のレビュー⇒
時をかける少女(2006)(風に吹かれて)
2006年日本映画 監督・細田守
ネタバレあり
筒井康隆の「ラベンダーの香り」をベースにしたアニメで、83年の大林宣彦監督作の続編的リメイクと考えられる。その時から凡そ20年後という設定だからである。
巧いのは「魔女おばさん」としてオリジナルの主人公・芳山和子を何気なく登場させていることで、余り露骨に彼女が前作でタイム・リープの経験をした女性ですと紹介したのでは味も素っ気もなくなってしまう。この辺りの脚本家(奥寺佐渡子)のデリカシーは大変素晴らしい。
実写版「タッチ」宜しく、幼馴染の同級生・千昭と功介とキャッチボールをして余暇を楽しんでいる高校2年生の真琴は、理科室で転倒してしまう。放課後叔母の和子に届け物をしに行く途上ブレーキの故障で列車が接近している踏切に飛び込んでお陀仏、と思った瞬間彼女は数十秒前に戻っている自分に気付く。この事件を不思議と思って叔母に告げると、こともなげに「タイム・リープよ、年頃の女の子にはよくあること」と言われてしまう。
千昭にモーションを掛けられた真琴は照れてその能力を積極的に使って告白を回避しようとする一方で、功介に憧れる後輩の思いを叶えようと懸命にぶつかり転げ回る。
オリジナルではヒロインが過去に戻る能力を積極的に使うのは実験室に戻る一回だけだが、このアニメ版では許された回数(制限があるとはつゆとも知らず)を積極的に使って、印象が大分違う。時をいじるに慎重さが足りないのが些か残念であるし、昔に戻ることで制限された回数は永久に減らないのではないかと言う矛盾が出てくる。恐らく自分で戻った場合はこれだけは元に戻らないといった設定はあるのだろう。慎重に観ていた人はそうした説明があったか確認してください(笑)。
SF的には「バタフライ・エフェクト」に似て、過去を変えようとするうちに別の不具合が出てくるが、同作と違って同じ瞬間に何度も戻る辺りの執拗さにコミカルな面白さがある。一人の人間は同時に存在しないという設定なので、過去に戻った彼女は常にその時の彼女であり、バッティングしない。そうしないと何度も戻れませんしね。
一方、オリジナルの精神を踏襲して、SF的設定の下に少女の心情を描いているのは宜しいが、喜怒哀楽が激しくて、これが現代若者気質かと鼻白むところもある。世代の違いと言えばそれまでだが、僕らの世代の心情では登場人物の行動も作者の扱いもナイーブ至極だった83年版に比べると調子が良すぎて却って気分的に乗れないところが多いのである。
例えば、僕らは同級生を呼ぶ場合は男性同士では【君】付け、女性同士では【さん】付け、男性が女性を呼ぶ場合は【さん】づけ、女性が男性を呼ぶ場合は【君】付けとほぼ決まっていた。オリジナルではその通りだった。
いつ始まったか知らないが、今では女生徒が同級生の苗字を敬称なしに呼ぶ。敬称なしなら下の名前だけの方が感じが良い。
映画の出来栄えとは直接関係なくてもどうも感じが良くない。膝が見えなかったスカート丈も今では超ミニである。男女共学の学校でもあれほど短いのだろうか。目のやり場に困る。
(若い時は特に)今を大事にしようね、というメッセージはなかなか感じ入るものがある。
♪青春時代が 夢なんて 後から ほのぼの 思うもの~
他の方のレビュー⇒
時をかける少女(2006)(風に吹かれて)
この記事へのコメント
TBありがとうございました。
真琴のあまりにもバカなタイムリープぶりに、最初は眉をひそめていたのですが、いちいち転がっているのが面白くなってしまいました(^o^;
超ミニだけどパンチラなし・・・(笑)
そのあたりが、今のアニメっぽくて面白いなーなんて思いながらみてました(笑)
あはは。
いちいち転がるのは可笑しいですね。実写で観たかったくらい。^^;
実際には漫画でしかできない場面の連続でしたね。
もう大分前になりますが、会社員時代、出張で乗った電車の中で観た女子高生のスカートの短さにびっくりしました。いつの間にあんなになったんだろう?
