映画評「マッチポイント」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2005年イギリス=アメリカ=ルクセンブルグ映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり
「さよなら、さよならハリウッド」の幕切れ通り本当にウッディー・アレンはアメリカを去って英国で作品を撮った。
アレンの場合、ご本人が出演しない時はシリアスと相場が決まっているが、これは彼の尊敬するイングマル・ベルイマンの色を余り感じさせない新しいタイプのシリアス・ドラマで、今年のマイ・ベスト10入りは確実な秀作である。
アイルランド出身の元中堅テニス・プレーヤー、ジョナサン・リース=マイヤーズがテニスクラブでお坊ちゃんマシュー・グードに教え始めたのがきっかけで、妹エミリー・モーティマーに熱愛され、その両親にも気に入られた結果、大企業の要職に就き、やがてエミリーと結婚するが、結婚前に深い仲となっていたグードの元恋人でアメリカ人女優志願スカーレット・ヨハンソンとの仲が再燃、彼女が妊娠を理由に離婚を執拗に迫るので、切羽詰まって隣人を巻き込んだ殺人計画を遂行する。
お話の構造は「陽のあたる場所」に瓜二つで、そのスリラー版と言うべき「太陽がいっぱい」を彷彿とするムードがある。
アレンのモチーフは、作品の中で主人公がドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいるショットを挿入して暗示したように「罪と罰」であり、現代のラスコーリニコフの役目を主人公を負わせていると解釈できる。犠牲になるのが老婦人なのもそれ故である。
いずれの作品と違うのは幕切れで、「怪しからん」と道徳家の御仁は思われるだろうが、実は主人公の生真面目な性格を考えるとこの結末の方が、ヒッチコックの「恐喝」を引き合いに出すまでもなく、現在的で重い。
些か違和感を覚えるのは主人公が老婦人とスカーレットと対峙する夢の幻想的処理だが、これが実は捜査主任の夢であると判れば、違和感など吹っ飛んでしまう。予想を裏切る老婦人の指輪の扱いを含めて、観客はアレンに完全に手玉に取られていることになる。
ミステリー的趣向もなかなか充実している。警察が彼女の妊娠から主人公の犯行を疑わないのを致命的ミスとする意見を読んだが、それは記述者の理解における致命的ミス。彼女の妊娠が本当であれば、警察が後で保持することになる日記に書かないわけがなく、解剖に頼る必要もない。敢えて情報を全て提示しない映画を<読む>時の難しさがそこにある。それより猟銃に関する追及が甘いような気がする。
二度ほど名前が出てくるスウェーデンの大劇作家ストリンドベルイは「令嬢ジュリー」の映画版を観たことがあるだけなので、残念ながら本作での意図はよく解らない。舞台演出家時代にベルイマンが得意にした作家ではあるが。
また、スカーレットの役名がイプセン「人形の家」のヒロインと同じ名前なのは偶然ではなかろう。先輩劇作家へのオマージュを込めたものと理解できる。
バックの音楽もエンリコ・カルーソーのアリアで、「トラヴィアータ(椿姫)」が使われているのが皮肉っぽく大変面白い。
充実した演技の主演二人を含め配役陣はおしなべて好調で、特に時代遅れの英国上流階級気質を巧みに演じた英国人役者たちを堪能。大真面目な作品なのに彼らの描写に若干の喜劇味を感じられて頗る愉快だった。
さすがに北欧系のスカーレット嬢、がたいがでかい。
2005年イギリス=アメリカ=ルクセンブルグ映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり
「さよなら、さよならハリウッド」の幕切れ通り本当にウッディー・アレンはアメリカを去って英国で作品を撮った。
アレンの場合、ご本人が出演しない時はシリアスと相場が決まっているが、これは彼の尊敬するイングマル・ベルイマンの色を余り感じさせない新しいタイプのシリアス・ドラマで、今年のマイ・ベスト10入りは確実な秀作である。
アイルランド出身の元中堅テニス・プレーヤー、ジョナサン・リース=マイヤーズがテニスクラブでお坊ちゃんマシュー・グードに教え始めたのがきっかけで、妹エミリー・モーティマーに熱愛され、その両親にも気に入られた結果、大企業の要職に就き、やがてエミリーと結婚するが、結婚前に深い仲となっていたグードの元恋人でアメリカ人女優志願スカーレット・ヨハンソンとの仲が再燃、彼女が妊娠を理由に離婚を執拗に迫るので、切羽詰まって隣人を巻き込んだ殺人計画を遂行する。
お話の構造は「陽のあたる場所」に瓜二つで、そのスリラー版と言うべき「太陽がいっぱい」を彷彿とするムードがある。
アレンのモチーフは、作品の中で主人公がドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいるショットを挿入して暗示したように「罪と罰」であり、現代のラスコーリニコフの役目を主人公を負わせていると解釈できる。犠牲になるのが老婦人なのもそれ故である。
