映画評「母たちの村」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2004年セネガル=フランス映画 監督ウスマン・センベーヌ
ネタバレあり
かつてフランスを宗主国としていたセネガルが生んだ社会派作家ウスマン・センベーヌの作品が日本で公開されるのは本作で3本目だが、僕が観るのは初めて。
西アフリカの某所、古くから行われている割礼を怖がった少女4人が、割礼に批判的なコレ(ファトゥマタ・クリバリ)に保護を求める。言わば上流階級の第2夫人の立場で、娘アムサトゥ(サリマタ・トラオレ)にも割礼をさせていない彼女は<モーラーデ>という門に綱を張る風習で彼女たちを保護する。
そこへアムサトゥの婚約者である村長の後継ぎがパリから帰ってくるが、コレに激怒した村長は息子を結婚させないと脅迫、男たちは女性たちの楽しみであるラジオを奪って焼却し、兄に強制された夫はコレを鞭打つ。
女性たちの賛同を得たコレは蜂起して、「二度と娘たちを切らせない」と宣言する。
イスラム教を信じている同地故に男たちはコーランを根拠とするが、実はコーランにそんな記述はない。教育のない女性たちもラジオやテレビからそうした情報を得るようになっていて、やがて男対女の構図になっていく。
自我に目覚める女性といった図式で、ハリウッド映画のような解り易さを以って作られた作品と言えば当たらずとも遠からずだが、ラジオが象徴するものは近代化・・・というよりは女性たちの心であり尊厳ではないかという気がする。
アフリカの大半の国々で行われているという女子割礼なる野蛮な因習と、その基礎を成す男尊女卑には義憤を禁じ得ないが、映画としての評価はまた別と言わねばならない。
商業映画の第一の目的がいかに観客を飽きさせないかということを考えると、センベーヌ監督のタッチはのんびりとした村の風景同様に実にご丁寧で変化が少なく眠気を催すものであることが否定できないので、僕としてはまあまあという評価に留めざるを得ないのである。
2004年セネガル=フランス映画 監督ウスマン・センベーヌ
ネタバレあり
かつてフランスを宗主国としていたセネガルが生んだ社会派作家ウスマン・センベーヌの作品が日本で公開されるのは本作で3本目だが、僕が観るのは初めて。
西アフリカの某所、古くから行われている割礼を怖がった少女4人が、割礼に批判的なコレ(ファトゥマタ・クリバリ)に保護を求める。言わば上流階級の第2夫人の立場で、娘アムサトゥ(サリマタ・トラオレ)にも割礼をさせていない彼女は<モーラーデ>という門に綱を張る風習で彼女たちを保護する。
そこへアムサトゥの婚約者である村長の後継ぎがパリから帰ってくるが、コレに激怒した村長は息子を結婚させないと脅迫、男たちは女性たちの楽しみであるラジオを奪って焼却し、兄に強制された夫はコレを鞭打つ。
女性たちの賛同を得たコレは蜂起して、「二度と娘たちを切らせない」と宣言する。
イスラム教を信じている同地故に男たちはコーランを根拠とするが、実はコーランにそんな記述はない。教育のない女性たちもラジオやテレビからそうした情報を得るようになっていて、やがて男対女の構図になっていく。
自我に目覚める女性といった図式で、ハリウッド映画のような解り易さを以って作られた作品と言えば当たらずとも遠からずだが、ラジオが象徴するものは近代化・・・というよりは女性たちの心であり尊厳ではないかという気がする。
アフリカの大半の国々で行われているという女子割礼なる野蛮な因習と、その基礎を成す男尊女卑には義憤を禁じ得ないが、映画としての評価はまた別と言わねばならない。
商業映画の第一の目的がいかに観客を飽きさせないかということを考えると、センベーヌ監督のタッチはのんびりとした村の風景同様に実にご丁寧で変化が少なく眠気を催すものであることが否定できないので、僕としてはまあまあという評価に留めざるを得ないのである。
この記事へのコメント
題材が題材ですから、きっと辛い系&痛い内容かしら、と
懸念しながら見始めましたが、ほんとに全体的に
ノッタリとしてて「おいおい、主題から外れるんでは
ないでしょうね」な~~んて途中、心配しながら(笑)
観てたのが正直な感想です。
(私も睡魔クンのお誘いに時折、屈しそうになりました・笑)
ただ現在でも行われている“因習”に着目させる意義的
映画としてはとても貴重な作品として残るでしょうね。
この監督さんの旧作「エミタイ」や「チェド」は題名だけ知っていたのですが、遂に観るチャンスがなくて、今日に至るわけです。
構図としてはハリウッド的な解り易さですが、描写は欧州の写実主義のよう。宗主国フランスの影響が多分にあるような印象があります。
ハードな描写は殆ど避け、すけべったらしい店主とのやりとりなど観ているうちにふわ~っと眠気などが襲いかかるのですが、後半(終盤)はさすがにちょいと眠れなくなりましたね。(笑)
あの店主、すけべなようで、兵隊上りで骨があったのに、女性の味方をして殺されてしまった。前半のすけべぶりが伏線的な扱いでしたね。
>意義的映画
はは、正にその通りですね。^^
僕は珍しく眠りませんでした(笑)
なんか、小さな村の小さな出来事だけを、描いていくというのは好きなんです。テーマはすごくアクチュアルだし。
こちらこそTB&コメント有難うございます。
kimionさんは様々な角度から精査しますから楽しめたのではないでしょうか。
私はリアリズム優先の作品に見られる空気の現実的把握に退屈してしまいました。つまり描写が必要以上に長い感じがあるのですよね。描かれた内容は無視できませんけどね。