恥じらいのある仕草とかがあれば、女性もかわいく見えると思うんですけどねぇ・・・価値観の違いなのかしら?
私もちょっとついていけません(^o^;
>見せパン
年下の同僚にその話をしましたら、何だかそんな話をしていましたね。興醒めすること甚だしい。^^;
とは言っても露骨に見たら、まずいんでしょうなあ(笑)。矛盾を感じます~。
ミニスカート風キュロットもけしからんですな。ギャザーが入っているのは特に紛らわしい。何の話しているんだろ?(笑)
<喜怒哀楽が激しくて、これが現代若者気質かと鼻白むところ
これは私も同意見。喜怒哀楽をあんなにストレートに激しく出してしまうというのは、今でも日本人気質には珍しいのでは…。とうがらし文化が入ってきて、最近は変わったのかなぁ?
群馬の普通高は男女別学が原則なので、女生徒についてはよく解りませんが、がらは偏差値で決まるような感じです。
先生が友達感覚になる過渡期で、中学一の暴れん坊でも先生にため口を聞くようなことは殆どありませんでしたね。女生徒の暴力問題は聞かなかったですし、表面立ったいじめもなかったなあ。
総じて皆さん、お淑やかなものでしたよ。
実写映画版の生徒たちは、実に品がありましたね。あれはやはり60~70年代のムードやねえ。
戦後60年間子供たちに権利の主張ばかり教えて義務の順守をいま一つないがしろにしてきた付けが日本人の感情面にも現れてきた、というのが実情ではないかと思います。
本土人の大半は多かれ少なかれ朝鮮韓国の血が入っているわけで、DNAのどこかにあるのかな。
お風邪を召されたとのことで、決して無理なさらぬようゆっくり休養してください。
この作品、ようやく最近レンタルで鑑賞しました(2010年実写版も見ました)。
「時をかける少女」は、もうクラシックといってもいいかもしれませんね。5~10年に一度は映画かTVで新作が制作されていますものね。
ですから、プロットのみで、詳細な部分は自由にアレンジされ、観る側に残る印象が「青春のみずみずしさ」であれば、わたしはOKであると思っちゃってます。
ドロンのノワールや悲恋もの、ゾロなんかの剣戟と同じ感覚かな。
それにしても、1972年版のケン・ソゴル(木下清)を超える未来青年はアニメですら描けていません。
ここは、原作以上に木下清が勝っていると思っていますよ。
では、また。
P.S
用心棒さんが、ブログ荒らしにあってショックを受けているようですよ。
ひとごととは思えず、心配です。
風邪は思ったより軽症で済みましたが、5月からさることからパニック障害に陥って苦しんでいましてね、10日程前に大分正常に戻りました。
>「時をかける少女」
原作は「ラヴェンダーの香り」ですが、1972年以来仰る通り8回の映像化が行われていますので、5年に一度のペースということになりますね。
最近では珍しいですケースですね。昔「伊豆の踊子」なんかよく映像化されていましたが。
改変は構いませんが、最近の若い人の喋り方だけ聞いていても僕なんかイライラしてきます。
もっとも、若い人だけでなく、老人を含めて日本人の7割方が使っているあの半疑問(語尾を上げる話し方)は、話し手の意図が曖昧になる(自信がないのか、単に関心を引きたいだけなのか、単なる癖なのか)ので絶対絶滅させたいのですけどね。
専門家や解説者が半疑問を使っていると、この人の仰っていることを信用していいのかとさえ思います(笑)。
>1972年版
ちょっと見た記憶があるのですけどねえ。僕が中学になりたてくらいだったかな。
>ブログ荒らし
僕は保留にしていないので反映されることも少なくありませんが、抽象的な荒らしは即削除。多少具体的なものは、その頭の悪さを指摘することにしています。
まあ僕も映画評の中で人の意見にケチをつけることはありますけど、あくまで映画論としてですからね。
用心棒さんにはめげずに頑張って貰いたいです。