いずれの作品と違うのは幕切れで、「怪しからん」と道徳家の御仁は思われるだろうが、実は主人公の生真面目な性格を考えるとこの結末の方が、ヒッチコックの「恐喝」を引き合いに出すまでもなく、現在的で重い。
些か違和感を覚えるのは主人公が老婦人とスカーレットと対峙する夢の幻想的処理だが、これが実は捜査主任の夢であると判れば、違和感など吹っ飛んでしまう。予想を裏切る老婦人の指輪の扱いを含めて、観客はアレンに完全に手玉に取られていることになる。
ミステリー的趣向もなかなか充実している。警察が彼女の妊娠から主人公の犯行を疑わないのを致命的ミスとする意見を読んだが、それは記述者の理解における致命的ミス。彼女の妊娠が本当であれば、警察が後で保持することになる日記に書かないわけがなく、解剖に頼る必要もない。敢えて情報を全て提示しない映画を<読む>時の難しさがそこにある。それより猟銃に関する追及が甘いような気がする。
二度ほど名前が出てくるスウェーデンの大劇作家ストリンドベルイは「令嬢ジュリー」の映画版を観たことがあるだけなので、残念ながら本作での意図はよく解らない。舞台演出家時代にベルイマンが得意にした作家ではあるが。
また、スカーレットの役名がイプセン「人形の家」のヒロインと同じ名前なのは偶然ではなかろう。先輩劇作家へのオマージュを込めたものと理解できる。
バックの音楽もエンリコ・カルーソーのアリアで、「トラヴィアータ(椿姫)」が使われているのが皮肉っぽく大変面白い。
充実した演技の主演二人を含め配役陣はおしなべて好調で、特に時代遅れの英国上流階級気質を巧みに演じた英国人役者たちを堪能。大真面目な作品なのに彼らの描写に若干の喜劇味を感じられて頗る愉快だった。
さすがに北欧系のスカーレット嬢、がたいがでかい。
この記事へのコメント
だったのねぇ~♪(ポーーッと、ひとりごと・笑)
いえね、ウヒャウヒャっと本作劇場鑑賞後、
記事にも書きましたがアレン氏の女優の好みがねぇ~、オホホ。
ミアやダイアンで知的なオナゴはもう勘弁って
アレンおじちゃん、思ったかしらんってね?^^;
プロフェッサーは、どう思いますぅ?
あ、冒頭のひとりごとの真意は、愛嬌のあるあのご面相で
回りをケムに巻いていたその実、シビアなヒッチおじさんの
女優の好みはやはりグレースの時が一番輝いていたかなぁ~って
思ったものですから。^^
突然何を仰るのかと思いましただ。
ご存じのようにヒッチ大先生は、外見が教師のようで、内面が夜叉・・・ではなくて、燃えたぎっている女性が好きだ、なんて曰まっていましたよねえ。
そのNO.1がその名も優美なグレース・ケリーで、次がバーグマンだったんでしょうね。「マーニー」もグレースの為の企画だということですから、相当ご執心でした。その気持ちはよ~く解ります。溜息がでるほどお美しい。
「引き裂かれたカーテン」以降はもはや金髪美人探しはおやめになったらしく、「フレンジー」「ファミリー・プロット」ではもはややけくそ気味でしたよねえ。(笑)
当然続きます。
基本的には知性的なおなごが好きなんでしょうよ。
当方の好みではにゃあ(ない)ミラ・ソーヴィノ嬢はああ見えてもハーバード大を文字通り優秀な成績で卒業。
マリエルちゃんは文豪の孫。
今回のスカーレットちゃんは該当しないかもしれませんが。^^;
外見は近年アレン氏が起用した女優の中で一番好みだなあ。身長は当方より小さいけど、頑丈そうな体。
こちらの好みはどうでも良い? はは、すつれいすつれい。
70を過ぎてまだ毎年1本のペースで作っているアレン氏に完敗・・・いやいや、乾杯!(と言って逃げる。)
>指輪
テニス(常識)なら、自分のサイドに落ちたので相手のポイントになるわけですが、意外な展開でしたよねえ。序盤との繋がりを考えても、観客はあの結末はまず考えない。見事でした。
>僕のニューヨークライフ
その後の「メリンダとメリンダ」が出ているのに、こちらが出てこないのは何故? レンタルしなけりゃダメなのかな(ずっと消極的鑑賞スタイルが続いています)。
というわけで、この作品は未見ですが、ニューヨークをテーマにした作品は出尽くしの感があるので、余り期待しないで置きましょう。^^
>ヒッチ
ちょっと暗い印象のエヴァ・マリー・セイントなどピンチ・ヒッター的ですし、「鳥」のティッピ・ヘドレンはストレートにそのイメージを継承。結局グレースは帰って来なかった。御大とすれば「よこはまたそがれ」の心境だったでしょう。(爆)
オカピーさんの評を読んで、殺された二人の霊と対話する場面なんかはベルイマンぽいのかなと思いました。ウッディ・アレンはベルイマン好きですよね。
>アメリカでも批評家受けはいいんでしょう
イーストウッドは断然日本、アレンも日本の方が高いかもしれませんね。
アレンは最初からインテリをターゲットにしているので、半可通以下には受けないのでしょう。アメリカでも本当のインテリにアレン好きが多いと想像しています。日本では僕みたいな半可通にも受ける。
>殺された二人の霊と対話する場面なんかはベルイマンぽいのかなと思いました。
>ウッディ・アレンはベルイマン好きですよね。
そうですね。
霊のような存在をよく出して来るのは、ベルイマン式神秘主義の影響でしょう。「魔術師」なんかアレンは好きではないかなあ。